2012.02.07

平成維新とは?――日本のポストモダン Scene8

「平成維新」とは何か? 私なりの考え方を示してみたいと思います。

昭和の高度成長期以降、ながらく泰平の世が続いていた幕府(自民党経世会)と、それをサポートするお上(官僚)との蜜月関係も、平成の世に入るとじょじょに亀裂が入り始めていた。

また、ながびく平成不況によって、国民の間にも、経世会幕府に対する不満が高っていた。そこで名乗りを上げたのが、1970年代の角福戦争に敗れて以来、外様扱いされてきた清和会の下級武士、小泉純一郎であった。

小泉は、後に「YKKは友情と打算の二重構造」と語ったように、盟友だったはずのYKKを裏切ることで2000年11月に勃発した「加藤の乱」を鎮圧すると、返す刀で2001年4月の自民党総裁選に名乗りを上げた。「自民党をぶっ壊す」というキャッチフレーズで、国民的支持を集め小泉旋風を巻き起こすことで、経世会の橋本龍太郎をやぶり、ついに首相の座を射止めた。

小泉が「ぶっ壊す」と言った矛先は、実は、自民党そのものではなく、田中角栄、竹下登、野中広務と続いてきた、自民党を背後から支配してきた「経世会」に向かっていた。そして、当時の官僚たち、特に財務官僚は、長年の経世会との軋轢や、小渕政権以来拡大し続ける財政政策に対する懸念から、ひそかに小泉改革を支持していた。

つまり、お上(官僚)は、経世会幕府を切り捨て、小泉維新政府と手を組んだのである。

その結果、かつて無敵を誇った、あの経世会は、鈴木宗男が国策捜査によって逮捕され(2002年)、野中広務は引退(2003年)、日歯連闇献金事件では村岡兼造が起訴(2004年)、橋本龍太郎が引退(2005年、2006年死去)と、壊滅状態に陥り、ついには平成研究会津島派と迫力も何もないロートル派閥へと落ちぶれていった(にょーほほー)。

とまあ、ここまでが、明治維新になぞらえると、「戊辰戦争」(1968-1969年)といったところでしょうか。

官僚と手を組むことで、経世会という幕府を打ち破った維新政府の小泉純一郎は、その余勢をかって、新たな闘いを始めます。これが、「本当に郵便局の仕事は公務員でなければできないのか、民間人でやってはいけないのかと」と問うた「郵政解散」であり、明治維新になぞらえて言えば、国民皆兵制の創設、廃刀令、武士への俸禄廃止などの政策に反発して挙兵した、西郷隆盛ら士族と闘った「西南戦争」ということができます。

歴史上の「明治維新」では、士族が敗れて新しい時代に突入しましたが、では、平成維新ではどうなったのでしょうか? 

[参考]▽『日本中枢の崩壊』
http://thelightoflondon.txt-nifty.com/book/2011/06/post-0342.html

小泉、安倍、福田、麻生、鳩山、菅、野田という歴代政権の流れを見ていくと、確かに維新派は郵政解散では勝利したものの、その後は官僚による巻き返しに押されているように見えます。要するに、いまの日本は、西南戦争で西郷さんが勝っちゃったような状態にあると言えます。

そして、いま大阪で巻き起こっている橋下旋風とは、西南戦争で負けてしまった維新派が、ふたたび体制を立て直して「平成維新」という錦の御旗を上げ直した状態である、ということができます。

橋下徹x堺屋太一『体制維新――大阪都』(文春新書)

まあ歴史の流れでいけば、維新派が勝つはずなんですけどね(笑)。

◆日本のポストモダン #8
自民党経世会と官僚による支配からの脱却
移行期間:2001年4月-


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