ソニー・エリクソン

2007.02.27

ソニーエリクソンの挑戦(34)~ひとまず終わり、後書きのようなもの

1カ月強にわたる、この連載も、ひとまずの終わりを迎えました。

私は、この「ソニーエリクソンの挑戦」という連載で何が書きたかったのでしょうか? 2003年12月に井原勝美社長に、お会いしたときには、「もしかしたら、ソニーエリクソンの設立から、経営が安定するまでについて、何か書けるかもしれない」と思いました。しかし、2004年に井原氏がソニーに復帰し、さらに翌年3月に、ストリンガーCEO、中鉢社長、井原副社長の体制へとソニーがかわった時、少し考えがかわりました。

同じ時期に、「ウォークマン携帯電話」発売のアナウンスがあったこともあり、「ソニーの携帯電話事業としてのソニーエリクソン」について、何か書けるだろうと思いました。実際、「ウォークマン」というのは、ソニーの歴史を刻んだブランドであり、ソニーから何かポータブルな製品が出てくると、必ず「次世代ウォークマンか?」と騒がれたものです。

そして、私は思うのです。もし仮に、2003年にソニーエリクソンが『T610』という携帯電話をヒットさせられなかったら、状況はかわっていたのではないかと。おそらく、ソニーエリクソンは、携帯電話の端末の生産からは撤退し、ソニー・グループに、携帯電話の部品を供給するような会社になっていたのではないかと。もしそうなっていたら、「ウォークマン携帯電話」も、ソニーのウォークマン事業部が主導して、ソニーエリクソンから部品の提供を受けて、作っていたのではないか? いまのようにソニーエリクソンが、ソニーから「ウォークマン」のブランドを借りるという状態にはなっていなかったのではないかと思うのです。現在のソニーエリクソンは、ウォークマンの正当な後継者の一人として認められたことになります。

また、取材を進めていくうちに、ソニーエリクソン以前にも、ソニーはクァルコムとの合弁を設立していました。これは失敗に終わりましたが、この失敗の教訓は、ソニーエリクソンの設立時に活かされます。ソニーにとっては、携帯電話事業を軌道に乗せるのに、実に十年もかかったことになります。

そして、ソニーという会社は、日本の携帯電話産業においては、主流と呼べる会社ではありませんでした。しかし、日本において傍流の会社が、いまや世界のトップ3を狙える位置につけている、という状況となっています。つまり、「ソニーにおける携帯電話事業」の軌跡をたどることで、日本の携帯電話産業のたどった「もう一つの道」が書けるのではないか、と思ったのです。

私は、ずっとイギリスにいたため、日本においてソニーエリクソンが、どういう携帯電話を発売し、どういう評価を得ていたのかについては、あまりよく知りません。この連載でも、ほとんど触れていません。逆に、日本で、この連載を読んでくださった方からすると、ここに書かれているのは、みなさんの知らないソニーエリクソンの姿ということになります。インタビューなどに、ご協力くださいました方々、特にソニーエリクソンの方々、また、4年以上に渡り私を支えてくれた方に、ひとまず御礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。本当に、ありがとうございました。

最後に、ワンパターンで、まことに恐縮ですが、シャクルトン南極探検隊の募集広告を掲載しておきます(これが本物の広告だったら、なおよかったのですが・・・)。

求む男子。

至難の旅。

僅かな報酬。

極寒。

暗黒の長い日々。

絶えざる危険。

生還の保証なし。

成功の暁には名誉と賞賛を得る。

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2007.02.23

ソニーエリクソンの挑戦(33)~ヨハン・サンドバーグUIQテクノロジーCEOに聞く

ソニーエリクソンは、2月9日に、UIQテクノロジー(UIQ Technology)という会社を買収しました。このUIQというのは、スマートフォン向けのSymbian OSのユーザー・インターフェースを開発する会社で、英Symbian社の子会社として設立されたものです。英Symbian社は、携帯電話メーカーによる共同出資の会社で、Symbian OSを中立的な立場で、開発・ライセンスすることを目的に設立されました。また、その子会社であるUIQも、同様に「UIQ」というユーザー・インターフェースを中立的に開発・ライセンスする会社でした。

Symbian OS搭載のスマートフォンというのは、OSとユーザー・インターフェースの部分がわかれていて、同じSymbianというOSを搭載しながら、ユーザー・インターフェースは、メーカーによって異なるものが採用されています。

3gsm_018これまでもソニーエリクソンでは、UIQが開発するユーザー・インターフェース「UIQ」を採用しており、現在、そのラインナップは左の写真のように、ハイエンドのウォークマン携帯電話『W950』、ビジネス向けの『P990』、映画『007/カジノロワイヤル』でボンド・ガールのエヴァ・グリーンが使用していた『M600』の3つがあります。『P990』のテスト・レポートについては下記をご覧ください。



【テストレポート】英ソニー・エリクソンのスマートフォン『P990』
http://blogs.itmedia.co.jp/london/2006/11/p990_25a6.html

このUIQの特徴は、タッチスクリーン式であることです。ソニーエリクソン以外にも、米モトローラの『M1000』(日本ではNTTドコモより発売)などでも採用されています。そして、UIQ以外のユーザー・インターフェースとしては、Nokiaが開発した「S60」が、もっともシェアが高く、ノキアのスマートフォン以外にも、多くの携帯電話メーカーの製品で採用されています。また、日本では、スマートフォンとしては開発・販売されていませんが、日本独自のMOAPというユーザー・インターフェースを採用したSymbian OS搭載の携帯電話が、2007年2月時点で、すでに40機種発売されています。

話を整理すると、携帯電話メーカーが共同出資をして英Symbian社を設立。その子会社としてユーザー・インターフェースを開発するUIQという会社がありました。UIQは、ユーザー・インターフェースの分野では、ノキアのS60と、日本のMOAPと競争関係にあります。ソニーエリクソンは、そのUIQを、英Symbian社から買い取って傘下におさめ、さらに2月14日に、ソニーエリクソン以外のメーカーにも出資を呼びかけたわけです。

そして、私は3GSM World Congress 2007の会場において、13日にUIQ Technology社のヨハン・サンドバーグ(Johan Sandberg)CEOにインタビューをさせていただきました。14日の発表内容は、知らない状態でしたが、いろいろと興味深い話を聞くことができました。実は、私は、サンドバーグCEOが、2005年2月にロンドンにいらっしゃった時にもインタビューをしております。その時の内容は、下記のブログに簡単にまとめてあります。

http://symbian.txt-nifty.com/news/2005/02/uiqimode.html

そして、この時、私が、サンドバーグCEOに「UIQとノキアは、ライバルではないのか?」という質問をしたところ、「UIQの親会社は、英Symbian社で、ノキアは、その出資会社なのだから、必ずしもライバルとは言えない」という回答でした。しかし、いまやUIQは、ソニーエリクソンの傘下にあります。私の、今回のインタビューも、この質問から始まりました--。



ヨハン・サンドバーグUIQテクノロジーCEOに聞く 

          (2007年2月13日 スペイン・バルセロナ3GSM World Congress会場にて)

--2年前に私が「UIQにとって、ノキアはライバルか?」と尋ねた際には、「ノキアは、親会社の出資者であり、必ずしもライバルではない」というお答えでした。しかし、いまやUIQは、ソニーエリクソンの傘下となりました。何か違いはありますか?

3gsm_017それは、大きな違いがありますね。ソニーエリクソンは、我々の会社に投資しました。我々を監督する立場にあります。ノキアが開発したユーザー・インターフェースの「S60」は、とてもシェアが高く、我々にとって競争関係にあると言えます。それに、ノキアが我々のUIQを採用する可能性はありませんからね(笑)。もちろん、シンビアン・ファミリー全体で見れば、Windows MobileやLinux、それにプロプライエタリーOS(携帯電話の独自OS)との競争がありますから、完全にノキアと競合するわけではありませんが。特に、プロプライエタリーOSも、いまではかなり進歩しているので、激しい競争があります。

--ノキアの方は、UIQの買収について、「これで英Symbian社は、Symbian OSにだけ集中できるので良いことだ」とおっしゃってましたが。

イエス。その通りだと思います。

--買収以前と以後で、情報の流れに変化はありますか。

ノー。とても厳重な情報の管理、いわゆる「チャイニーズ・ウォール」が存在します。ノキアのS60の開発スタッフは、UIQのスタッフと情報の共有はできませんでした。情報の秘匿は、とてもうまく管理されていました。

--買収以前と以後では、何も変化は無いのですか。

いままで、我々と英Symbian社との関係は2つありました。1つは親会社として、我々のビジネスを監督していましたが、これはソニーエリクソンへと引き継がれました。もう1つは、OSのサプライヤーとしての関係ですが、これはかわりません。

--ソニーエリクソンと他社との関係は?

3gsm_019我々は、顧客との情報を秘匿しなければなりません。たとえば、昨日(12日)に、米モトローラが『MotoRIZR Z8』(モトライザー Z8)というUIQを採用した携帯電話を発表しました。しかし、我々は、これについてソニーエリクソンに知らせることはできませんでした。我々は、顧客の情報を守らなければなりません。そうしなければ、顧客を失ってしまいます。もちろんモトローラは、買収の事実については知っていましたが、情報漏洩のリスクについては、問題ありませんでした。

--なぜソニーエリクソンは、UIQを買収したのでしょうか?

彼らが、我々に語ったことは、彼らはUIQを将来に向けての重要なブラットフォームと見ているから、ということでした。彼らは、また、UIQにもっと投資をすべきである、という認識を持っていました。しかし、UIQの親会社が英Symbianであり、その株主にノキアがいることを考えると、彼ら自身がUIQの親会社になる必要があるとの認識に至ったようです。

--ソニーエリクソンは、もっとも多くUIQを採用しています。この戦略は、今後も続くと。

そう願っています(笑)。他の携帯電話メーカーも、UIQを採用した端末に、大きな関心を寄せていると思います。すでに多数のUIQ端末が販売されています。

我々にとっては、モトローラの『MotoRIZR Z8』は、とても重要な製品です。これは、UIQを採用していますが、タッチ・スクリーン方式ではなく、片手で操作できる企業向けのスマートフォンです。何より、ソニーエリクソン以外の、大手メーカーから発売されたことも重要です。さまざまなメーカーから、さまざまなUIQ端末が発売されることは、UIQのプラットフォームとしての柔軟性を示すことになり、とても重要です。

--英ボーダフォンは、昨年、プラットフォームを絞り込むとして、S60、Windows Mobile、Linuxの3つを採用しました。今後数年間にわたり、この3つに向けてのサービスを増やしていくという方針を示しています。なぜUIQは除外されたのですか?

それは、英ボーダフォンに聞くべきことでしょうが、私の推測では、UIQを採用した端末の数が相対的に少なかったために、主要なブラットフォームとしてみなされなかったのではないかと思います。しかし、我々は、そうした状況を変えたいと思っています。

--英ボーダフォンがUIQを採用しなかったことと、ソニーエリクソンがUIQを買収したことは関係がありますか?

それは難しい質問ですが・・・。我々は、携帯電話キャリアと、直接コンタクトをとることはありません。ただ、携帯電話メーカーにとっては、英ボーダフォンのような大手キャリアが、プラットフォームを採用するかどうかは重要な問題だと思います。

--先ほどは、ノキアの「S60」との競争についてお伺いしましたが、逆に、協力関係はありますか? 特に、Windows MobileやLinuxなどとの競合関係において。

「S60」との協力は、たくさんあります。S60向け、UIQ向けのアプリケーションは、いずれもSymbian OSに基づいたものであり、開発されたアプリケーションの認証制度"Symbian Signed"(シンビアン・サインド)も協力して行っています。また、開発ツールの開発も、S60サイドと、共同で行っています。ソフトウェアの販売も、共通のルートを利用しています。これらは、長期的な戦略に基づいて行われていることであり、シンビアン・ファミリーの一部であることの最大のメリットです。携帯電話メーカーに対し、シンビアン・ファミリー全体として、強力なエコ・システムが存在することを示すことができます。

--マイクロソフトは、Windows Mobileのメリットとして、携帯電話、PC、サーバーの3つのOSを提供しており、これらの連携が可能となる、と主張していますが。

イエス。マイクロソフトのアプローチは、「携帯電話はPCの延長である」というものだと思います。Symbianのアプローチは、「携帯電話は携帯電話である」というものです。もちろん、Symbianでも、PC向けのソフト・メーカーにソフトの開発を依頼することはありますが、マイクロソフトが考えているような、「PCの延長」というようなものではありません。我々とマイクロソフトでは、異なるアプローチをとっています。そして、我々のアプローチの方が、正しいと信じています。

--現状では、携帯電話メーカーは、ユーザーのためにPC向けのソフトを開発しなければなりませんが。

現状ではそうです。しかし、それは将来、かわってくると思います。携帯電話から、ネットワークにアクセスするのが標準になってくると思います。

--ソニーエリクソンは、携帯電話の端末を作るという点では、優れていると思いますが、アプリケーションの開発の点では、リソースが限られていると思いますが。

イエス。UIQとしては、PC向けアプリケーション、携帯電話向けアプリケーションのいずれも、製作する技術はありません。ですから、パートナーにアウトソーシングする必要があります。たとえば、PCとのシンクロナイゼーションでは、ActiveSyncの専門家の力が必要です。我々は小さい会社ですから、パートナーの力を必要とします。我々のような、200人しかいない、スウェーデンの小さい企業が、5万人を超えるマイクロソフトのように、すべてを自前で行うことは、できません。しかし、Symbianのエコ・システムを活用することで、レバレッジ(梃子)をきかせることができるようになり、マイクロソフトにも対抗できると思います。

--各国市場向けへのローカライゼーションは、UIQが行いますか?

ノー。我々は、ローカライゼーションができるだけ簡単に行えるように努力しています。50数カ国の言語、文字を右から読むか、左から読むかの違い、あと、中国では必須の「太陰暦」などには対応していますが、実際のローカライゼーションは、基本的には携帯電話メーカーが行っています。

--日本向けはどうですか?

NTTドコモから発売された『M1000』は、とても高い評価を得たと思います。

--他の製品については?

アイ・ドント・ノー(笑)。日本では、Symbianでは、MOAPのシェアが高いので、まずそちらが優先されているのではないかと思います。

--アップルの『iPhone』については、どう思いますか?

とても興味深く見ています。しかし、私が見たところでは、iPhoneは、オープン・プラットフォームではありません。とてもクローズドなものです。専用のアプリケーション、専用のコンテンツ、特定のネットワーク向けと、とてもクローズドな端末だと思います。これはSymbianの目指す、オープンなプラットフォームとは対極的なものです。たとえば、ソニーエリクソンのウォークマン携帯『W950』やスマートフォン『P990』では、同じような機能を搭載していますが、『iPhone』よりは、ずっとオープンなものです。

たとえば、同じアップルが発売したiPodについて起きたことを考えてみましょう。確かに、iPodはたくさん売れましたが、他のMP3プレイヤーも同じようにたくさん売れました。iPodは、明確なコンセプトや、iTunesストアへの評価が高く、実際の台数シェア以上のブランド価値を確立しました。『iPhone』も、同じようになるかもしれません。数万台で終わるか、あるいは何百万台も売れるのか、それについては、まだわかりません。いずれにしろ、『iPhone』により、スマートフォンというジャンルの認識が高まれば、我々にとっては、良いことだと思います。

--最後に、明日(14日)の記者発表の内容を、少しだけ教えてください(笑)。

ノー。それは、絶対に言えません(笑)。

--長時間、ありがとうございました。



(ソニーエリクソンのマイルス・フリント社長は、11日のプレス・アナリスト向け発表会で、「UIQ搭載のスマートフォンについては、今年後半に重要な新製品を発表する」と予告しています。それがどういうものなのか、期待とともに新製品の待ちたいと思います)

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2007.02.19

ソニーエリクソンの挑戦(32)~3GSM World Congress 2007レポート 『トップ3をめざす』

3gsm_001スペインのバルセロナで開催された“3GSM World Congress 2007”では、開幕前日の11日夜に、ソニーエリクソンが、プレス/アナリスト向けの説明会を行った。 (会場は、バルセロナ中心部にある“メトロノーム”というイベント・ホールでした)




3gsm_002 (説明会は、まず、アルド・リグオリ広報部長によるスペイン語の挨拶から。リグオリ広報部長は、ご出身がイタリアということで、イタリア語に近いため、スペイン語も話せるそうです。そして、スペシャル・ゲストとして、ソニーエリクソンの2つの親会社、ソニーからは、ハワード・ストリンガー会長兼CEO、エリクソンからは、カール・ヘンリク・スヴァンバーグ社長兼CEOが紹介されました。この2人の登場は、事前の予告の無い「サプライズ」でした)

3gsm_003そして、壇上に上がったのが2004年7月からソニーエリクソンの社長兼CEOをつとめるマイルス・フリント氏。フリント社長は、まず2006年12月期の業績について説明した。




3gsm_004売上高は前年比50%増の109億5900万ユーロ(1兆7315億円)、携帯電話機の総出荷台数は、同46%増の7480万台、そして純利益は2.8倍増の9億9700万ユーロ(157億円)となった。





3gsm_005また、過去5年間の決算も振り返った。最初の2年間は赤字だったが、2003年半ばにブレーク・イーブンとなり、2004年以降は、順調に業績が拡大している。 そして、フリント社長は、「2007年の3GSMを迎えるにあたり、すでに我々は3つの重要な発表を行っています」と述べた。1つ目は新製品の発表、2つ目はUIQテクノロジーの買収完了、3つ目はインドにおける工場の設立である。



3gsm_0061つ目の新製品の発表は、2月6日に行われたもので、「5年前、我々は2、3機種の携帯電話しか見せることができなかった。昨年(2006年)の3GSMで約束したように、いまや製品のラインナップが低価格機から高級機にまで広がった」ことで、以下の製品の紹介を行った。 まず『K220』、『J120』、『K200』、『J110』は、エマージング・マーケットをターゲットにした製品である。



3gsm_007続いて、『サイバーショット携帯』に2機種『K810』、『K550』が追加された。2006年7月に発売された1機種目の『K800』は、累計で450万台を超え、ソニーエリクソンとして、もっともヒットした携帯電話の1つとなった。



3gsm_008また、『ウォークマン携帯』にも、3機種が追加された。100ユーロ(1万6000円)以下の価格帯のエントリー・レベルの『W200』、ミッドレンジの『W610』、そして厚さ9.4mmのスリムさが特徴の『W880』。『W880』について、フリント社長は、「2月中には店頭に並ぶ」ことを明言した。




2つめのUIQテクノロジーの買収については、「UIQを搭載したスマートフォンについては、今日は発表はありません。重要な新製品の発表は、今年後半に予定されています」と語った。そして、14日の午前にUIQについて改めて発表を行うことを明らかにした。

(この発表は、UIQへの資本参加を他社にも呼びかける、というものでした。私は出席できなかったので、末岡洋子さんの記事をご覧ください)

http://www.itmedia.co.jp/enterprise/mobile/articles/0702/14/news102.html

3gsm_0093つ目のインドにおける工場の設立は、アウトソーシングのパートナーであるFlextronicsとFoxconnによって運営されるものだが、ソニーエリクソンにとっては、中国に続く重要な製造拠点となる。左のスライドでは 、ソニーエリクソンの世界各国にある拠点が紹介された。



3gsm_010フリント社長は、ウォークマン携帯『W880』を取り出し、「これは、日本でデザイン・設計されたものです。そして、チップセットや、プラットフォーム、アプリケーションはスウェーデンで開発されたものです。これは、ソニーとエリクソンのベストな部分がくみ合わさったものです。エリクソンの通信技術と、ソニーのマーケティングの知識。この2つの世界レベルの製品を作れるのは、ソニーエリクソンだけです」と強調した。

3gsm_011そして、フリント社長は、「ソニーエリクソンは、ジョイント・ベンチャーではなく、ジョイント・アドベンチャーです」と講演を締めくくった。




■質疑応答

3gsm_012---続いて質疑応答の時間がもたれ、ハワード・ストリンガー会長兼CEOと、カール・ヘンリク・スヴァンバーグ社長兼CEOも壇上に上がった。そして、リグオリ広報部長から「なぜ、ソニーエリクソンは、うまく成功したのか」という質問が出された。




■ストリンガー会長(ソニーCEO)

このジョイント・ベンチャーが、成功したのは、なぜかというと、それぞれの強さをコンビネーションできたからで、それぞれの強さの競争(コンペティション)ではなかったからです。このジョイント・ベンチャーに参加した人で、相手のことを「負け組」だと見なした人は、一人もいませんでした。少し前のことですが、ある人に質問されました。『ハワード! 日本人の役員とスウェーデン人の役員が、共存できるのか?』と。もっともな質問だったと思います。しかし、ソニーエリクソンは、親会社から独立した存在で、両社のベスト&ブライテストが集まっていました。ソニーについて言えば、ソニーは大企業で、官僚的な部分があります。しかし、ソニーエリクソンには若い技術者が集まり、ソニー創業時のような起業家精神が発揮できたと思います。年功序列(Seniority System)を気にしなくて良かったからです。また、ソニーの強みであるコンシューマー・マーケティング、エリクソンの強みである通信技術。双方が相手の強みを理解していたことも成功の要因としてあげられます

---また、リグオリ広報部長から、「ソニーエリクソンの将来」について質問が出された。

■スヴァンバーグ社長(エリクソンCEO)

3gsm_013フリント社長が紹介したスライドは、とても興味深いものだった。今後もネットワーク化が進み、さまざまなコンテンツが携帯電話にダウンロードできるようになる。ソニーの持つ、さまざまなデジタル器機が、携帯電話のネットワークに組み込まれていくだろう。



---続いて記者・アナリストからの質問に移った。「新興市場については、どのような戦略をとりますか?」

■フリント社長(ソニーエリクソンCEO)

インドにおける我々のビジネスは、2006年に3倍に成長しました。急成長している市場であり、2007年には4億台の買い換え市場があるとの予測もあります。彼らが携帯電話を買うには、収入のかなりの部分をつぎこまなければなりません。しかし、彼らは、ただ安い携帯電話が欲しいのではなく、良い携帯電話が欲しいのです。ソニーエリクソンは、超低価格機を発売する予定はありません。カメラや音楽プレーヤーが搭載され、デザインが良く、なおかつ低い価格帯の機種を、こうした市場に投入していきます。

---どうやって製造コストを下げますか?

■フリント社長コスト削減は、常に行われていることです。過去2、3年の間に、常に、目標とするコスト削減を実現してきました。Symbia OSを含め、さまざまな製品に適用できる柔軟なブラットホームを採用しています。ですから、ある機種が発売されたら、その機種の子供に当たる機種も作ることができます。こうすることでコスト削減を実現しています。

---ノキアやモトローラに追いつけますか?

■フリント社長

ソニーエリクソンの携帯電話は、ナンバー1だと思っています。設立から5周年を迎えて、そうした力を蓄えてきました。携帯電話市場が成熟期を迎えつつある時は、世界の携帯電話メーカーのトップ3の一角に食い込む。それが、我々の野心であり、目的です。ただし、それがいつになるかは、わかりません。ただ、我々が、2006年に打ち立てた勢いは、この目標を実現可能なもとしています。もちろん、これからも激しい競争を続けなければなりませんが。

■ハワード会長

ソニーエリクソンは、とてもうまくいっています。『ウォークマン』のブランドは、ソニーエリクソンとの提携により、蘇ったと言えます。『サイバーショット』という資産も、携帯電話の販売を押し上げました。これらの携帯電話には、ソニーBMGの楽曲がプレインストールされたものもあります。このコンテンツとハードの関係は、ソニーの戦略にとって、とても重要なものです。

---アップル『iPhone』についてどう思いますか?

■フリント社長

正直なところ、あまり他社のことについては話したくありません。ソニーエリクソンについて絞りたいのですが・・・。ただ、私は、他社の技術革新を批判したことはありません。我々の産業は、絶え間ない、終わりのない技術革新の上に成立しています。それが、私が言いたいことです。2年前、携帯電話に『ウォークマン』ブランドをつけることに、懐疑的な意見は多くありました。しかし、いまや携帯電話に音楽プレイヤーがつくのは、当たり前のことになりました。専用のMP3プレイヤーである必要は、なくなりました。また、いくつかのコンバージェンス・デバイス(スマートフォン)は、コンピューターと携帯電話を融合したものです。この傾向は、今後2、3年は、注目し続ける必要があります。

---CDMAに再参入する予定はありますか?

■フリント社長

我々は、日本のKDDI向けに、ハイエンドの携帯電話を販売し、大きな成功を収めています。その他の市場でCDMAに進出する予定はありません。

---「グローバル・マーケットにおけるトップ3」という場合、もっとも重視するのは、マーケット・シェア、売り上げ、利益のどれですか。

■フリント社長

記者やアナリストは、グローバル・マーケットにおける販売台数を重視することは知っています。(フリント社長の肩を、ハワード会長、スヴァンバーグ社長が揉んで、会場から笑いが起こる)両脇のジェントルマンがボディ・ランゲージで示してくれましたが、やはり利益を重視します。我々は、利益をあげることにフォーカスを絞ります。シェアは重視しません。ソニーエリクソンは、利益をあげながら、マーケット・シェアをあげられるポジションにいると思います。たとえば、インドの工場ですが、インドの携帯電話市場は急速に成長しており、我々にビジネス・チャンスをもたらします。インドに工場をつくるという判断は、2年前なら早過ぎるものとなったでしょうし、2年後なら遅すぎるでしょう。我々は利益、つまり利益のシェアを重視しています。販売台数が減りましたが、日本以外のCDMAから撤退したのは、そのためです。我々は、マーケット・シェアだけを狙いにはいきません。マーケット・シェアを得る際にも、利益を含む他の要素も考慮します。

3gsm_014記者会見の後の会場の様子。スペイン産ワイン






3gsm_015 ウォークマン携帯の立て役者、坂口立考(りっこう)シニア・バイス・プレジテント。いろいろと、ありがとうございました。

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2007.02.09

ソニーエリクソンの挑戦(31)~ソニー・グループとのコラボレーション

そろそろ、この連載も、ひとまず終わりを迎えようとしています。来週バルセロナで開かれるイベント"3GSMワールド・コングレス"において、ソニーエリクソンは、プレスとアナリスト向けに説明会を行います。ここで、おそらく「トップ3」に向けての経営戦略が示されるので、それを連載の最後に持って来ようと考えたら、こんなハイスピードな連載になってしまいました・・・。

というわけで、これまで触れてきた話題と、トップ3に向けての経営戦略のつなぎとなるテーマを書きたいと思います。それは、ソニー・グループとのコラボレーションについてです。

『ウォークマン携帯電話』のレポートでも触れたのですが、まずウォークマンのブランド自体がソニーのもの、そしてプロモーション活動には、ソニーBMG所属のアーティスト「ジャミロクワイ」を起用、コンサートのスポンサーにもなっています。また、ウォークマン携帯を装着するスピーカーもソニーが開発・製造したもので、ソフト、ハード両面からグループの資産を活用しています。

続いて、映画。2006年5月に公開されて世界的なヒットを記録した『ダ・ヴィンチ・コード』。ロンドンで開かれた試写会に招かれた私は、次のようなエントリーを書いています。

『ダ・ヴィンチ・コード』の影の主役
http://blogs.itmedia.co.jp/london/2006/05/post_4bba.html

ソニーエリクソンは、『ダ・ヴィンチ・コード』に携帯電話を提供しており、そのうちの一つは、映画公開に会わせて、発表された新製品でした。

こんなの同じソニー・グループなんだから、驚くことでは無い、と思うかもしれませんが、実は、そうではないのです。『ダ・ヴィンチ・コード』と言えば、公開前から、世界的なヒットが約束されていたような映画でした。そして、『ダ・ヴィンチ・コード』の撮影がロンドンやバリで行われていた2005年に、ソニーの方に聞いたことがあります。たとえば、『ダ・ヴィンチ・コード』と何かタイアップを考えていないのか、とか、主演のトム・ハンクスやオードリー・トトをCMに使わないのか、と。何人もの方に伺ったのですが、トム・ハンクスはうちの製品のイメージにあわない、とか、CMのプランはすでに決まっている、とか、ソニー・ピクチャーズとはあんまり交流がないと、いうような答えが多かったと思います。

また、ストリンガー氏が指揮し、2004年9月に行われたMGMの買収についても批判的な声は多く聞かれました。私の印象では、出井時代の後半のソニー・グループというのは、「ソニーXX」という名前の会社がたくさんあるだけで、実態は、グループとしてはばらばらな状態にある、という感じでした。ストリンガー氏は、こういう状態を「サイロ化」と呼んで批判していたと思います。

それが、ストリンガー時代になると、かわってきます。まず、2006年1月にアメリカで開かれたCES(Consumer Electronivs Show)。

【CES 2006 Vol.4】Blu-rayの未来はPLAYSTATION 3とともにある!?──ソニー代表執行役会長兼CEOのストリンガー氏が基調講演
http://ascii24.com/news/i/topi/article/2006/01/06/659867-000.html
【2006 CES】ソニー会長ストリンガー氏基調講演レポート
-「PS3でXbox 360を打ち負かす」。トム・ハンクスも参加
http://www.watch.impress.co.jp/av/docs/20060106/ces07.htm
電子書籍にPS3――「コンテンツと技術の融合」を唱えるソニーCEO
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0601/06/news027.html

私は、このイベントは取材していないのですが、このストリンガー氏の基調講演には、『ダ・ヴィンチ・コード』の原作者のダン・ブラウン、監督のロン・ハワード、主演のトム・ハンクスが登場します。製品の紹介のついでに映画の宣伝もしているわけです。

この『ダ・ヴィンチ・コード』に対するスタンスは、ソニーエリクソンは、ソニーとは異なり、先のエントリーでも紹介したように、積極的なプロモーションのチャンスと位置づけ、製品の提供に加えて、イギリスでは、『ダ・ヴィンチ・コード』のオーディオ・ブックを無料バンドルするサービスなども行っていました。グループ内の資産で、使えるものなら、何でも使え、というスタンスです。

そして、これを、さらに押し進めたのが、2006年11月に公開された『007/カジノロワイヤル』。これについて、私は下記のようなエントリーを書いています。

ソニーもカジノロワイヤル(ほんのちょっとネタばれ)
http://blogs.itmedia.co.jp/london/2006/11/post_7633.html

『007/カジノロワイヤル』においては、ソニーエリクソンの携帯電話だけでなく、ソニーの製品が数多く、登場します。これは『プロダクト・プレイスメント』というマーケティング手法で、まぁ、ちょっとやりすぎなのではないかという批判もありましたが、もともと『007』は、そういう映画ですし、全体としてはうまくいった例だと言えます。

これも、「ソニーグループなんだから、当たり前のこと」と思われるかもしれませんが、何年もソニーをウォッチしてきた者としては、「ようやくソニーも、グループ全体で、こういうことができるようになったのか」という印象の方が強いですね。ストリンガー氏の提唱する"Sony United"の一つの表れだと言えます。

この『007/カジノロワイヤル』では、ソニーエリクソンは『ジェームズ・ボンド版サイバーショット携帯』も発売しています。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0610/13/news030.html

また、写真を撮っておけば良かったと後悔しているのですが、映画公開時には、ロンドンで配布される無料新聞にソニーエリクソンが全面広告を打ったり、ソニーエリクソンの携帯電話を買うと、特製の007の絵柄の入った紙袋に入れてくれたり、と、かなり積極的なタイアップ・キャンペーンを行っていました。何より、映画に登場したソニーエリクソンの携帯電話は、カッコよかったですね。

こういうグループの資産を活用する、という点では、ソニーエリクソンは、かなり積極的に取り組んでいる、と言えます。こういうのを見ると、一消費者としては、「おっ、ソニーエリクソンは頑張っているな」とか、「元気いいな」と感じるし、一ジャーナリストとしては、「結果はともあれ、やるべきことはやっているな」と思いますよね。

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ソニーエリクソンの挑戦(30)~技術の距離感

あくまでも2007年2月時点の話ですが、携帯電話に盛り込める機能というのは、どれくらいのものか、という話です。先日のウォークマン携帯『W880』の記者発表会でも話題になったのですが、音楽プレイヤーとしての機能は、十分、携帯電話に取り込めている、と思います。1GBのメモリー・スティック・マイクロに対応し、約900曲の楽曲を保存でき、音楽の再生だけなら20時間まで可能。

London_131さらに、携帯電話ならではの機能として、『W880』には、"TrackID"という機能が搭載されています。これは、「ウォークマン・プレイヤーや、FMラジオで聞いている楽曲に関する情報を画面上に表示させる機能」で、「タイトルやアーティストがわからない曲でも、それをすぐに知ることができる」というもの。その方法は「聞いている楽曲のパターンから、楽曲を割り出し、携帯電話ネットワークを介してデータベースにアクセスする」というものです(この説明で正しいのか、再度、確認してきます)。

次に『サイバーショット携帯』ですが、先日発表された『K810』が、320万画素、オートフォーカス、キセノン・フラッシュ、2インチのQVGA・TFT液晶(26万2000色表示)というスペックでした。「サイバーショットと比べると、カメラとしての機能は、2年くらいギャップがある」というのが、あるソニーエリクソンの方の意見です。

最後に気になるのがゲーム機能ですが・・・。携帯電話としての機能をそこなわずに、PSPくらいの機能を盛り込むには、まだだいぶ時間がかかりそう、という意見が多いですね。しかし、今年夏には、ノキアが"N-Gageアリーナ"というサービスとともに、ゲームに特化したSymbian OS搭載の携帯電話を発売する予定なので、ソニーエリクソンも、ゲーム携帯電話を出してくるんじゃないかなー、と予想しています。名前が『プレイステーション携帯』になるのかどうかは、わかりませんが・・・。

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ソニーエリクソンの挑戦(29)~『ソニエリの謎』 Q.本社って、どこにあるの?

ソニーエリクソンが、ニュース記事などで紹介される場合は、「英ソニー・エリクソン・モバイル・コミュニケーションズは・・・」というように書かれます。これは、ヘッドクォーターがロンドンにあるため、イギリスの会社である、とみなされているからです。

ソニーエリクソンは、株式を公開していないので決算を発表する義務は無いのですが、親会社のソニーとエリクソンにとっては、ソニーエリクソンの業績が、両社の業績に影響してくるので、ソニーエリクソンの決算を発表しなければなりません。そして、この両社が共同で発表しているリリースがこれです。

http://www.sony.co.jp/SonyInfo/IR/financial/fr/semc/q406.html

ここには、エリクソンとソニーの「両社折半出資による携帯電話端末事業合弁会社、ソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズAB」とあります。この「ソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズAB」の末尾のABは、スウェーデン語で「有限責任会社」を意味する「aktiebolag」の略語です。日本語のKK(株式会社)のようなものです。とすると、エリクソンとソニーが50%ずつ出資して設立した会社はスウェーデンの会社ということになります。

では、ロンドンのヘッドクォーターはなんなのか、というと、これは、スウェーデンのソニーエリクソンが、「ソニー・エリクソン・モバイル・コミュニケーションズ・マネージメントLtd.」という子会社を設立して、ここの役員を、ソニーエリクソン本体の役員が兼務するかたちとなっています。そして、ここでソニーエリクソンの国際的な戦略を練っている、ということです。ちなみに日本法人もスウェーデンのソニーエリクソンの子会社です。

企業物の取材をする時は、まず当該の会社のアニュアル・レポートなどを、政府機関などで閲覧またはコピーを入手するのが基本作業の一つです。私は、はじめソニーエリクソンはイギリスの会社だと思っていたので、イギリスの政府機関から、レポートのコピーを手に入れたのですが、売上のケタが違うし、なんか変だなーと思ったものです。そして、本体がスウェーデンにあり、レポート類もスウェーデンにいかないととれないことを知ったときは、愕然としました・・・。そして、苦労して手に入れたレポートを見て、またビックリ。すべてスウェーデン語で書かれていて、英訳版が無いのです。

London_130_1左のデータは、ソニーエリクソンの売上高を地域別にブレークダウンしたものですが、このデータは、ニュース・リリースなどでは発表されていないはずです。ま、これくらいのスウェーデン語ならば、なんとなく意味はわかりますが・・・。

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2007.02.08

ソニーエリクソンの挑戦(番外編2)~サイバーショット携帯2機種発表

2月6日にロンドンで開かれた記者発表会では、2006年夏に発売されたサイバーショット携帯電話の、累計販売台数が累計450万台に達したことも明らかにされました。サイバーショット携帯といえば、ウォークマン携帯に続く、ソニーとソニーエリクソンのブランド・コラボレーションによるものです。

サイバーショット携帯の最初のモデルは『K800』という機種ですが、これのバリエーションとして、『K790』という機種もありました。この2モデルデザインはまったく同じなのですが、その違いは、『K800』が3G/GSM対応であるのに対し、『K790』はGSMにのみ対応している、ということです。3Gが普及していない地域では、割安な、GSMのみ対応モデルを投入することで、サイバーショット携帯の先進的なイメージを保ちつつ、販売台数を増やすという戦略をとっており、中国市場などで、うまくいっているようです。

London_128そして、2月6日に発表されたサイバーショット携帯の新機種『K810』にも、同じようなバリエーションが用意されていました。『K810』が3G/GSM対応、『K818』が中国市場向けで、これはGSMにのみ対応したモデルです。



London_129また、もう一機種の『K550』は、GSM対応した機種しか発売されません。こちらは中国以外でも発売されます。この『K550』は、中国で開発・デザインされたものです。左の写真の方が、プロダクト・マネージャーのリ・ヨンガンさんです。リさんは、「サイバーショットのイメージを保ちつつ、シンプルなデザインをこころがけた」そうです。ちなみに、リさんの名刺に書かれていたソニーエリクソンの中国名は「索尼愛立信移動通信産品」でした。

あえて、少しスペックを落とすことで、3Gが未発達な地域や割安な端末が欲しいユーザーに向けてのビジネスを展開するというのは、戦略としては間違っていないと思います。

その一方、2月6日の記者会見では、次のような質問も出ました。それは、「日本では、ブラビア携帯も発売されているが、これはイギリスや、他の地域でも発売されないのか」という質問で、イギリス人記者も、日本で発売されている高機能携帯電話について、よく知っていることを物語っています。ただ、ソニーエリクソンとしては、今のところ、日本以外で、ブラビア携帯が発売する予定は無いそうです。

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2007.02.07

ソニーエリクソンの挑戦(番外編)~厚さ9.4mmのスリムなウォークマン携帯『W880』発売。デザイン・設計は日本

London_126英ソニー・エリクソンは、2月6日午前、ウォークマン携帯電話、サイバーショット携帯電話などの新製品を発表した。中でも注目は、厚さ9.4mmのスリムなウォークマン携帯電話『W880』。日本以外のアジア・欧州向けのW-CDMA/GSM900/1800/1900MHz対応端末で、デザイン・設計は日本、システムなどプラットフォームはスウェーデンで開発されたものを採用した国際的なコラボレーションによる新しいウォークマン携帯だ。発表と同時に発売という「iPod方式」を採用、すでに量産体制に入っているという。細かいスペックなどは、こちらをご覧ください。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0702/07/news023.html

また、ウォークマン携帯では2005年8月の発売以来、累計で2000万台を突破。また、サイバーショット携帯も、2006年6月の発売以来、累計で450万台を達したことも明らかにされた。

London_127この記者発表会は、ロンドンのホテルで開かれたのですが、この会場には、ソニーエリクソンの日本法人で『W880』の開発を指揮したSven Jagebro(スヴェン・ヤゲブロ)プロダクト・プランニング・チームリーダもいらっしゃいました。以前から、日本法人の様子を語ってくれる人を探していたことあり、その場でインタビューをさせていただきました。



スヴェン・ヤゲブロ氏に聞く         (2007年2月6日、ロンドンのホテルにて)

--日本に来る前は?

もともとはエリクソンで、固定回線網によるブーロドバンド・ネットワークの仕事に携わっていました。その後、ソニーエリクソンへ移り、スウェーデンで3年間働きました。東京に来たのは、2005年11月のことで、もう15カ月になります。

--日本に来ることが決まったとき、どう思いましたか?

グレート(素晴らしい)! 私は、ソニーエリクソンに入社して以来、『Z1010』や『V800』など、いろいろな3G端末にかかわってきました。そして、日本ではFOMA端末が発売されるようになり、日本市場の動向を調べるために、何度も日本にくるようになっていました。ですから日本に転勤になる前から、日本のことはよく知っていました。日本は、消費者向けエレクトロニクスの大国です。日本文化も素晴らしい。

--日本のスタッフとは、何語で話しますか?

英語です。会社の共通言語が英語ですので。

--日本のスタッフも、全員英語を話すのですか。

全員が英語を話すわけではありません。でも、彼らは、とても「勇敢」です(笑)。日本に来た時に予想していた以上に、日本人のスタッフとはうまく行っています。

--日本での仕事の内容は?

私が日本に来た当時、ソニーエリクソンの日本法人は、日本のスタンダードにあわせた携帯電話を作ることに専念していました。日本の携帯電話キャリアの要求する仕様や、日本のマーケットは、グローバルなものと、とても異なっていました。私の仕事は、基本的には、グローバル・マーケットの知識を、日本の開発チームに伝えることにあります。日本のエンジニアの能力を引き出して、グローバル・マーケットに最適な商品を作ることが狙いです。日本のユーザーが求める携帯電話は、グローバルな機種とは、少し違います。私たちは、グローバルな消費者が求めるものは、何であるかを話し合い、必要とされる製品を作り上げることをめざしています。

--グローバル・マーケットの知識を、日本の開発者に伝えるだけですか?

その反対のケースもありますが、メインとなるのは、グローバルな知識を日本の開発部隊に伝え、それに沿った製品作りをすることにあります。私と、私の同僚は、「我々は何をすべきか」を考えますが、日本のエンジニアたちは「どのように実現するか」を考えています。

--今日発表されたウォークマン携帯『W880』は日本で設計・デザインされたのですね。

デザイナーは日本人、メイン・プロジェクト・マネージャーも日本人、プロダクト・マネージャーがカナダ人。しかし、彼は日本に12年も暮らしているので、ほとんど日本人です(笑)。また、技術者のリーダーも日本人、研究・開発も日本人。私以外は、主要スタッフは、ほとんど日本人です。

--日本にいて、グローバル・マーケット向けの携帯電話を作るのは大変だと思うのですが。

技術者の多くは、ソニーエリクソンが設立される前は、ソニーのドイツ・ミュンヘンにあった開発拠点にいました。彼らは、グローバル・マーケット向けの携帯電話を開発した経験は豊富です。もちろん、私が、日本にきたのは、彼らをサポートするためです。

--『W880』のようなスリムな携帯電話は誰のアイデアですか?

誰のアイデア、というわけではありません。モトローラの『RZAR』のような、スリムな携帯電話は、すでに人気を博しており、他の会社もスリムな携帯電話を開発しています。私たちのエンジニア・チームは、そうした製品を作りたいと思いました。そして、彼らは、熱心に取り組んで、ある日、とても小さいプラスチックのケースを持ってきて、「この大きさの携帯電話を作りたい」と言ったのです。私たちは、議論をかさね、開発のゴーサインを出し、何が必要かの詳細について検討を始めました。『W880』の開発について、もっとも重要な要素は、表側のステンレスの部分です。手触りと見た目に、高級感が得られます。また、ボディに強さをもたらします。さらに、外見も重要です。外見が優れていないと、ユーザーの関心が弱くなってしまうからです。『W880』は、東京にいるエンジニアやデザイナーたちが、できることを示した結果であり、誰か特定の人物ののアイデアというわけではありません。

--何か衝突したとか、議論があったとかありますか。

「働く時間」(笑)。これは、ヨーロッパと日本では、とても違います。日本人は、とても長時間仕事をします。また、職場の人たちが、みな熱心に仕事に関わろうとします。そして、みんなで力をあわせます。私は、日本人と働くことが、他の文化の人と働くよりも、もっと難しいとは思いません。私は、ただ、日本人の文化がどのようなものか理解して、それに適合するように努力をしています。

スウェーデンにも、日本から来て仕事をしている人はたくさんいます。ソニーエリクソンは、ジョイント・ベンチャーですので、日本とスウェーデンの間で、人材の交流を進めています。こうすることで、双方の文化を理解し、そうすることで、より早く成長できると思っています。なぜなら、私たちは、携帯電話の先進的なマーケットである日本と、巨大なマーケットであるヨーロッパの両方を理解できるようになるからです。

--日本人は、よく働きますか?

日本のエンジニアが、一生懸命働かない時なんてありますか(笑)?

--長時間働きますね。

私は、他の人より長くは働きません(笑)。日本の文化では、休みもとらずに、一生懸命仕事をするのが普通です。どちらの文化が正しいか、というつもりはありません。しかし、あまり長時間会社にいると、他の人や社会と接する機会が減って、マーケットのトレンドがわからなくなってしまいます。この点では、ソニーエリクソンはバランスがとれていると思います。ヨーロッパのマーケット動向を理解し、それを日本で確実に実行する、と。もちろん、スウェーデンの開発拠点ルンドでも、サイバーショット携帯『K800』といった優れた携帯電話も開発しています。両方の文化をバランス良く持つことは、ソニーエリクソンにとっても良いことだと思います。

--『W880』のほかに、日本で開発されたグローバル・モデルはありますか?

『S700』。これは、日本の『SO505i』と同じ回転式の携帯電話です。また、同じく回転式のウォークマン携帯電話『W900』があります。このほか、カメラ付き『K610』もそうです。これらの携帯電話は、機能や性能で、先端をいくものとなっています。最先端の技術を、グローバル・マーケットに提供することをめざしています。『W880』で言えば、スリムさということになります。

--反対に、グローバル・モデルで日本に導入したというものはありますか?

それには、『V800』があります。日本では『V820SE』としてボーダフォンから発売されました。しかし、ユーザー・インターフェースや使いやすさが、日本人にはあいませんでした。この反省から、私たちは、グローバル・モデルを、日本市場向けに発売することに対して、とても慎重になっています。ですから、日本人にとっての使いやすさが、私たちの期待するレベルに到達するまでは、グローバル・モデルの日本市場への投入は、とても難しい状況です。

--ソニーとの交流はありますか?

普段からコンタクトをとる機会はとても多いです。一年ほど前ですか、ストリンガーCEOが、ソニーエリクソンを訪問して、「携帯電話は、ポータブル音楽プレイヤー市場において重要な商品だから、頑張って欲しい」と言われました。ソニーも、ウォークマンはじめ、音楽関連の商品がありますので、両社ともに、盛り上がっていければいいと思います。

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ソニーエリクソンの挑戦(28)~ウォークマン携帯電話の立て役者、坂口立考副社長が語る

さて、2005年8月に発売されたウォークマン携帯電話は、どうなったか。2005年10月に書いたレポートは、下記をご覧ください。

http://thelightoflondon.txt-nifty.com/home/SonyEricsson_004.jpg

London_125さて、この記事に登場する坂口立考(りっこう)シニア・バイス・プレジテントには、2005年10月に開かれた"Smartphone Show"の会場で、お話をお伺いしました。いろいろと、深い話もお伺いしたのですが、ここでは、ウォークマン携帯電話に絞って、紹介したいと思います。

ウォークマン携帯電話の立て役者、坂口立考副社長が語る  

                             (2005年10月11日 ロンドンのSmart Phone Show会場にて)

--ソニーエリクソンに移られる前は?

ソニーで、安藤(国威ソニー社長兼COO・当時)さんの下で、戦略部門にいて、このジョイント・ベンチャーを作るところに関わっていました。それで、ソニーエリクソンを作ってから、ソニーを辞めて・・・、ソニーエリクソンに転籍して。

--クァルコムのジョイント・ベンチャーには関わっていましたか?

あの頃は、ヨーロッパで別の仕事に関わっていました。しかし、ヨーロッパでGSMに出会って、漠然と、これに足場が無いのは・・・と感じていました。それで、ソニーの戦略部門に移ってから、携帯電話部門をどうするか、ということになり、どこかとくっつくか、買うか、そういう話をしていました。

--現在、坂口さんがソニーエリクソンで統括している範囲は?

商品のプランニング、それからアプリケーション開発。実際にコードは書いていませんが・・・。プログラムはしてませんけど、アプリケーションの開発。それからコンテンツ。それとプロダクト・マネジメント。世界中のオペレーターに対するセールス、商品に関する、あらゆるコミュニケーションなど、グローバルで200人くらいを統括しています。

--ウォークマン携帯も?

そうです。発売する携帯電話に関しては。まぁ、実際に作る上では、設計プロジェクトも含め1000人もかけてやっているわけですが、何をどういう風に作るか、どういう色にしていくかとか、構想は、私の担当です。

--ウォークマンのブランドをつけた、というのは、私は、とても驚いたのですが。

そうですね。まぁ、ソニーのことをご存じだったら・・・。出井(伸之・前会長兼CEO)や、ほとんど全員の役員と、少なくとも2回ずつは話して・・・。

--坂口さんが説得されたんですか?

そうです。でもまぁ、それなりにクレディビリティ(信頼)もできてきて、「あんたが言うんならじゃあ」って。だけど、お願いしたわけではなくて、強がりと言われてもアレですけど(笑)、プロポーザー(提案者)ですよね。このブランドは、携帯電話につけた方が、絶対メリットがある、と。ウォークマン携帯だけで、ソニーグループの中で、もっとも大きなビジネスの一つになってくる、と。電話の出荷台数は、大きいですからね。

まぁ、そういうことで提案して・・・。お願いしているわけじゃありませんよ、嫌ならやめてやらぁ(笑)、と。ソニーにとっては、これ(ウォークマンのブランド)は、こっち(携帯電話)につけた方がいいに決まっていると思いますよ。

--じゃあ、最初は反対されたんですか?

ま、もともと、ちゃんと満を持して、プランを見せて、デザインから何から作って、これでいく、というのをやってましたし、出井、安藤、井原、みんな、まぁ昔から、お仕えしてた人たちなので、私が、そういう提案をして、反対されることは無いだろうとは、思ってましたけどね。むしろ、ソニーの方から、「そんなウォークマンなんてつけていいの? 古いんじゃないの? 」という感じはありましたね。

--違う名前の方がいい、ということですか?

古くたって、いいじゃないですか。関係ないですよ。とりあえず、「わかりやすさ」で。もともと、こういう電話をやりたかったわけで。まぁ、3年かかったわけですが。漠然と思い描いていたものができるまでに。まぁ、人によっては、「(ウォークマンで)いいんじゃないの」という人もいたし、「それまで、持ってっちゃうの?」という人もいましたし。

--出荷台数は、ウォークマン携帯の方が多くなりますよね。

もちろんですよ。出荷台数は、一機種で数百万台ですもん。これ(『W800』)は、もう300万台。8月に発売して、まだ3カ月ですが・・・。まだ、足らなくて、作れない。

--今後は、いろいろなモデルを増やしていく戦略はありますか?

製品のラインナップは増やします。そして、もっと、こうなんて言うんですか、音楽コミュニティ・・・、音楽聞きながら、いろいろできる、というのを。ウォークマンの中でも、携帯電話ならではのものを目指したいですね。ただ、いまはとりあえず、音楽再生機能があって、カメラもついて、携帯電話として使うなら悪くないよ、というところから入って名前をうち立てて・・・。本格的にウォークマン携帯にしかできないこと、音楽に関する使い勝手を広げていきたいので、これからどんどん出していきたいと思います。

--ATRAC3に対応してないですが、AACやMP3には対応してますよね。

そうですね。基本的に携帯電話からきてますので。ソニー・グループのベネフィットも考えますけど、最終的には、お客さんしかないので・・・。ソニーの場合は、ソニーで考えている戦略があって、それをやってきたわけですけど、ソニーだって、なかなか急には違う思想のものをできない。そういう意味では、携帯電話は、もっと間口が広くないと・・・。

--ソニーからは、何か言われていますか?

最終的には、みんな喜んでいます。

--いまはもう否定的な意見は、無いのですか?

無いです。

--オレンジは、ウォークマン携帯のカラーとして決めているのですか?

最初の一号機なので、これに決めました。しばらくしたら色は増やしたいですね。

--今後の展開は?

これ(『W800』)は一号機なので、これからはソニーのオンライン・サービスで、音楽聴きながら、このアーティストについて、楽曲を買いたいとか、知りたいとか、情報がとれるとか、音楽を聴くだけではなく、携帯電話ならではのことができるようにしたいですね。

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ソニーエリクソンの挑戦(27)~2005年8月『ウォークマン携帯電話』発売。「ウォークマン」は時代遅れ?

2005年8月12日が、『ウォークマン携帯電話』発売の前日の夜、ロンドンにて、ソニーBMG所属のアーティスト、ジャミロクワイのシークレット・コンサートが開かれました。

http://ascii24.com/news/i/topi/article/2005/08/12/657505-000.html

それで、お詫びがあります。上の記事の「MP3やAACファイルの再生に対応しているで、ソニーグループが欧米で提供している音楽配信サービス“Connect”(コネクト)だけでなく、アップルコンピュータグループの“iTunes Music Store”など、他の音楽配信サービスで購入した楽曲も聞くことができる。 」で、「アップルコンピュータグループの“iTunes Music Store”など、」の部分は「著作権管理上の問題がなければ、」の間違いでした。お詫び致します。ごめんなさい。

それで、ジャミロクワイのコンサートの前に、EMEAマーケティング担当副社長を務めるステファン・ストレイト氏のプレゼンテーションがあり、同氏は、その最後を次のように締めくくりました。「どんな人でも、僕のママでさえ、ウォークマンがなんであるか、を知っています。彼女も、すでに1つ持ってます。どうやって使うか知っています。これは、とても使いやすいポータブルな音楽プレーヤーです」と。これは、つまり、同氏は、「ウォークマン」のブランドは、世代を問わず知られていることを強調するために、こうした締めくくり方をしたのだと思います。

しかし、この時のプレス・カンファランスは、IT系のジャーナリストではなく、主にヨーロッパの音楽雑誌の編集者や、音楽関連のジャーナリストを集めて行われたもので、彼らの、ほとんどは、iPodのユーザーでした。そして、ストレイト氏の、この締めくくりに対して、あるジャーナリストから質問が出ました。「iPodとiTunesの時代に、なぜWalkmanのブランドが重要なのか」と。

これに対し、ストレート氏は答えます。「それは、とても重要だと思います。これは、26年前に生み出された、ソニーの最大の資産の1つです。すでに3億7000万台のウォークマンが売られています。ウォークマンは、携帯音楽プレイヤーの代名詞です。僕のママでさえ、ウォークマンがなんであるか知ってます。でも、彼女はiPodは知りません」。

別の記者からも質問が出ました。「ママのことはわかりました。しかし、若い人たちは、どうですか? ウォークマンは、1980年代、1990年代は輝いていました。しかし、それから十年たったいま、どうなんですか」と。

ストレート氏は、答えます。「いま現在のウォークマンは、もっともトレンディなブランドとは、言い難いかもしれません。しかし、このブランドを携帯電話につけることで、これをふたたび輝かせることができる、と信じています。そうなることに自信を持っています」と。

さて、ウォークマン携帯電話は、「ウォークマン・ブランド」を再生させることができるのでしょうか? 

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ソニーエリクソンの挑戦(26)~2005年2月『ウォークマン携帯電話』発表

2005年2月に、フランスのカンヌで開催された3GSMワールド・コングレスにおいて、ソニー・エリクソンは、とても驚くべきアナウンスを行いました。それは、『ウォークマン』のブランドを冠した携帯電話を発売する、というものでした。この時の記事については、こちらをどうぞ。

http://thelightoflondon.txt-nifty.com/home/3GSM2005_001.jpg
http://thelightoflondon.txt-nifty.com/home/3GSM2005_002.jpg

この時の記者会見で、マイルス・フリント社長が"Sony Ericsson is proud to write a new chapter in the Walkman history"(ソニーエリクソンが、ウォークマンの歴史に新たな一章を加えることができるのを誇りに思います)と語ったのが、とても印象的でした。

そして質疑応答セッションで、真っ先に出た質問が、対応するコーディック形式に関することでした。ウォークマン携帯電話では、ソニー独自ATRAC3では、無くMP3とAACというオープンなフォーマットを採用することが明らかにされました。

そして私がもっとも知りたかったのは、ソニーエリクソンの携帯電話に、ウォークマンのブランドをつける、という戦略を打ち出したのはソニーなのか、ソニーエリクソンなのかということでした。この点について質問をすると、フリント社長は、「うーん、どうだったのか、よく覚えてないなぁ・・・。でも、僕は、ソニーの本社で、一生懸命プレゼンテーションをしたよ」と、いつものようにはぐらかされてしまいました。この疑問が解けるには、しばらく待たなければなりませんでした。

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ソニーエリクソンの挑戦(25)~遊び心・其の弐

London_1232005年3月に、ドイツのハノーバーで開催されたCeBITでは、カメラを搭載したボール型のリモコンカー『ROB-1』を展示していました。ブルートゥース通信機能を搭載した携帯電話で操作するリモコンカーで、半径50m以内ならば操作ができるそうです。直径11cmのボール型のボディに、カメラが搭載されていて、撮影したビデオをリアルタイムで携帯電話に伝送することもできるそうな。



London_124カメラは上方に70度、下方に20度向きを変えることができます。また、ライトが搭載されていて、暗いところでも撮影が可能とのこと。内蔵メモリに動画を記録できるほか、USBケーブルでPCにコピーすることもできます。2005年第3四半期に発売される予定で、価格は400ユーロ(5万2000円)となる見通し、とこの時点では言われてました。前に紹介したリモコンカーは『CAR-100』は、60ポンド(1万2000円)くらいで売られていたのをみたことがあるのですが、『ROB-1』を、実際に店頭でみたことはありません。もしかしたら、お蔵入りになったのかもしれません。

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2007.02.05

ソニーエリクソンの挑戦(24)~エリクソンの視点、クルト・ヘルストローム前CEOに聞く

1999年、ソニーと同じように、スウェーデンのエリクソンは、携帯端末事業の不振にあえいでいました。1999年7月に、クルト・ヘルストローム(Kurt Hellstrom)氏が、エリクソンの社長兼CEOに就任してからは、携帯端末事業の建て直しに奔走し、ジョイント・ベンチャー設立のパートナー探しに入ります。現在、ソニーエリクソンの関係者に質問をすると、両社の交渉が始まったのは「2000年9月から」という答えが返ってきます。しかし、ヘルストローム前CEOによると、それよりも早い時期に、両社のトップはコンタクトをとっていたようです。ヘルストローム氏は、エリクソンにおいて、ずっと通信システム部門の責任者でした。ですから、下記のインタビューは、エリクソンにおけるシステムの専門家からの視点ということになります。

ヘルストローム氏は、2003年にエリクソンを離れ、現在は、ご自身がロンドンに設立した会社の運営に関わっています。インタビューは、2005年8月11日の朝、ロンドンのホテルで行われました。この日の夜には、ロンドンで『ウォークマン携帯電話』の発売を記念して、ジャミロクワイのシークレット・コンサートが開かれるなど、私にとっても印象の深い日となりました(質疑応答の順序は一部入れ替えてあります)。



クルト・ヘルストローム前エリクソン社長兼CEOに聞く  (2005年8月11日、ロンドンの某ホテルにて)


--まず、ソニーエリクソン設立までの経緯について、お伺いします。

当時(1999年から2000年にかけて)、私たちは、パートナーを探していました。提携について何社とも、話し合いをしていました。私たちは、ソニーがもっともフィットする相手の一つであることに気づいていました。さらに、ミスター出井(伸之ソニー会長兼CEO・当時)、ミスター安藤(国威ソニー社長兼COO・当時)など、彼らはみな、通訳無しに、素晴らしい英語を話すことができました。最終的に、私たちは、ソニーと提携することを決めたのです。

ソニーも明らかに、エリクソンと提携したがっていました。エリクソンは、優れた電話や無線技術を持っていた。一方のソニーは、一般消費者向けエレクトロニクスのマーケティングに強みを持っていた。しかし、ソニーは、携帯電話で成功できるとは言い難かった。なぜなら、ソニーは、携帯電話の技術に関する知識をあまり持っていなかったからです。彼らは、携帯電話キャリアに供給するための携帯電話の作り方を知っていたに過ぎなかった。

私がエリクソンの社長兼CEOに就任したのが1999年7月。エリクソンの日本法人(日本エリクソン株式会社)のモーガン・ベングッソン(社長)が、ソニーと個人的な接触をはかったのが、2000年の早い時期(sometime early 2000)と記憶しています。その後、私も、ミスター出井、安藤と東京で会っています。

--あなたは、ソニー以外の会社とも、提携交渉をしましたか?

イエス。

--それは、どこですか?

当時は、誰もが提携先を探していました(Everybody was talking with everybody)。エリクソンにとっては、(隣国のライバル)ノキア以外ならば(笑)、どことでも提携する用意がありました。

--なぜ、エリクソンは、携帯電話のマーケット・シェアを落としたのですか?

エリクソンは、基本的には、通信システムの会社であったと思います。1990年代半ばに、エリクソンは、携帯端末の小型化に成功し、マーケット・シェアを拡大しました。しかし、初めから、デザインはあまりよくありませんでした。デザインを改善している間に、他社が消費者向けマーケティングの力をつけてきました。また、1998年に技術的な問題が発生しました。コンシューマー・マーケットへの理解の不足と技術的な問題により、携帯電話のシェアが落ちていったのです。

1999年に、当時、香港にいた私が呼び戻され、社長兼CEOに就任したのは、これを建て直すためでした。私たちは、コンシューマー・マーケティングに優れた提携相手を探すことを考えました。この分野で、ソニーよりも優れたブランドを探すことは難しいでしょう。ですから、ソニーと提携できたことに、とても満足しています。

--当時のソニーは、携帯電話では成功していませんでしたが。

両社が互いを必要としていました。ソニーはエリクソンの強み、つまり携帯電話技術に対する知識を必要としていました。

--あなたの見方では、ソニーはなぜ携帯電話で成功できなかったと思いますか?

私が、すべてのことを理解しているとは思いませんが、私の意見では、携帯電話事業で成功しているのは、全体のシステムとビジネスを理解している企業だけです。エリクソンは、端末から端末まで(end to end)のシステムを理解しています。携帯電話が、ネットワークの中で、どのように動作しているかを理解していることが必要です。ただ単に、携帯電話を作っているだけでは、システム全体を理解している企業に遅れをとるだけです。

--ソニーは1994年に、クァルコムとジョイント・ベンチャーを設立していますが。

そのジョイント・ベンチャーの意味は、ソニーはCDMAの端末を開発したかった点にあります。そのために、ソニーは、クァルコムの持つIP(知的財産)や特許を必要としていました。クァルコムは、多くの特許を持っていました。ただ、クァルコムは、IPや端末用チップ、端末内部のコンポーネントに関しては成功を収めたましが、彼らは、それを需用者に販売していくノウハウを理解していませんでした。ソニーが提携した当時のクァルコムは、それほど強い会社ではなかったと思います。

しかし、エリクソンとソニーが提携した時点では、エリクソンはとても強力な無線通信インフラの会社であり、ソニーは、最強の消費者向けエレクトロニクス企業でした。

--ソニーは、通信に関するIP(知的財産)を持っていないのですか?

あまり多くは持っていない。しかしエリクソンは、たくさん持っています。ソニーはパートナーが必要でした。そうでなければ、ソニーはライセンス料を支払わなければなりません。

--ソニーは、なぜライセンス料を支払うよりも、パートナーを求めたのでしょうか?

この問題は、何がベストかについての判断が分かれるところですが・・・。しかし、エリクソンと提携し、そしてソニーエリクソンという組織を設立することで、ソニーは、エリクソンの持つ、すべての特許に自由にアクセスできるようになった。これは、他社にはできないことです。

--2001年1月に、エリクソンは携帯電話の生産を、シンガポールのFlextronicsにアウトソーシングしました。

日本人にとっては、生産現場は企業の一部である、ということは理解しています。しかし、今日では、アウトソーシングは、部品を購入し組み立てる、という作業を、他社に任せることに過ぎません。

--この決定がなされたのは、ジョイント・ベンチャー設立前でしたが、ソニーはこれを知っていましたか?

これについては、たくさんの議論がありました。この点について、両社には異なる見方がありました。ソニーは、自らの工場を持ちたがっていました。このアウトソーシングを、ソニーは嫌っていました。エリクソンは、この点については、とても柔軟です。私たちは、Flextronicsと、とてもよい取引ができたと思っています。

--この決定は、ソニーとは無関係になされたのですか?

アウトソーシングの決定は、ソニーとジョイント・ベンチャーを設立する前に行われたものです。しかし、このアウトソーシングが、ジョイント・ベンチャー設立への障害にならないように努めました。現在でも、ソニーエリクソンは、たくさんのアウトソーシングを行っています。もっとも労働コストの低いところで生産できなければ、生き残ることはできません。

--ジョイント・ベンチャー設立の最終合意がなされたのは、いつですか?

2000年の終わり頃には、合意に至っていました。この頃、ジョイント・ベンチャー設立を正式にアナウンスする直前のところまでいったのですが、いくつかの論点が残っていたことから、2001年へとずれ込み、4月の発表へと至りました。その後も、立ち上げに向けて、たくさんの仕事が残っていました。

--ソニー側の交渉相手は?

ミスター安藤。ミスター出井は、報告を受けていただけのようです。両社から派遣されたチームが基本的なことについてのディスカッションを行っていました。

--両社が50%ずつ出資したのは、なぜですか?

両社ともに、携帯電話端末のビジネスにとどまっていたかったからです。ソニーの出資比率が多ければ、エリクソンは押し出され、エリクソンが多ければ、ソニーが押し出されてしまいます。両社は、独立した会社を作ろうとしたのです。親会社の支援を受けながらも、独立した経営を行う会社の設立をめざしました。

--50%ずつの出資ですと、それぞれの親会社が無関心になるケースもあると思うのですが。

携帯電話は、とても重要なマーケットなので、そういう心配はありませんでした。

--ジョイント・ベンチャー設立の発表がなされてから、スウェーデンのメディアは、どういう反応を示しましたか?

懐疑的なものが多かった。50%ずつの出資という点についてや、ソニーは携帯電話事業において、あまり貢献できないのではないか、という意見もありました。しかし、今では、とても高い評価を受けています。高機能の高価格機種に焦点を絞った戦略は、間違っていないと思います。そして、今やウォークマン・ブランドの携帯電話も発売します。将来に向けての可能性は、たくさんあると思います。他のライバルは、こうした強力なブランドを持っていません。

エリクソンがソニーと提携した後で、他社も、同じようにアジアの企業との提携を模索していたことを、私は知っています。なぜなら、アジアは将来、大きなマーケットに発展する可能性を持っていたからです。しかし、これはとても難しいことでした。

ソニーのカルチャーは、とてもインターナショナルなものです。私は、他の日本のメーカーとも、交渉をしましたが、ボード・ミーティング(相互の役員による会議)になると、日本側は日本語で、私たちは英語で、通訳を介して話し合うことになります。これは、とても時間がかかるものでした。私たちは、残念ながら日本語が話せませんが、ソニーの役員たちは、みな英語が流暢です。ですから、テーブル越しに直接対話が行えます。これが、ソニーにとっては、とても大きなアドバンテージでした。

--社名のソニーエリクソンは、どのようにして決まったのですか?

まったく新しい名前を求めたかどうかは、覚えていません。両社ともに、「ソニー」と「エリクソン」のブランドを活かしたいと考えていました。ソニーもエリクソンも、どちらの名前が初めに来るかについては、こだわりはありませんでした。しかし、「ソニー エリクソン」というのは、誰かの名前のようでいいんじゃないかと思います(笑)。

--ヘッド・クォーターが、ロンドンになったのは?

提携交渉の際には、あまり大きな問題にはなりませんでした。それはソニーエリクソン自身の判断だったと思います。もしスウェーデンにヘッド・クォーターがあったら、エリクソン色が強くなるし、日本にあればソニーの子会社のように思われてしまいます。ですから、中立的な場所が必要だったと思います。

--井原勝美氏が初代社長としてソニーから派遣されましたが。

彼については、以前から知っていたわけではありませんが、交渉の過程ですでに重要な役割を果たしていました。私が、彼と直接話をしたのは、交渉の最後だったと思います。ソニーが彼をCEOに推薦したので、我々はそれを受け入れました。彼は、とても強力な人物で、ソニーが、そうした人材をCEOに送り込んできたことは、それほどソニーエリクソンを大事に思っていることの表れだと理解しています。

--エリクソン側からの人材は?

まず私が会長をつとめました。また、セールスとマーケティングを統括する副社長には、ヤン・ワラビーを指名しました。彼は、私が、エリクソンのCEOになった時に、端末事業の責任者に指名しました。彼は、とても精力的な人物です。

--日本人とスウェーデン人は、うまく交流できましたか?

トップ・マネジメントのレベルでは、とてもまとまっていたと思います。しかし、一般の社員のレベルでは、クロス・カルチャー(異文化交流)のためのトレーニングを行いました。私は詳しくは知りませんが、日本の文化とスウェーデンの文化、それぞれを理解するための時間を設けたようです。

--2003年春の製品からは、ソニーらしいデザインになったと思います。

それこそが、私たちが当初から意図していたことです。そこに至るまでに2年間という、とても長い時間がかかりました。アナリストや、その他の部外者は、こうしたことは、四半期か半年で行うべきだと言いました。しかし、製品にはサイクルがあり、切り替えるには、少なくとも2年はかかります。

--デザインに関する両社の取り組み方の違いは?

ソニーとエリクソンの最大の違いは、ソニーは消費者オリエンテッドの企業であり、トップが、さまざまな製品を実際に見ます。しかしエリクソンは、システムの会社で、製品のコンポーネントを見るくらいしかしません。2つの異なる文化は、とても異なる文化です。

--ソニーのコンテンツにも魅力を感じていましたか?

私たちは、コンテンツの利用についても、議論しました。携帯電話業界においては、コンテンツを持っている企業は、ほかにはありません。ソニーの持つコンテンツは、ソニーエリクソンに、いろいろな可能性を与えてくれています。もちろん、ソニーもソニーエリクソンにコンテンツを提供することで、利益を上げられます。

--シェアの拡大はできますか?

個人的には、ソニーエリクソンが、20ドルとか15ドルといった低価格の機種を販売するのはリスキーだと思います。私だったら、そんなことはしないと思います。

--会社設立時には、シェアでノキアを追い越すと言っていましたが。

もちろん、ああいう時は、ちょっと強気でいくものだと思います(笑)。しかし、ソニーエリクソンの売り上げの伸びは、ノキアを上回っています。ノキアはあらゆるセグメントをフォローしなければなりません。しかし、ソニーエリクソンは、付加価値の高い機種を売って、利益をあげています。

--エリクソンは、2002年に、ソニーエリクソンから資本を引き上げる、と言われていましたが。

イエス。しかし、携帯電話事業において重要なことは、前にも言ったようにエンド・トゥ・エンドのソリューションが必要であり、1つの端末から別の端末まで、すべてを機能させなければなりません。ソニーエリクソンは、エリクソンの開発する新しい通信システムを試すことができます。もしソニーが、ソニーエリクソンを完全に子会社にしたら、システム事業を行える企業と密接な関係を維持しなければ、危険です。ノキアは、システムと端末、両方を理解しています。

そして、もしエリクソンがソニーエリクソンを支配したとしても、消費者向けのマーケティングがうまくいかなくなるでしょう。また、ソニーのコンテンツも利用できなくなってしまいます。

エリクソンは、1999年に危機に直面しました。携帯端末のトラブルが引き金でしたが、それにITバブルの崩壊も加わりました。エリクソンは、困難な時期に直面しましたが、いまでも携帯電話インフラに関しては、最強の会社だと思います。しかし、もし私たちが、ソニーのようなパートナー見つけ、ソニーエリクソンを作っていなかったとしたら、エリクソンは、今頃は、端末事業から撤退していたと思います。

私は、すでにエリクソンから離れて2年立っています。ですから、ソニーエリクソンについては、結果しか知ることができませんが、良い業績をあげていると思います。また、商品のラインナップも目にすることがあります。それらは、とても調和がとれていて、独自のアイデンティティを作りあげています。それはソニーでもなく、エリクソンでもなく、ソニーエリクソン独自のものです(It's not a SONY, it's not an Ericsson, but it's a Sony Ericsson)。

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2007.02.04

ソニーエリクソンの挑戦(23)~2004年11月、北欧デザイン?の『802SE』

London_122英ボーダフォンが満を持してグローバルに投入した3G(W-CDMA/GSM)の携帯電話が、『802SE』でした、イギリスでは『V800』として発売されました。これは、日本では、「北欧デザイン」と称して販売されたのですが、しかし、実際のところヨーロッパでも、後にも先にも、こんなゴツイ折り畳み式の携帯電話を見たことがありません。その後、『Z800』として、他のキャリア向けの製品も発売されたのですが、ヒットしたとは言い難かった携帯電話です。私自身も、英ボーダフォンのグローバルな展開に期待をしていたのですが、特に日本市場では、ユーザー・インターフェースの使い勝手が悪く、評判もあまりよくなかったような・・・。

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ソニーエリクソンの挑戦(22)~2001年10月、ソニエリ設立の頃

2001年10月に、ソニー・エリクソン・モバイル・コミュニケーションズが設立されましたが、発足当時の社内は、どんな雰囲気だったのでしょうか? 以下は、設立から2003年8月まで、ロンドンで広報を担当されていた菅野哲央氏(現在はソニーで広報担当)の証言です。

--ヘッド・クォーターがロンドンになった理由は?

一つは、中立的なイメージを保ちたかったということがあります。東京がヘッド・クォーター、あるいは、スウェーデンのストックホルムや、開発拠点のルンドが、ヘッド・クォーターというよりは、もう少しインターナショナルで中立的なところがいい、というのがありました。また、ソニーエリクソンは、グローバル・カンパニーとして始まったため、トップ・マネジメント中心に、世界中を飛び回らなければなりませんでした。ですから、ロンドンは交通の便が良かった、ということもあったようです。アメリカに行くにも、東京に行くにも、スウェーデンに行くにも便利でした。スウェーデンからの場合、ルンドはコペンハーゲンが近いので、そこから東京への直行便が出ているのですが、ストックホルム-東京の直行便は無いんですね。そうするとストックホルムから東京に行く時は、パリとか、ロンドンとか、フランクフルトなどを経由して行くことになるので、1ステップ入るため出張の手間がかかってしまいます。ロンドンですと、当然ヨーロッパ中にアクセスできるし、主要な国際ハブ空港、東京やアメリカを含め、いろいろなところに行けるので便利だった、というのはあります。

--会社が設立された頃の人員構成は?

グローバルで4000人いて、そのうちソニーが1000人、エリクソンが3000人。ソニーの1000人のうち、700人が日本法人の所属ですから、GSMのグローバルなビジネスに関わっていたソニー出身者は、300人弱です。GSMに関しては、商品企画やコンテンツ、アプリケーションなどのポジジョンは、ソニー出身者が占めていました。もちろん他の同等のポジジョンは、エリクソン出身者もいましたので、すべてのポジジョンをソニーが独占したわけではありませんが。

--設立当時の社内の雰囲気はどんな感じでしたか?

ソニーエリクソンというのは、鳴り物入りで設立された会社ですから、ぜがひでも成功させなけないといけない、と思っていました。それぞれのカルチャーの違いを、いかにうまく融合させるか、ということにかなりのエネルギーを割いていました。『カルチュラル・インテグレーション』ということで、それぞれのリファレンス・カルチャーを理解して、みんながハッピーになるには、どうしたら良いか、外から専門家を呼んでレクチャーを受けたりしました。人事にも、そういうことを専門に担当している人がいて、たえず、みんながそういうことを意識しながら、「これがうまくいくことが会社の成功につながる」と、そういう側面がありました。会社が発足してからは、定期的に・・・、2-3カ月に1回は、人事などがコーディネイトして、ロンドンやスウェーデンなど、いろいろな場所で、先生の話を聞いて、ワークショップなんかをやったりしました。お互いに違うことを意識しながらも、うまく融合しないといけないという意識は、みんなが強烈に持っていました。

--ソニーというのは、グローバルな会社で、『カルチュラル・インテグレーション』は、得意だったと思うのですが?

会社の姿勢として持っているものと、そこにいる個人個人が、とけ込んでうまく動くため、というのは、また別のことですよね。ソニーエリクソンに集められた人たちは個々の経験がバラバラで、カルチュラル・インテグレーションの経験を持っていても、自分の属する組織の中でうまくやっていくには、常に求められるテーマだと思います。会社として、カルチュラル・インテグレーションの経験があるかということに加えて、実際に、そういうことをやることは必要だったと思います。

--文化的なこと以外で、ソニー出身、エリクソン出身といったことから生じる軋轢はありましたか?

いろいろなところでコンフリクトはありました。しかし、それはマネージしていこうと。けっこう人事がらみなんかで、人事のヘッドなんかは、かなりこういった文化的な違いとかに、やっぱり心を砕いていましたね。ただ、それぞれの出身会社に持っている誇り、というかプライドみたいなものが、干渉したという気はしないですね。むしろ、もっと根本的な文化的なことの方に配慮がされていたし、そっちの方が大きかった、という気がします。ビジネス立ち上げの時に、自分のもともといた会社がどうのこうのって、あんまり関係ないんじゃないか、と思います。やはり重要なミッションをおびて、それぞれの親会社から、期待されて立ち上げなければならない会社に入った。頑張らなきゃいけない、という気持ちは、あったと思います。私はエリクソンにいたんだ、ソニーにいたんだ、というようなことを思っている人は、あまり見受けられませんでした。私も、あまりそういうことを思ったことはありませんでした。

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2007.02.03

ソニーエリクソンの挑戦(21)~2004年7月、英シンビアン社への増資

London_1212004年7月15日に開かれた記者発表会では、スマートフォン『P990』の後継モデルとして、『P910』が発表されました。ソニーエリクソンのスマートフォンは、SymbainというOSにより作動するものです。

この時期、このSymbian OSを開発しているイギリスのSymbian社に、ソニーエリクソンなど携帯電話メーカーは増資を行います。もともとSymbian社は、日本にもマニアがいた『Psion』(サイオン)というPDAを開発している、イギリスのPsion(サイオン)という会社と、携帯電話メーカーの共同出資により設立されました。



London_120当初は、米モトローラも出資していましたが、2003年秋に、袂をわかちます。そして、英Psion社は32%出資していましたが、この時期に、株式を売却する意向を示しました。当初は、ノキアがすべて引き受けるという案もありましたが、そうするとノキアの出資比率が50%を超えることになり、ノキアの子会社、つまり英Symbian社の中立性が失われることになります。これを防ぐために、ノキア以外の出資会社、ソニーエリクソン、エリクソン、松下電器、サムスン電子、シーメンスも増資を行うことになりました。この背景には、「スマートフォン向けのOSを提供する会社として、独立性が保たれるべきである」(ソニーエリクソンのマイルス・フリント社長)という判断がありました。

現在の英Symbain社への出資比率は、ノキア47.9%、エリクソン15.6%、ソニーエリクソン13.1%、松下電器10.5%、シーメンス8.4%、サムスン電子4.5%となっています。

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ソニーエリクソンの挑戦(20)~1999-2001年、ソニーの事情

1999年7月に、北米でのCDMA事業からの撤退を決定したソニーは、携帯電話事業のリソースを、日本を含むアジア・欧州・オセアニアに集中させる、第三世代技術は日本と北米向けのCDMA2000、日本と欧州向けのW-CDMAに重点を置く、という方針を打ち出します。

ソニーは日本国内向けでは、1999年頃までは、KDDI向けのCDMA端末の開発を優先していたようです。しかし、2000年には、NTTドコモ向けの端末を、4年ぶりに開発することになります。これが『SO502i WM』という機種です。末尾の『WM』は、ウォークマンの略ではなく、『With Music』の略なのだそうですが、音楽再生機能を重視した携帯電話というアイデア自体は、この頃からありました。

2000年には、NTTドコモ向けの携帯電話を発売したこともあり、ソニーの携帯電話事業も、それなりの存在感を示していたようです。しかし、2001年に入ると、次々と携帯電話の不具合が発生し、リコールが続きます。1-6月だけで、リコールは113万台にのぼったそうです。そんなさなかの2001年4月に、ソニーとエリクソンの合弁設立が発表され、2001年10月のソニー・エリクソン・モバイル・コミュニケーションズの設立へと至ったわけです。

ちなみに1999年7月に、米国のCDMA事業からの撤退を決定したのは、当時ソニーで携帯電話事業を統括していた井原勝美氏でした。ソニーも恐ろしい会社ですよね。不採算だった米国の携帯電話事業の撤退を決めた人物に、新たな合弁の立ち上げを命ずるのですから。井原氏も、これに失敗したら、どうなるか骨身にしみてわかっていたと思います。そう、あの南極探検船エンデュアランス号の募集広告の文言が思い返されます。

--暗黒の長い日々。絶えざる危険。生還の保証なし。

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2007.02.02

ソニーエリクソンの挑戦(19)~2004年、みたびアメリカへ

ソニーとしては、1999年に北米のCDMA事業から撤退。ソニーエリクソンとしても、2003年に、北米のCDMA事業から撤退と、2度北米からの撤退を経験しています。しかし、2003年に北米でのCDMA端末販売を停止してからも、北米市場向けのGSM端末は、開発・製造を続けています。そして、2004年に行われた記者発表では、欧州向けの新製品よりも、北米向けの新製品の方が、多いことすらありました。型番だけ記述しておくと、2004年3月9日は『T237』、『Z500』、『T637』。2004年7月15日は『S710a』、『P9120a』などです。

London_119そして、左の表は、ソニーエリクソンの決算を示したものですが、2003年に北米のCDMA事業から撤退したにもかかわらず、2004年12月期のアメリカでの売り上げは、2003年12月期を上回っています。1994年にクァルコムとの合弁を設立した時から考えると、ソニーエリクソンの経営が軌道に乗るまでに、実に10年もかかっています。しかし、この間の投資は、決して無駄ではなかったと言えます。それどころか、携帯電話や無線事業が、今後のソ二ーの戦略にとって、重要な役割を担うものであることは言うまでもありません。

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ソニーエリクソンの挑戦(18)~1999年7月、北米からの撤退

1994年2月に設立されたソニーと米クァルコムのジョイント・ベンチャー、「クァルコム・パーソナル・エレクトロニクス」(QPE)は、その後どうなったのか? ソニーは1999年7月に、北米の携帯電話事業からの撤退を決定、これを受けて、クァルコムも携帯電話の製造から撤退します。この経緯については、前回紹介した"The QUALCOMM EQUATION"で詳しく述べられています。以下は、その要訳です。

「1994年にスタートした、ソニーとクァルコムのジョイント・ベンチャー、クァルコム・パーソナル・エレクトロニクス(QPE)は、さまざまな問題を抱えていた。1997年の前半までは、QPEと、そのパートナーだけが、アメリカ市場向けにCDMA対応の携帯電話を生産していた。しかし、1997年の後半から1998年の前半になると、ノキア、モトローラ、サムスンを含む何社もが、CDMA端末を発売し始めた。1997年と1998年には、携帯電話市場の拡大が予想されたため、部品の不足が常態となり、生産量の少ないクァルコムにとっては、組立ラインを稼働させることが難しくなっていた。クァルコムが、当時人気のあったGSMやTDMAと同じようなスマートでコンパクトなデザインの製品を作ることに苦労しているうちに、開発や製造コストが、利益を浸食し始めていた。多くの国際的な企業が、より低い労働コストで、CDMA端末の生産を行うようになっており、アメリカの労働者の給与水準では、クァルコムは競争力を維持できなくなっていた。

日々の操業に関する問題に加え、モトローラにより、デザインに関連した訴訟を起こされていた。この訴訟は、「Q Phone」という小型の折り畳み式携帯電話が、モトローラの「StarTac」というモデルの特許を侵害している、という主張に基づいていた。クァルコムは、また、携帯電話の注文の、激しい季節的変動にも苦しめられ、短期間に、数百人の労働者の解雇と再雇用を繰り返していた。QPEは、競合他社と比べて、依然として小規模だったことから、季節的変動を簡単に吸収できず、市場の変化が収益性に影響を及ぼしていた。

QPEのパートナーシップにおいて、ソニーの側も、また、あまりうまくいっていなかった。QPEを通じての共同開発・生産に加えて、両社とも、それぞれ独立して、携帯電話の開発と発売を行っていた。ソニーの携帯電話は、部品の不足と品質問題により、概して、市場投入が遅れがちであった。発売されたとしても、スタイルや機能が、市場のニーズからはずれたものとなっていた。

予測されうる事態の前兆は、1999年7月に起きた。ソニーは、北米のCDMA事業からの撤退を決め、予告していた製品の発売を取りやめた。携帯電話の生産面での問題から、ソニーは北米市場から退場し、ソニー本社のもとで、携帯電話事業の再編を行うことにした。ソニーは、QPEのジョイント・ベンチャーは維持し、その時点では、携帯電話の生産増加を望んでいたクァルコムに、その製造ラインを引き継いだ。このことは、短期的には、クァルコムの生産能力を引き上げたが、端末事業は、同社に損失を与え続けることを示唆していた。もし、ソニーのような消費者向けエレクトロニクス・メーカーが、端末事業で成功しえないのならば、クァルコムは、どうやって、それを継続させられるのだろうか?

さまざまな戦略的オプションのうち、もっとも賢明な選択は、端末事業を売却することだった。1999年12月、携帯電話事業は、日本の京セラに売却される、という発表がなされた。京セラは、端末事業における主要メーカーではなく、アメリカ市場にも存在感はなかったにもかかわらず、日本におけるCDMA携帯電話の有望な玄関であった。京セラは、クァルコムの使用していた装置や設備を引き継いだだけでなく、3年間の従業員の雇用も保証した」(The QUALCOMM EQUATION pp.146-148)

ソニーとクァルコムのジョイント・ベンチャーが、抱えていた問題は、QPEへの出資比率がクァルコム51%、ソニー49%と、クァルコムが主、ソニーが従の関係にあったことがあげられます。また、QPEを通して、携帯電話の共同開発と生産を行っていた上に、ソニー、クァルコムともに、それぞれ独立して、携帯電話の開発・発売を行っていたことが、リソースの分散や、パートナーとの競合といった問題を招きました。こうした反省を踏まえて、ソニーエリクソンでは、ソニーとエリクソンが、それぞれ50%ずつ出資することで中立を保ち、また、両親会社は完全に携帯電話の端末事業から撤退することで、資源の分散や、パートナーとの競合といった問題の発生を防いでいます。

また、ソニーとは別に、エリクソンも、クァルコムとは因縁があって、特許に関する係争を解決するために、クァルコムは、1999年3月に、北米における携帯電話のインフラ事業をエリクソンに売却しています。端末事業の売却とあわせ、クァルコムは、完全に生産からは手を引いたことになります。

そして余談ですが、京セラが、クァルコムから買い取った工場は、その後、どうなったのでしょうか? 実は2005年6月に、携帯電話の生産を中止し、シンガポールのFextronics社に、アウトソーシングすることが発表されています。

http://www.kyocera.co.jp/ir/news/pdf/kwc050505.pdf

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2007.02.01

ソニーエリクソンの挑戦(17)~2004年4月、フリント社長にバトンタッチ

2004年4月27日に、ソニーエリクソンの井原勝美社長は、副社長兼CSO兼CFOとしてソニーに復帰するというアナウンスがありました。後任の社長は、マイルス・フリント氏で、手続き上は、2004年6月に正式に異動となるのですが、実質的には、この時から、社長としての業務の引き継ぎが始まったようです。

この発表の際のニュース・リリースによると、マイルス・フリント氏は、ソニー・ヨーロッパのエレクトロニクス部門の欧州マーケティングのプレジデントを勤めていたそうです。

それで、2005年10月に開かれたプレス向けのパーティーの場で、フリント社長に、「どういう経緯で、ソニーエリクソンの社長になることになったのですか?」と尋ねました。すると、「安藤さん(安藤国威ソニー社長(当時))から、電話がかかってきて、『ソニーエリクソンの社長をやって欲しい』と言われたので、『いいですよ』と答えた」というのがフリント社長の答えでした。

これ本当かなぁ、単にフリント社長に、はぐらかされだけなのかも、とも思うのですが、過去に出版されているソニー関連の本を読むと、社長じきじきに「これやって欲しい」と言われて、その仕事の責任者になった、というシーンがたくさん出てくるので、フリント社長の言っていることは、やはり本当なんだろうと思います。

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ソニーエリクソンの挑戦(16)~1998年2月、次世代端末『Cosmo』発表

ソニーは、1998年2月、米アトランタで開かれた"Wireless '98"というイベントで次世代端末のコンセプト・モデル『Cosm』を発表し、メディアの注目を集めました。これに関する記事が、サンディエゴのコミュニティ誌『サンディエゴ・メトロポリタン・マガジン』1998年4月に掲載されました。以下は、その抄訳です。

"Sony's Mastery"
http://www.sandiegometro.com/1998/apr/coverstory.html

もしサンディエゴが、「ソニー・ウエスト」の心臓ならば、佐藤裕は、その目と言えよう。その目は、まもなく到来するデジタル・レボリューションの地平線を、レーザーのように鋭く見据えている。佐藤はソニーを体現している。両者はともに若い。佐藤49歳、ソニー52歳。両者は欠点が無く、未来に向かって一直線に突き進んでいる。日本のエレクトロニクスの巨人を、来るべきデジタル・ワイヤレス・ワールドに導く役割を担った者として、佐藤からは、静かな自信がにじみ出ている。それは、サンディエゴにいる、多くのソニーの「ベスト・アンド・ブライテスト」達には、珍しいものではなかった。

ソニーとサンディエゴの関係は、最近の技術的進歩のあらゆる側面で見て取れるが、通信ほど、このつながりが明らかな分野はほかにはない。ソニーは、テレコム業界のゴリラ、クァルコムと提携し、1994年にジョイント・ベンチャーを設立した。そして、ソニーは、佐藤を、ソニー・エレクトロニクスの新しいワイヤレス・テレコミュニケーション・カンパニーの社長として、派遣した。

 「サンディエゴは、新しい通信技術の先端をいっている。我々が、ここにいるのは、とても意味のあることだ」と、技術革新とマーケット・ニーズを知りつくしている佐藤は語る。1986年、ソニー製品の聖杯ともいえるウォークマンで、アメリカの消費者の心をつかんだことにより、佐藤は、ソニーの社内表彰を受けている。それは、米国におけるウォークマンの累計販売台数が、1000万台に達した年であった。

次世代のウォークマン?

ソニーの誰もが公には口にしないが、佐藤とエンジニアたちは、次世代のウォークマンを考えているようだ。それは、"Cosm"と呼ばれる、TV番組『スター・トレック』から飛び出してきたような、パーム・サイズの通信機器であった。すでに、それはワイヤレス業界を騒がせていた。

London_1182月に開かれた"Wireless '98"でコンセプト・フォンとして公開された、メイド・イン・サンディエゴのCosmは、大人でさえ、クリスマスの朝の子供のように喜ばせるものだった。ワシントン・ポスト紙は、Cosmを、「そのショーにおける、スターだった」と表現した。しかし、同紙は、それをどのようにカテゴライズするか困り、「ポケット・フォン/ウェブ・ブラウザー/カメラ/パームトップ・オーガナイザー」と表現した。ワイヤレス・ウィーク誌は、「Cosmが通信業界をゆさぶった」と記した。

佐藤自身は、Cosmに満足していたが、依然として、それは開発段階であり、その機能を活かすための高速ワイヤレス通信網は、まだ確立されていなかった。実際のところ、展示されたプロトタイプは、実働モデルでは無かった。実働モデルの開発は、キャンパスと呼ばれる、サンディエゴのソニー・テクノロジー・センターで進められていた。

ソニーは、携帯電話キャリアのスプリントと提携し、この夏にもCosmの技術試験を行う予定だ。佐藤は、Cosmの試験の成功により、第三世代の通信技術の普及に加速がかかることを期待していた。Cosmは、1999年に発売される予定で、生産はサンディエゴで行われることになっていた。

クァルコムは、消費者向けエレクトロニクスでは新参者だったが、ソニーの技術革新力とマーケティング力の恩恵を得ていた。ソニーは、1996年に、外国企業として初めて、アメリカ人に、もっとも好まれるブランドに選ばれていた。

サンディエゴのトップ・ツーが、クァルコム・パーソナル・エレクトロニクス(QPE)を1994年に設立した時、この結婚は、この上なくハッピーなものだった。アメリカには6000万人の携帯電話ユーザーがおり、その数は、2000年に1億人に達すると予測されていた。携帯電話キャリアにアピールするには、生産台数の増加がカギを握っていた。

「この市場はとても競争が激しい」と佐藤は説明する。「だから、共同生産によって、大量生産ができるようになるのは、非常に良いことだ」。QPEから出荷される携帯電話は、月産40万台という目もくらむような台数だが、これにより、「競争的な価格をつけられるようになる」と佐藤は、つけ加えた。

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2007.01.31

ソニーエリクソンの挑戦(15)~2004年3月、日本モデルの欧州への進出

2004年3月9日にロンドンで開かれた記者会見では、回転式の『S700』というモデルが発表されました。これは、日本では2003年夏に『SO505i』として発売されたもので、ソニー・エリクソンにとっては、日本モデルの欧州進出第一号となりました。ジョグタイヤルのかわりに十字キーなど、細かいデザインは異なっています。

http://k-tai.ascii24.com/k-tai/news/2004/03/10/648629-000.html

ソニー・エリクソンは、設立の経緯から、GSMを担当する組織と、日本市場を担当する組織が分かれており、それぞれのマーケットの特性などから、あまり交流は無いようです。その後のラインナップを見ても、『SO505』から『S700』への移行は、ソニー・エリクソンにとっても珍しいケースだったと言えます。

[2007年1月31日追記]本日、ソニー・エリクソンが、インドに生産拠点を開設する、という発表を行いました。実際の生産は、アウトソーシングのパートナーであるFlextronicsとFoxconnによって行われますが・・・。2004年3月9日の記者会見のメモを読み返していたら、「中国やインドなどの新興市場への対応はどうするのか?」という質問が記者から出て、井原社長が、「中国には生産拠点があるので、インドも、それで賄う」と答えていたのを思い出しました。そのソニー・エリクソンが、いまやインドに生産拠点を持つ。何というか、「思えば遠くに来たもんだ」という感じで感慨深いですね。

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ソニーエリクソンの挑戦(14)~1994年2月、米クァルコムとのジョイント・ベンチャー設立

これは意外と知られていないことなのですが(私もソニー・エリクソンについて調べるまでは、知りませんでした)、ソニーは1994年にアメリカで、米クァルコムとジョイント・ベンチャーを設立し、CDMA対応携帯電話の生産を行っていました。

クァルコムといえば、現在は、端末の生産からは撤退し、CDMAに関する特許料収入と、携帯電話向けベースバンドチップの開発・販売、アプリケーション・プラットホーム「BREW」の技術供与などが、主な事業の柱となっています。

このクァルコムとソニーが1994年に設立した合弁会社「クァルコム・パーソナル・エレクトロニクス」(Qualcomm Personal Electronics=QPE)については、"The QUALCOMM EQUATION"(クアルコムの方程式、デーブ・モック著、AMACOM 2005年)において触れられています。以下は、同書pp.114-115の拙訳です。

「世界のすべてのグローバル企業の中でも、クァルコムにとって、ジョイント・ベンチャーを設立する最良の機会は、サンディエゴの本社から通りを下ってすぐのところにあった。1993年末、クァルコムは、ソニー・コーポレーションのアメリカ・オフィスとジョイント・ベンチャーに関する話し合いを始めた(ソニーは、すでにクァルコムとCDMAを採用する契約を結んでいた)。
 1970年代から、サンディエゴを拠点としていたソニーは、CDMA方式の携帯電話を製造する上で、最高のパートナーだと思われた。その日本を代表する大企業は、強力なブランドを持つ、世界トップの消費者向けエレクトロニクス・メーカーとして君臨していた。そして、幸いにも、ソニーは、CDMA対応携帯電話の製造を望みながらも、その能力に欠けていた。
 ソニーは、テレビや、その他の家電製品を製造するためにの生産設備を、サンディエゴと、メキシコのティジアナに保有していた。そのため、携帯電話のデザインや製造を地元で行うことができ、これは製品をマーケットにすぐ投入できるという点で、大きなアドバンテージとなった。
 そして、またソニーも、先進的な通信分野への進出を望んでいた。ソニーのアメリカにおける事業は、いくつかの分野において活発であり、ソニーのカッティング・エッジ(先進的)なスタイルは、クァルコムの革新的なCDMA技術にふさわしいものだった。
 果たすべき役割と義務に関する集中的な交渉を経て、1994年2月、両者のパートナーシップは、ジョイント・ベンチャーとして結実した。こうして、ソニーが49%、クァルコムが51%出資するクァルコム・パーソナル・エレクトロニクス(QPE)は誕生した。両社は、このジョイント・ベンチャーに、あわせて2500万ドルの投資を行い、それぞれの社内の当該部門を移管させた。クァルコムとソニーは、1995年前半までに、このジョイント・ベンチャーに生産能力を備えさせるために、3600万ドルの融資も保証した。
 (携帯キャリアの)US WESTから、すでに端末の注文が入っていたことから、QPEは、生産を開始するために必要な、装置、人材、そして設備を購入していった。(中略)両社のパートナーシップは、技術の移管、数千人の人材確保、サンディエゴにおける先進的な工場の開設へと突き進んでいった。
 そしてソニーは、ワイヤレス・コミュニケーションのリーダーになるという重要な戦略の一環として、1995年、佐藤裕、ウォークマンの成功を支えた天才(The Prodigy behind the Walkman's success)、をQPEの指揮を執らせるために派遣した--。

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2007.01.29

ソニーエリクソンの挑戦(13)~インターミッション

これまでソニーエリクソンについて、主に2003年に起きたことを中心に述べてきました。2004年というのは、同社にとっても比較的順調な年で、マイルス・フリント氏が新しい社長に就任したり、新製品のラインナップが増えたりと、話題は豊富ですが、しかし、2005年2月の3GSMにおいて「ウォークマン携帯電話」発売のアナウンスをするまでは、比較的地味な話題が続きます。

そこで、これからしばらくは、2004年の出来事と、2001年10月にソニーエリクソンが設立される以前の出来事とを、交互に紹介していきたいと思います。映画で言うと、『ゴッドファーザー Part.2』のように、第一作目の『ゴッドファーザー』を踏まえて、その後のストーリーと、それ以前のストーリーを交互に描いていくようなかたちとなります。

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2007.01.28

ソニーエリクソンの挑戦(12)~井原氏はソニーの次期社長候補なのか?

わかりません(笑)。私は、昔、とあるビジネス誌で記者をやっておりまして、そこでは、しばしば担当会社の社長人事の予測記事を書くことがありました。そういう場合は、業界の噂話や、いわゆる新聞辞令を紹介することになります。これが、当たることもあれば、まったく当たらないこともありました。

また、自分が所属していた会社でも、社長や役員人事などで、まったく予想のつかない人事が行われることがあり、「自分の会社の人事すらわからないのに、よその会社の人事なんかわかるわけないよなぁ」と思ったものです。

ただ、井原勝美ソニー副社長が、ソニーの次期社長ではないか、という見方をする方もいらっしゃいますので、それについて考察をしたいと思います。

たとえばジャーナリストの大河原克之氏は『ソニースピリットはよみがえるか』(日経BP社、2005年6月20日)において、2005年3月のソニーの役員人事について、次のように分析しています。

「しかし、筆者がソニーおよびソニー関係者を取材する中で得た情報を総合すると、次のようなストーリーが浮かびあがってくる。07年度から、井原勝美副社長を社長とする"本格政権"を立てる。その地ならしとして必要なリストラを、ストリンガー次期(原文ママ)CEOが短期決戦で遂行する。同時に、ソニーらしい強い製品を作るための体制整備を、中鉢次期(原文ママ)社長が中長期で進める、というものだ。
 ・・・ソニーが創立60周年を迎え、TR60を終了するのが06年。その次の年、つまりソニーの創業61年目に、井原副社長は57歳となる。出井会長(原文ママ)がCEOに就任した年齢、そして、中鉢氏が社長に就任するのと同じ年齢だ。"本格政権"を担うには、ちょうどよい頃合いと言える」(P.197, P.202)

この大河原氏の説で行くと、井原副社長は、今年、社長に就任することになりますが、どうなんでしょうか? 私は、時期はともかくとしても、井原副社長が実績から言って、ソニー社長になってもおかしくはないと思っています。しかし、井原副社長は、ソニー社内では、いわゆる「管理屋」に属しており、「ソニーのトップは、やはり技術がわかる人がいい」との意見が出てくるかもしれません。

この点については、どう判断すべきでしょうか? どういうわけか、私はソニーの社内報を入手しておりまして、そこから、井原氏が副社長に就任した時のインタビューの一部を紹介しておきます。

「私のバックグラウンドは『理科系』
 高校時代は、数学と物理が大好きな理科系少年でした。ですから大学は、「素粒子」という物理学を勉強したくて理科系の大学に入ったのです。ところがちょうど大学紛争の真只中で、その年の年末まで授業が始まらなかったんですよ。その頃から志が変わり、物理学から経営工学という分野、特にソフトウェア工学の勉強をし始めました。ソニーに入社して驚いたのは、私のバックグラウンドは理科系なのに、経営工学を専攻したため文化系と勘違いされるのです。ソニーに入ったら違う看板を掲げられた、という感じがします(笑)。」

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ソニーエリクソンの挑戦(11)~ソニエリとブラビアの共通点

井原勝美ソニーエリクソン社長のインタビューの内容については、いろいろと検証すべきところもあるのですが、その中でも、一つのポイントと言える部分を考察してみたいと思います。それは、生産面にかかわる部分で

「変動が激しいですからね。市場の。それで、のんびりしたオーダー・ルールでやっていないから。短期ですごくたくさん作ったり、すとんと落ちたり、そういうことがありますから、そういう変動に追随していくということが、なかなか容易なことではないですね。」

携帯電話のようなコモディティ化が激しく、かつ他品種を生産しなければならない商品は、マーケット、それも世界各国のマーケットの動向をにらみながら、どの機種を、どれだけ生産するのかを、瞬時に判断し、厳密に生産・流通させていく必要があります。

また、井原氏は、ソニー復帰後に液晶テレビ『ブラビア』を担当されて、落ち込んでいたソニーの液晶テレビのシェアを回復させたことでも知られてます。私は、昨年3月に、スペインにあるブラビアの工場を見学させていただきました。

http://blogs.itmedia.co.jp/london/2006/03/post_da10.html

この時、工場長に、ソニー本社にどれくらいの頻度で、生産や販売の情報をあげているのか? と質問したのですが、「そういう質問は、広報の許可が無いと話せません」とニヤニヤと笑みを浮かべながら、はぐらかされてしまいました。しかし、おそらくソニーエリクソンの携帯電話と同じように、かなり厳密なデータをソニー本社にあげて、生産や販売の量をコントロールしているのではないかと推測されます。

これまでのソニーの商品と言えば、テープ・レコーダー、トランジスター・ラジオ、トリニトロンTV、ウォークマン、ハンディ・カム、サイバー・ショット、プレイステーション、平面ブラウン管ヴェガなどなど、優れた機能や性能を持つ製品で、ヒットを飛ばし、他社がなかなか追いつけない間に、ブランドを確立し、他社が追いついた頃には、他社製品よりも高く販売できるようになっている、というものが多かったと思います。もちろん生産・流通の管理は、ソニーをはじめどこのメーカーでも日々行っていることは言うまでもありません。

しかし、ソニーエリクソンの携帯電話や、ソニーの液晶テレビ『ブラビア』は、先行する他社を追い上げる立場にあり、そのためには良い製品を出すだけではなく、追い上げていくために生産や流通の厳密な管理が必要となってきます。しかも、この2製品は、コモディティ化が著しく、また、他社もこれまでよりも簡単に類似の製品を出しやすくなっているだけに、よりいっそう生産・流通の管理が必要であると言えます。これが、ソニーエリクソンの携帯電話とブラビアの共通点だと言うことができます。

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2007.01.26

ソニーエリクソンの挑戦(10)~井原社長インタビュー(資料編)

私がソニーエリクソンの井原勝美社長(当時)にインタビューしたのは、2003年12月のこと。この時、私は、井原社長は、いずれはソニー本体に戻るかもしれないが、少なくともあと1~2年はソニーエリクソンの社長をつとめるだろう、だから、その間に、ソニーエリクソンの設立から、ここに至る間での話を聞くことができるだろう、と考えていました。

しかし、ソニー本体を取り巻く状況が許さなかったのか、この数カ後、2004年4月には、ソニー本社に副社長として復帰することを発表、ソニーエリクソンの社長は、マイルス・フリント氏に引き継がれました。

井原氏は、ソニーグループのリストラを統括し、2005年には、代表権を持つ副社長として液晶テレビ『ブラビア』を担当と、その後の活躍はみなさんも、よくご存じの通りです。2004年に急遽、ソニー本社に呼び戻されたのは、もちろんソニーエリクソンの設立から、経営を軌道に乗せるまでの功績が評価されたことは言うまでもありません。

そう、まさに

---成功の暁には名誉と賞賛を得る

となったのです。



井原勝美ソニーエリクソン社長インタビュー  (2003年12月13日、ソニーエリクソン本社にて)                             


--ソニーグループにおけるソニーエリクソンの位置づけは?

昔、携帯電話がボイス中心の利用形態の時には、それほどソニーの中で、携帯電話の重要性は、あまり認識されなかったと思うのですけれども、これだけ携帯電話が急速にいろんな周辺機能をとりこんで、なおかつコンスーマーは、いつでも携帯電話を肌身はなさず持って使っていると、そういった意味では、究極のコンスーマー商品ですよね。で、AV機能もどんどんどんどん取り込まれているんで、もうソニーにとっては、このビジネスを失うわけにはいかないと、僕は思っているんですよね。

しかも、その私は、昔から言っているんだけど、「携帯の弱いソニーは、魅力の乏しいソニー」と。いう風に僕は、思うんですよ。というのは、若い世代もね、もう、中学生ぐらいから、どんどんどんどん携帯を使ってね、その携帯の持っている話題性とか、あるいは雑誌で取り上げる露出といったらね、他のAV機器比べものにならないほど大きいですよ。

だからそういった意味でもね、あの非常に重要な商品にね、育てているんで、携帯のビジネスに弱いソニーはね、弱いとしたらですよ、魅力の乏しいソニーになっちゃうと。ある意味では期待もあって、なんとかせにゃいかんということで、こういう戦略に出ている訳ですよね。

で、ソニー・エリクソンという、会社をですね、勝利の方程式、ウィニング・イクエーションはなんだったかと、もういちど整理してみるとね、ソニー・エリクソンにとっての重要性というのは、大事な要素というのは、ソニーの持っているコンピテンシー(強み)と、それからエリクソンの持っている強み、この2つをですね、携帯電話の事業に持ち込むこと。

--エリクソンの強みは、技術?

ソニーの持っている強みは、言うまでも無いことですが、AV技術、ブランド、コンスーマー・マーケティング、商品企画、そういうのがありますよね。エリクソンの持っている強みというのは、ワイヤレスのテクノロジー、無線技術、もう一つは、世界のオペレーター・ビジネスに対する理解といいますか。ま、そういうのがあるわけです。

これらはですね、ソニーは、エリクソンの強みがないために、エリクソンはソニーの強みがないために、かっては、両方の端末ビジネスは、成功しなかったわけですよね。ところが、いまいったような、両親会社の強み、というのは非常に相互補完的でね、それで、それらを持ち込めればね、僕は、このインダストリーの中で、潜在的に一番強いビジネス・インフラを持てる会社になると、信じて疑っていないんですよ。

で、事実ですね、いま携帯電話で、何が起こっているかというと、どんどんどんどん携帯電話にAVの機能が取り込まれていますよね。それは、もうご承知のように、携帯電話そのものがね、ミュージック・プレイヤーになるし、携帯ウォークマンみたいな機能にもなるわけだし、カメラもついて、撮ってすぐ送れるようにもなるし、それから、PDAの機能は、もう、ほとんどあると、いうことでですね、AVの機能が入っていくいうことが一つと、技術的な面でもね、いまちょうど、いわゆる2.5世代から第3世代といわれているところに、通信方式が移行しつつありますよね。まさに、この双方の親会社が持っているコンピテンシーがね、いま最高度に発揮できるような市場になっているわけですよ。

世界でですね、ソニー・エリクソンみたいに、オーディオ、ビデオのコンスーマー事業にも片足があって、次の新しい通信方式にも対応できる企業はね、ほかに無いと言っていいぐらい。

--3GとはW-CDMAのことですか?

日本ではW-CDMAと言いますが、ヨーロッパでは、UMTSと言います。第3世代でも、いままでのGSMでも使えるというもの。本当に、時代や市場が、ソニー・エリクソンの持っている強みを、文字通り活かすような状況に向かって、どんどんどんどんシフトが始まっている。それは、非常に、我々にとってはフォローの風だな、と思っています。

--市場が進化していて、それにふさわしい資質をソニー・エリクソンは備えている、ということですね。

そうそう。まさにその通り。説得力ありますかね?

--あとは、市場のデマンドに応じて商品を出していく。

まったく、その通りですね。で、世界のオペレーターは、どういう風に見ているかということですが、まぁ、その世界のオペレーターは、言ってみればノキアの一人がちの状態になっているわけですよね。それで、こういった一社独占の供給状態にあることを嫌っていて、もっとコンペティティブなその端末メーカーの存在に期待している訳です。だから、世界のどのオペレーターであっても、彼らは、ソニー・エリクソンの成功を望んでいる。

--日本型のビジネス・モデルだと、オペレーターがかなりコミットしていますよね?

日本のビジネス・モデルというのは、非常に特異だったわけですよね。これは、オペレーターが、端末からコンテンツまでバーティカルに仕切るというビジネス・モデルでね、それで、それゆえに、オペレーターの戦略がビジネスに非常に短期間に反映していく構造を持っているわけですよね。

で、ヨーロッパは、日本以外の市場は、むしろどちらかというと水平分業型でね、オペレーターは、ネットワークを提供し、端末メーカーはジェネリックな商品を、複数のオペレーターに提供し、コンテンツ・サプライヤーは、コンテンツをいろんな端末に提供すると横に切れていた。ところが、それじゃあね、新しいデータサービス需要に対応するサービスの提供とか、新しいアプリケーションの開発とか、そういうものが進まないとみて、いま日本型のビジネス・モデルに転換しつつあるんですよ。

で、ボーダフォン・ライブとか、それからTゾーンとか、日本で言うiモードとか、イージーウェブに対応するような、どっちかというとホリゾンタルなビジネス・モデルから、日本型のバーティカルなビジネス・モデルに転換しつつあるわけです。これは、端末メーカーが望むとか、望まないに無関係でね、なにしろ、オペレーターはそう動く。そうすると、端末メーカーの役割は、そういった動きにいち早く対応した商品を、各オペレーターに提供できるかどうかというのが勝負になってきて、そういう面では、日本や韓国のメーカは、こういう勝負には慣れているわけですよ(笑)。

だからね、あの、チャンスが出てくる。事実、シャープのボーダフォン・ライブへの取り組みとかね、パナソニックもそうなんですが、それはアジアメーカーにとってはね、むしろ入りやすい環境ですよね。

--日本メーカーは、オペレーターの要求が大きいほど入りやすい?

要求が大きいし、多様化しつつあるということで、昔みたいに、一つの商品を全オペレーターに提供するというのがなかなかできなくなってきた。いちばん対応が遅れているのがノキアですよ。だから、ノキアのシェアは、どんどんどんどん下がっている。西ヨーロッパではね。

--世界シェアは、まだまだ・・・

そうですね。ソニー・エリクソンは、そういった意味では、けっこうがんばっているですよ。西ヨーロッパでは、けっこうシェアが上がってきているんですよ。

--当面のライバルはノキア?

まぁ、そう言わないで欲しいよ。差が開きすぎている。

--でもまぁ、「ノキアの、ラインナップのこの部分には勝てる」とか・・・

だから、さっきの会社の発足の当時の戦略に戻ると、すっぽんぽんの安いモデルで勝負できるような会社の、そういう強みを持っている会社じゃなくて、逆に、非常な高度な通信技術と、高度なAV技術をね、使った商品で競争力がでるような、DNAを持った会社ですよね。で、したがって、たとえば、カメラ付きの電話なんて我々の一番強みのところだと思うんですよ。

で、だから、今度西ヨーロッパの第3四半期のカメラ付き携帯電話のシェアなんてのはね、ナンバー2でものすごく高い。それはやっぱりね、我々の会社って言うのが、そのそういう高度な技術にねざした電話を作るのに、競争力がある会社なので、そういうところで、がんばるということですね。

--ソニーとのコラボレーションは?

もちろん、ソニーとはね、キーデバイスの開発・供給、たとえばカメラ・モジュール、とかですね、LCDモジュールとか。あるいはFelicaを携帯電話に入れると。ドコモが入れると、KDDIも採用する。そういうところで、ソニーのエレクトロニクスと関係がまず一つありますよね。

えっと、今度は、反面、ソニーブランドの商品も通信技術を必要としつつあるんですよね。これは、たとえばポータブルのゲーム機だとか、ポータブル商品全般にそういう風になりますよね。

それで、いまソニーの中のいくつかの事業部と通信技術と通信モジュールの提供について、話し合いをしている。それが、今度は逆に我々が技術面でソニーに貢献できる点ですよね。

それから、コンテンツ・グループのコラボレーションも進んでまして、たとえば、ソニー・ミュージック。これは、たとえば、音楽を、モバイル・ユーザーを対象として、たとえばリング・トーンとか、着うたとか、そういうかたちでタイアップして提供しようというコラボレーションを、各国ベースで進んでいます。

それから、ソニー・ピクチャーともね、あの映画を素材としたウォールペーパーとか、モバイルを対象とするコンテンツに対するサービスとか、結構コラボレーションがあります。

--ゲームは?

ゲームはね、プレイステーションのグループとはね、そういった意味では、明確なあれはありませんけど、プレイステーションというのは、そのゲームのブラットフォームを提供していますよね。で、ゲームは、そのブラットフォームに乗っかって、ゲームコンテンツを提供しているのは、それぞれ、別の会社であって、我々は、そういう会社と提携して、我々のブラットフォーム上で、ゲームを提供してください、という活動はやっているんです。

だから、むしろプレイステーションのグループとは、次の通信モジュールで話し合いが始まっている。

--バイオやプレステがライバルですか?

まぁでもやっぱり、そのコンテンツの表現力という面ではですね、やっぱり、専用マシンには、かなわない訳ですよ。やっぱり、ゲームっていうのは、やっぱりこれ(携帯電話)は、専用のゲーム機では無いですから、やっぱり電話の中心的な機能というのは、通話とデータをやりとりする、この液晶のレベルの中での表現力ということになるわけですね。

ところが、プレイステーションなんかで、提供しているようなコンテンツというともっと、画面が大きくてデータ量ももっと大きくて、もっとリアルで、ここにゲームとしての迫力が出るわけですよね。ですから、まったく対抗するという風なイメージでは、僕なんかは、ちょっと考えにくいですね。

--スマートフォンのP800からP900では、かなりデザインが進歩しました。

中身はそうかわっているわけではないですけどね。それほどデザインが重要ということですね。

たとえばね、これをバイオの競合とみるかどうかというと、機能性から言えば、Eメールだってみれるし、インターネットもアクセスできるし・・・。でも、その表現力からいえば、この液晶サイズですからね、だから、ある特定の目的だったら、ものすごく効力を発揮するのだけれども、長いメールのやりとりとか、エクセルのアタッチとか、こういうことになってくると、やっぱり限られた表現力があって・・・。ごく一般的にPCと競合するかというと、それぞれの得手不得手があると思うから、必ずしも、そういうことにならないと思いますけれども、ある特定セグメントを想定するのならば、十分いけると思うんですよ。これは、生きる道はあると思うんですよ。

このメッセージなんか、あのね、こうやって書いて送ることもできるわけだし、そういったわけでは、多機能だし

--通信機能のあるPDAと。

そうそう。PDAとは、真っ向から競争していると思うんですけどね。

--ソニーもPDA(クリエ)を出していますね。

うん。あんまり、そういうことを言うとですね、ソニーの人に嫌われちゃうから(笑)。でも、それはね、好きか嫌いか言っている場合じゃなくてね、ビジネスのリアリティというのが、僕は、そうだと思っているわけです。

もう一つ恐ろしいのは、こういうやつってオペレーターのサブシディ(販売助成金)がついて普及していきますからね、だから商品が非常に安く提供されていくわけですよ。だから、ペネトレーション(浸透)する速度が、そうじゃない商品と比べると圧倒的に違うわけですよね。だからボリュームは、すごいでかい。

だから、そういうところがね、非常に、いわゆるソニーのコンベンショナルなビジネスとの違いで、だから、その違いが数の違いとして現れてくるので、非常に恐ろしいですよね。影響が大きいですよね。(注:その後ソニーはクリエから撤退)

--井原社長が、陣頭指揮をとったのは?

ええ、このへんからですね。これはこの春ですね。というか、ソニーの商品というのは、伝統的にね、トップがインボルブするものだという気がしますよ。それはもう大賀さんだって、そのどんな商品でも、すごい口出される方だったし・・・。

--企画の段階から。

おぉ、もちろん、そうです。スケッチの段階から、いくつかスケッチを見て、どういうデザインの方向から・・・。

--ソニー出身の方は、そういうやり方を理解しているけど、エリクソンは・・・

いやだから、さっきも言いましたけど、ソニー・エリクソンのウィニング・フォーミュラに戻ると、それは、ソニーのコンピテンシーなんですよ。だから、ソニーの強みをいかすわけです。だから、デザイナーは、いっぱいソニーのデザイナーがいるし、商品企画にも、かつてソニーで活躍した企画マンがいますしね、だから、それが、ソニーとエリクソンを50対50でごちゃまぜにするのではなくて、コンセプトとして、要するに強いコンピテンシーを持っているのを活かすということだから。ね、会社の成り立ちが。だから、デザインでソニーのコンピテンシーがあるとしたら、そこはソニーのセンスを活かす、ということだから、その点で、いろいろ不平不満があったって、そんなの聞く耳持たないですよ。

--結果が良ければいいと。

そうです。いや、それが会社の生き様というわけですよ。だから、そこを結構、誤解する人がいる。

--誤解というのは?

誤解っていうのはね、カルチャーとかなんとかとか言うんだけどね、僕が言っているのは、この50%50%のジョイント・ベンチャーは、ソニーの人50人をつれてきて、エリクソンの人50人をつれてきて、ごちゃ混ぜにして仕事をする会社じゃありませんと。だから、いろんな仕事で、ソニーの強いところとエリクソンの強いところが、全然違うところがありますと。で、携帯事業をするときには、全部が必要ですよと。だから、ソニーの強みが必要なところは、ソニーの強みを活かす、エリクソンの強いところはエリクソンの強みを活かす、という意味で、「ごちゃごちゃっと全部をマージする」というわけではありません、ということを言っているわけです。意味は伝わりますかね。

--ええ

みんなね、あるところに行くと、これはジョイント・ベンチャーらしくないね、と言うわけですよ。そういう時のジョイント・ベンチャーの期待というのはね、目の青い人と目の黒い人が50人ずつ座っていて、というイメージをジョイント・ベンチャーのイメージとして受け取る人が多いんですけど、そういうことじゃ無いんですよ。人種は問わないんだけど、お互い強いやつを全部引っ張ってきて、それでビジネス全体を構成するとね。

--それを引っ張ってくる役割をしているのが井原社長と。

そうです。それはもう私の仕事です

--そこは、何か苦労されていることはありますか?

それは、ありますよ。あの、設計のやり方も違えばね、それはね、考えてみれば、どの会社にもあることでね、ソニーの中でもも、ビジネスのネイチャーによって、たとえばコンスーマー・ビジネスをやっているグループと、ノン・コンスーマー・ビジネスをやっているグループは全然違うわけですよ。で、コンスーマー・ビジネスをやっているグループの中でもね、大崎にいてテレビやっているグループと、芝浦でオーディオやっているグループとは、カルチャーが違うわけですよ。これはね、そういったようなもんで、そのカルチャーは違うんだけれども、それを、人心を統一してね、ビジネスにまっしぐらに進むと、いうのがトップ・マネジメントの仕事だと思いますけどね。

それはナショナリティの違いから、カルチャーが違うという風な言い方も一つあるかとしれないですけれども、ナショナリティーがおんなじでもね、そのくらいのカルチャーの違いというのは、大きな会社の中では必ずあって、たぶん、どんな会社でもあると思うんだけど、そうでありながらも、人の気持ちを束ねてね、一つの目標に進むというのがトップ・マネジメントの仕事だと思いますけれどね。

--目標は?

商品はだんだんと、いいものができつつあると思いますけど・・・。オペレーターの目から見るとね、アンビータブル(負けない)という人もいるんだけれど、こういう商品をこうやって見せるとね、本当に、すばらしいと賞賛してくれるオペレーターは増えていますね。ところが、やっぱりマーケティングの力だとか、それからサプライ・チェーンの力だとか、そういったビジネスの全体にわたるパワーでいくと、まだまだという気がします。

--商品は満足している?

まぁまぁですよね。70点ぐらいでもいっていると思う。

--合格点?

ええまぁ。

--課題はマーケティングとかサプライ・チェーンですか?

そうですね。たとえばマーケティングなんかでも、ノキアやサムソンが投入している広告宣伝の量から言ったら、うちなんか、ほんとわずかな投資しかできる体力はないですよ。それから、ものを作って供給する能力って言ったら、ノキアなんて本当に強いものがあるんですけど、我々は、しょっちゅう部品が足りないかったりとかね、需要に応えられなかったりと、いうところがまだあるので、ビジネス全般にわたる力というのは、まだまだですよね。

--中国は部品の供給で問題がありました。

変動が激しいですからね。市場の。それで、のんびりしたオーダー・ルールでやっていないから。短期ですごくたくさん作ったり、すとんと落ちたり、そういうことがありますから、そういう変動に追随していくということが、なかなか容易なことではないですね。

--モデルチェンジも早い。販売奨励金もかわりますね。

ありますね。売上げが大きく変わる。

--これらの携帯電話を日本で出す予定は?

無いですね。日本の市場とは違いますね。日本は、もっとアプリケーション・リッチでね。要するに日本の市場とは、非常に先見性というか、アドバンスしていますよね。

日本で定着したアプリケーションが、一定の時間間隔をおいて、他の地域でも流行っていくというトレンドがある。日本というのは、本当に不思議なマーケットでね。あそこは通信方式では、ほとんど閉じていますよね。日本の電話は、ほかでは使えない。という意味でのね閉鎖社会なんですよ。スタンダードからみれば。

ところが、その中で花咲いている携帯文化というのは、韓国もそうなんですけど、世界でもまれな先進性をもっていると。で、私は、これ「元禄文化」って言っているんですけどね。鎖国の中で大きく花咲いたね。一大文化と。それで、日本で成功したアプリケーションが、たとえば写メールが、いまMMSとかいって、GSMで普及していますよね。

こういう風に伝播していくと。そういった意味で、ソニー・エリクソンは、また一種独特の強みを持った会社だと思っているんですよ。日本のオペレーションと、このGSMのオペレーションを両方抱えている。この価値というのは、すごく高いですよ。そういった意味で、日本の電話の先進性を、いち早くGSMの商品にも展開できると、いう意味があるわけですよ。これね、日本で大きなビジネスをやりながらも、世界で同時にGSMでも、大きなビジネスをやっている会社は、あんまりないですよね。

ノキアは、日本の中には、ほとんど入れてないし、モトローラも入れていない。それから韓国勢も日本では見ないですよね。で、反対に日本のメーカーも海外でみれば、そんなに大きなシェアを持っている会社はない。ソニー・エリクソンだけがね、その両方に軸を置いたビジネスをやっている。僕は、そういう面でも、非常にアドバンテージがあるなと、そういう風に思っています。

--パナソニックとシャープは、どうですか?

そういうメーカーは、シェアをごらんになったら、わかると思います。本当に局所戦みたいな感じですよね。(注:その後パナソニックはGSMから撤退)

--日本の3Gは開国になると?

それは、開国になるだろうし、そうあらねばならんと思うわけですよ。3Gになれば、そうなりますよ。

--黒船はノキアですか?

そうではなくて、W-CDMAというのは、日系メーカーがいちばん経験があるわけですよ。だから、両側からあると思うんですよ。日系メーカーが第3世代の技術をふまえて海外の第3世代もやっていくという図式もあれば、海外のメーカーが、海外のUMTSの機械を日本に投入していく。だから、双方向になっていくと思いますよね。文字通りね。だから、非常に面白くなっていくと思うんですよね。

--そのときに、両方に拠点のあるソニー・エリクソンにアドバンテージがあると

と、思いますよ。

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2007.01.25

ソニーエリクソンの挑戦(9)~井原社長インタビュー

2003年12月に、ソニーエリクソンの初代社長である井原勝美社長にインタビューを行いました。2003年というと、4月に1-3月決算の下方修正を行ったことをきっかけに株価が暴落した、いわゆる『ソニーショック』があった年です。そして、『週刊東洋経済』2004年1月10日号では、『ソニー王国 逆襲のシナリオ』という特集が組まれ、その一部として掲載されたのが、次の『欧州携帯電話市場に吹き始めたソニーの風』という記事です。

http://thelightoflondon.txt-nifty.com/home/SonyEricsson_001.jpg

この時は、『週刊東洋経済』の編集部から、「ソニー特集を組むので、ヨーロッパで何か書いて欲しい」という依頼がありました。記事の中にも出てくるように、『P900』などの製品のデザインが良くなってきたこともあり、ソニーエリクソンについて書きたいと提案しました。

雑誌の仕事の場合、特に、巻頭特集の場合は、あらかじめ原稿の締め切りが決まっているため、そこから逆算して、何日までにインタビューを行わなければならないかが決まってきます。ビジネス誌の場合は、広報に取材したい人のリストを示してアレンジしてもらうのが通常です。この時も、担当副編集長から、ソニー本社の広報を通じて、井原社長へのインタビューをアレンジしてもらうことにしました。

しかし、しばらくして担当副編集長から来たメールには、「どうもソニーとしては、ソニーエリクソンには、あまり触れて欲しくないみたい」と書かれていました。そして、社長のインタビューは無しで、簡単なレポートを書くということになりました。しかし、私としては、ちょうどテイク・オフしかかっていたソニーエリクソンを、きちんと書いておきたいという気持ちが強かったので、なんとかインタビューをアレンジしてもらおうと、ソニーエリクソンのイギリスの広報担当者に依頼のメールを何度も書きましたが、さっぱり返事がもらえませんでした。

どうようかと悩んでいたら、突然12月10日にソニーエリクソン主催のプレス向けクリスマス・パーティーがあり、そこに井原社長も出席するという案内がきました。そして、そのクリスマスパーティーの場で、井原社長に直談判して、インタビューを快諾していただき、それをもとに書いたのが上の記事です。

私は、このパーティーには、日本の他のメディアの人も来ているかと思ったのですが、日本人は私しかおらず、しだいに談笑の輪からも離れてポツネンと席に座っていたところに、話しかけてくださったのが、アルド・リグオリ氏でした。リグオリ氏は、この時は、ドイツのソニー・ヨーロッパ所属だったのですが、たまたまロンドンに来ていたので、このパーティーに参加したそうです。そして、私にとって、「たまさかの僥倖」となったのは、このリグオリ氏は、この後にソニーエリクソンの広報部長に就任されたことです。(下の写真の向かって左の方がアルド・リグオリ広報部長)

London_133

この時の縁がなかったら、その後の取材の便宜も図ってもらえなかっただろうと思います。そして、リグオリ氏は、すでに社員数が7000人を超えるグローバル企業の広報部長でありながらも、いまだに「Hi Ando-san」とメールを直接書いてきてくださることに、大変感謝しております、この場をお借りしてお礼を申し上げたく存じます。

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2007.01.23

ソニーエリクソンの挑戦(8)~遊び心

London_115この頃から、少し余裕が出てきたのか、2003年9月上旬に開かれた新製品の発表会では、ユニークな商品も紹介されました。それは、Bluetooth機能を搭載した携帯電話で操縦するリモコンカーの『CAR-100』です。携帯電話のバッテリーを使って充電し、半径10m以内での操縦が可能です。

http://k-tai.ascii24.com/k-tai/news/2003/09/11/645886-001.html?

London_114_1『CAR-100』は、ソニーエリクソンのコーポレート・カラーである緑色と白を基調にしたカラーリングで、ソニー・エリクソンのロゴもあしらわれています。ボーダフォンなどのキャリアから依頼があれば、各企業にあわせたカラーリングの商品を発売する計画もあったそうですが、実現にはいたらなかったみたいです。

これを見たときは、面白いなぁ、ソニーらしい遊び心だ、と思ったものです。このほかにも、携帯電話『Z600』の専用ゲームコントローラー『EGB-10』というのもありました。

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ソニーエリクソンの挑戦(7)~北米事業からの撤退

ソニーエリクソンにとって、2003年は転機の年でしたが、それは端末のヒットだけによって、もたらされたものではありませんでした。

London_1132003年6月24日に、米国のCDMAビジネスからの撤退とドイツのミュンヘンにあるGSM向け開発拠点の閉鎖を行いました。この2つのリストラ費用は7000万ユーロにのぼり、このうち5800万ユーロを2003年第2四半期(4-6月期)に計上しました。このリストラによる経費削減効果は、2004年から1億2000万ユーロに上り、この効果は2003年下半期(7-12月)から現れています。

携帯電話の世界は、ヨーロッパが主導するGSMと、アメリカのCDMAがあり、ソニーエリクソンは、いわゆる「選択と集中」により、アメリカにおけるCDMA事業から撤退しました(日本におけるCDMA事業は継続しています)。

この時点の判断がどうだったかと言えば、GSMとCDMAの競争では、GSMの方が優位に立っていたこと、また、アメリカでもGSMの携帯電話が使えるようになってきたこともあり、企業の規模などから判断すると、正しい決断だったと言えます。

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2007.01.22

ソニーエリクソンの挑戦(6)~2003年頃の欧州における日本メーカー

2003年春頃は、ヨーロッパおいて、日本の携帯電話メーカーが、その存在感を増してきた時期です。2002年11月から、英ボーダフォンが『ボーダフォン・ライブ!』という携帯電話によるインターネット接続サービスを始める際に、日本の携帯電話メーカーに機種の提供を依頼しました。

それについて、『週刊東洋経済』2003年3月22日号に『ボーダフォンは「日の丸」頼み』というタイトルの記事を書きました。下記のURLを参照してください。内容は一部カットしてあります。また、文中の『ライブ!』とあるのは、『ボーダフォン・ライブ!』のことです。

http://thelightoflondon.txt-nifty.com/home/SonyEricsson_002.jpg
http://thelightoflondon.txt-nifty.com/home/SonyEricsson_003.jpg

この当時は、記事にあるように、特にイギリスではパナソニックが大々的に広告を打ち、優れた機能や、クラムシェル(ハマグリ)という折り畳み式のスタイルの機種が注目を集めていました。実際の、この時期には、ノキアは折り畳み式の携帯電話を生産しておらず、日本メーカーに大きくシェアを取られるのではないかと、日本メーカーは「脅威」として感じられていました。

しかし、この時期同じように『ボーダフォン・ライブ!』に携帯電話を提供したシャープは、ボーダフォンとの関係が深く、現在でもハイエンドからローエンドまで、さまざまな携帯電話を供給していますが、パナソニックは、すでにGSM携帯電話からは撤退しています。

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ソニーエリクソンの挑戦(5)~運命の日(資料編)

2003年3月4の記者発表では、新製品のほかに、各製品のラインナップを、ソニーエリクソンとして、どう位置づけるかについての発表もありました。

下のスライドにあるように、同社では4つのキー・ターゲット・マーケットを設定しています。各カテゴリーと、そこでユーザーが求めるものは

London_111<1>プロフェッショナル・パイオニア---技術
<2>セレクティブ・パイオニア---確かな品質
<3>ファン・ラビング・ユース---ファン(面白いこと)とクール(かっこいい)外観
<4>プラクティカル・ホーナース---家庭の需要

そして、<4>のプラクティカル・ホーナースは、『T100』実用性重視の通話主体の製品、<3>のファン・ラビング・ユースは『T310』やau向けの『A1301S』などのゲームやスタイル性を好む若い人たち向けの製品、<2>のセレクティブ・パイオニア-は『T610』などの中級機、<1>のプロフェッショナル・パイオニアは、『P800』というスマートフォンや『Z1010』という3G(W-CDMA)の高機能モデル、となります。

この4つのカテゴリーというのは、GSMのマーケットで、ある程度のシェアを獲得する上で必要なラインナップと言えます。ひるがえって、日本の携帯電話メーカーは、<1>と<2>のハイエンドや中級機種ばかり作っていて、<3>や<4>などの、マス・マーケット向けのボリューム・ゾーンの製品が、ほとんど無いと言えます。これでは、日本国内は、ともかくとしても、海外で販売のルートを広げることは難しいのではないかと思います。

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2007.01.20

ソニーエリクソンの挑戦(4)~運命の日(おまけ)

企業を取材させていただいている者として、あまり、こういうことは書くべきではないなぁ、と思いつつも、当時の様子を再現するために、あえて書いてみます。前回のエントリーで、2003年3月4日は、ソニーエリクソンの運命の日と書きましたが、この頃の同社の広報体制というのは、あまりしっかりしたものではありませんでした。

たとえば、この日の発表会で配布されたニュース・リリース。たいていの記者は、リリースを受け取ったらぱらぱらとめくって、必要なことが書いてあるかを確認をするものです。この時は私は『T610』のリリースに、連続待ち受け時間、連続通話時間、サイズ、重さなどが書いてあるのを確認して、安心してしまったのですが、もう一機種の『T310』については、これらの情報が記載されていませんでした。そのため、後から、わざわざ問い合わせをすることになってしまいました。要するにリリースに盛り込む情報に関するフォーマットが、定まっていないようなのです。この点に関しては、ノキアは昔からしっかりしていたと思います(ノキア・ジャパンのOさん、いろいろお世話になりました)。

このことがあってから、特にソニーエリクソンのニュース・リリースは、すべてに丹念に目を通すようになりました。

London_110 また、新製品などの画像データがCD-ROMで配布されたのですが、左のキャプチャー画面を見てもらうとわかるように、JEPEG、EPS、Microsoft Office Document Imaging Fileの3種類が、フォルダーに小分けもされずに混在しているという有様。ファイルサイズも数百KB、数千KB、数十MBとまちまち。普通は、一つの画像につき、ファイルサイズの大中小を揃えておくものだと思うのですが・・・。

しかもファイル名の付け方も統一されてなく、どういうわけか『T310』や『T610』が3台ならんでいるデータだけが他のファイルと異なり『3x T310』、『3x T610』となっていたり。さらに、一番下の『T300 Logo』、『T300 Tony Hawk』は、もちろん『T310』の誤植で、紙のおわびがCD-ROMにつけられていました。

正直なところ、「大丈夫か、この会社」と思ったのは事実です。もちろん、最近は、とてもしっかりしていますが。

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2007.01.19

ソニーエリクソンの挑戦(3)~運命の日

「運命の日」というと、ちょっと大げさかもしれませんが、しかし、2003年3月4日は、ソニーエリクソンの、その後の運命が決まった日と言えます。

London_108_1この日の朝、イギリスの経済紙『フィナンシャル・タイムズ』(FT)に左のような記事が掲載されました。この日は、新製品の発表会が予定されていたのですが、わざわざ、その日の朝の紙面に、"Execution is key for Sony Ericsson"(実行が、ソニーエリクソンのカギ)というタイトルの下に、井原勝美社長の、もの悲しげに遠くを見やる写真が配置されています。

「2002年のソニーエリクソンのマーケット・シェアは、7-10%の目標を掲げていたにも関わらず、6%にも達していない」という状況で、井原社長は、「業績低迷の3つの要因として、ソニーとエリクソンからなるチームの統合の問題、中国でのシェア低下、米国での激しい競争」をあげています。

London_109_1ところが、この日に発表された携帯電話『T610』が、月産100万台を超えるヒット商品となって、ソニーエリクソンの業績は、底を打ち、回復へと向かうのです。携帯電話業界の関係者は、口を揃えて「2003年がソニーエリクソンの転機の年だった」と言います。

しかし、当時の日本人の感覚からすると、そんなに先進的な機種ではないのですが、当時のヨーロッパでは、スマートで使いやすいカメラ付き携帯電話として評価されたようです。

http://k-tai.ascii24.com/k-tai/news/2003/03/05/642272-000.html

その後、この『T610』に似たスタイルの携帯電話は、一つのラインナップを形成し、『サイバーショット携帯』へと、つながっていきます。

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ソニーエリクソンの挑戦(2)~井原勝美初代社長が部下に薦めた本

求む男子。
至難の旅。
僅かな報酬。
極寒。
暗黒の長い日々。
絶えざる危険。
生還の保証なし。
成功の暁には名誉と賞賛を得る。

これは、イギリスの探検家アーネスト・シャクルトンが、1914年から1915年にかけて、エンデュアランス号という船を使った南極探検の参加者を求めるために、ロンドンの新聞に掲載した広告と言われているものです。上の引用は、アルフレッド・ランシングというジャーナリストが書いた『エンデュアランス号漂流』(新潮文庫)の後書きで紹介されていたものです。

いまでこそ、ソニーエリクソンは絶好調ですが、2001年10月にソニーとスウェーデンのエリクソンが50%ずつ出資して設立した時点では、ジリ貧の2社による明らかな弱者連合であって、井原勝美氏にとっても、その会社の社長になるというのは、(「僅かな報酬」ではないと思いますが)本当に上の広告のような気分だったと思います。しかし、聞くところによると、井原氏は、酒の席で部下にシャクルトンの本を薦めながら、「君たちも、こういう厳しい経験をしておくと、いろいろ勉強になるよ、ガッハッハ」と陽気に過ごしていたそうです。現在、井原氏は、ソニーエリクソンを立て直した功績から、2004年にソニーに復帰し、現在は、ソニー副社長として家電事業などを担当されています。

ところで、冒頭に紹介した広告の原文なんですが、

MEN WANTED FOR HAZARDOUS JOURNEY.
SMALL WAGES, BITTER COLD, LONG MONTHS OF COMPLETE DARKNESS,
CONSTANT DANGER, SAFE RETURN DOUBTFUL. HONOR AND
RECOGNITION IN CASE OF SUCCESS.

で、これが実際に、いつどの新聞に掲載されたか、というのは実は謎でして
http://www.antarctic-circle.org/advert.htm
上記のサイトによると、どうも1948年にジュリアン・ワトキンス著『The 100 Greatest Advertisements』において、初めて創作されたもののようで、要するに、こんな広告は実在しなかったのですが、あまりにも雰囲気にマッチしていたことから、これが元ネタとなって日本を含め世界に流布してしまっているようです。

このエンデュアランス号の探検記は、上記の『エンデュアランス号漂流』(新潮文庫)のほかに、シャクルトン自身による記録『エンデュアランス号 奇跡の生還』(ソニー・マガジンズ刊)も面白く読めます。シャクルトンについては、困難な状況に立ち向かうためのリーダー論として、経営者向けの本も何冊か出版されています。

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ソニーエリクソンの挑戦(1)~前口上

London_112以前から、ソニーエリクソンについて、長いものを書いてみたい、と思い、継続的に取材をしてきました。ソニーエリクソンの、全面協力は得られませんでしたが、それでも記者会見やイベントの際のインタビューでは、かなりの便宜を図っていただきました。

初めは本を書きたいと思ったのですが、本にするには取材が足りていないところもあるし、かといって、サムスンを追い上げているソニーエリクソンについて、いま書いておかないと、という気持ちもあります。そこで、このブログをお借りして、通常のブログのエントリーも交えながら、ここで2月中旬にバルセロナで開かれる予定の3GSMワールド・コングレスに向けてソニーエリクソンについて不定期ながら連載していきたいと思います。

といってもブログなので、コラムのようなかたちで、いろいろなエピソードを紹介していくかたちとなります。また、私にとっては、「下書き」のような部分もあって、間違いを犯したり、後で書き直したりするケースもでてくるかもしれません。また、同じような話を何度も何度も繰り返すようなことになってしまうかもしれませんが、気にせずに、おつきあいいただけますと幸いです。

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2007.01.18

絶好調のソニーエリクソン

英ソニーエリクソンが、17日に2006年12月期の決算を発表しました。販売台数が、2005年と比べて46%増の7480万台、売上高が51%増の109億5900ユーロ(1兆7000億円)と絶好調です。純利益も2.8倍に増加。

http://www.sonyericsson.com/spg.jsp?cc=global&lc=en&ver=4001&template=pc3_1_1&zone=pc&lm=pc3&prid=7012

ウォークマン携帯電話の販売好調に加えて、欧州のほか、中南米、アジア太平洋で販売が伸びました。

あらためて言うまでもなく、工業製品というのは、同じものをたくさん作った方が、規模の経済(economies of scale)が働いてコストも下がるし、生産技術も向上するし、流通・販売のノウハウも蓄積されるし、というわけで、英ソニーエリクソンは、グローバルに展開できる携帯電話メーカーの強みをふるに活かしている、と言えます。

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2006.12.13

ロンドンのソニエリ・ショップに行ってきました

London_100_1英ソニー・エリクソンが、11月末にロンドンにオープンしたショップに行って来ました。Kensington High Streetという、私なんかは、普段はあまり行くことの無い高級商店街にあります。

ソニエリ・ショップは、Kensington High Streetという地下鉄の駅を出て、すぐのところにあります。通りの並びには、英ボーダフォンなどの携帯電話キャリアのショップもありますが、これらと比べても、間口も大きくかなり目立ちます。

London_101ショップの中もかなり広々としていて、ウォークマン携帯電話を初めとして、現在販売中の端末やアクセサリー類が、ほぼすべて展示されています。何より実機をさわることができるのが素晴らしい。

このショップは、英ソニー・エリクソンの直営かと思ったのですが、実は、携帯電話販売の専門店であるCarphone Warehouse(カーフォン・ウェアハウス)によって運営されています。そのため、携帯電話の購入にあわせて、その場で携帯電話キャリアとの契約もできます。

イギリスにおいて、Carphone Warehouseが携帯電話の普及に果たした役割というのは、とても大きく、数年前までは、Carphone Warehouseで携帯電話を買うと、SIMロックのかかっていない携帯電話を取り出して、その場で契約したキャリアのSIMカードを入れて渡してくれました。それが、だんだんとイギリスの携帯電話キャリアも日本のビジネスモデルを真似るようになって、SIMロックのかかった携帯電話を、自社のブランドを冠したショップで販売するようになりました。

最近になって、英ボーダフォンは、Carphone Warehouseで携帯電話を販売することを止めてしまいました(ヨーロッパの他の国では継続していますが)。その理由は、Carphone Warehouseが、ブロードバンド・サービスを開始したことが、同じようにブロードバンド事業を始めた英ボーダフォンの利益に反するため、としています。

というわけで、このCarphone Warehouseが運営するソニエリ・ショップでも、契約できる携帯電話キャリアの一覧には、英ボーダフォンは含まれていませんでした。もちろん、英ボーダフォンのショップに行けば、ソニエリの携帯電話は買うことはできますが。

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2006.11.19

ソニーもカジノロワイヤル(ほんのちょっとネタばれ)

先日所用で、ロンドンにある老舗百貨店ハロッズに行ったら、007シリーズの映画『カジノ・ロワイヤル』を大々的にフィーチャーしたキャンペーンをやっていました。

London_089_1ショーウィンドウに、映画のシーンを再現して、ドレスやワインなど、映画で登場する小道具のうち、ハロッズで購入できるものについては、その店舗を紹介するという企画です。ショーウィンドウを覗いていたら、ソニー『VAIO』やソニー・エリクソンの携帯電話も展示されていました。この映画の製作がソニー・ピクチャーズということもあって、ガジェット類はソニー製品で統一されているようです。また、ハロッズの4階には、ソニーの製品を揃えたショップもあるんですよ。

London_090んで、イギリスで16日に公開された『カジノ・ロワイヤル』観てきました。前半にアクションのシークエンスが2つあって、その後、カジノのシーン、そして最後のアクションという構成ですが、カジノのところが、ちょっとだれた感じがするのが残念でしたね。まぁ、全体としては、楽しめましたが。ソニーの製品は、ジェームズ・ボンドの秘密兵器というようなものは無くて、駐車場の監視カメラのデータを記録するメディアがBlu-Rayだったり、登場するパソコンがVAIOだったり、観光地で撮影するデジカメがソニー製だったり、携帯電話がソニー・エリクソン製だったり、という程度でした。これが直接セールスに結びつくとは思わないですけれども、ブランドや製品をアピールするのには、映画というのは、とても効果的だと思います。

あと、困った時の携帯電話、という感じで、携帯電話を使うシーンは、かなり多かったですねぇ。携帯電話に残されたテキスト・メッセージが、ストーリーのカギを握っていたり・・・。そして、007の味方は、ソニー・エリクソンの携帯電話を使い、敵方は他社製の(ように見える)携帯電話を使っている、という設定かと思っていたら、最後に意外なドンデン返しがぁ~!

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2006.11.01

【テストレポート】英ソニー・エリクソンのスマートフォン『P990』

P990_001_2イギリスで9月に発売されたスマートフォン『P990』を、英ソニー・エリクソンのご厚意により借りることができましたので、テストレポートとして紹介します。『P990』は、OSがSymbian OS9.1を搭載し、ユーザー・インターフェースはUIQ 3.0を採用しています。ネットワークは、W-CDMA/GPRS/GSM900/1800/1900Mhzに対応しているため、日本でも使用可能ですが、日本での発売予定はいまのところ無いようです。細かい仕様などは下記を参照してください。

http://www.sonyericsson.com/spg.jsp?cc=gb&lc=en&ver=4000&template=pc3_1_1&zone=pc&lm=pc3&prid=4773

『P990』は、すでに一部のユーザーの方がテスト・レポートなどをブログなどで公開しています。また、日本語化にも成功しているようです。

『P990』は、スマートフォンの前モデル『P910』の流れをくむ製品で、フリップを閉じた状態では、通常の携帯電話に近い操作性、フリップを開くとタッチスクリーン式PDAになる、という点が特徴です。

P990_002_1また、『P990』では、新たに無線LAN(802.11b)にも対応しました。そのため、先週金曜日に『P990』を借り受けた私が、真っ先に向かったのがスターバックスです。スターバックスでは、携帯電話キャリアのTモバイルとの提携により、無線LANのアクセス・ポイント"HotSpot"が利用できるからで、これを『P990』で試してみたかったのです。ちなみに左の写真は、『P990』搭載の2メガピクセル・カメラで撮影したオックスフォード・ストリートにあるスターバックスの店頭です。

HotSpotは、Tモバイルのユーザーであれば時間制で、また、そうでない場合もクレジットカードを使用して、1時間5ポンド(*1ポンドは222円)から利用できます。時間制の場合は、10分につき1ポンドとなります。ちなみに、TモバイルのHotSpotは、ヒースロー空港などでも使えます。

P990_003_1さて、TモバイルのプリペイドのSIMカードで、HotSpotを利用するには、まず『P990』から「9526」にあてて、「Open」というSMSを送信します。すると、SMSで、IDとパスワードが返信されてきます。また、無線LANにアクセスするためには、インターネット・アカウントの設定で、アクセスするネットワークの優先順位として「無線LAN」を、「WAP」や「Internet」よりも上位にくるように設定する必要があります。こうしないと、ウェブにアクセスしようとすると、「WAP」や「Internet」などの携帯電話ネットワークに接続してしまうからです。

P990_004_1そして"Tmobile"のSSIDを認識していることを確認したら、『P990』にプリインストールされているブラウザの「Opera」を起動させ、適当なページを開きます。すると、HotSpotのトップページが表示されるので、そこで、先ほどSMSで知らされたIDとパスワードを入力します。これはノートPCなどでHotSpotを利用するのと同じ方法です。



P990_005_1まずは、BBCの携帯電話向けニュースサイトを開いてみました。国際ニュースでは、イランの核開発問題が報じられています。




P990_006_2しかし、日本語のサイト(当ブログ)を開くと、残念ながら文字化け・・・。ただ、日本語のフォントを入れるという裏技を使うと、日本語のサイトも読めるようになるそうで、すでに一部のユーザーの方が実現しているようです。ウェブのブラウジングも、さくさくと行えて、あまりストレスは感じません。やや重めのPCサイトになると、読み込むのに時間は、かかりますが、十分使用に耐えると思います。タッチスクリーンも、スクロールしやすくてなかなか、いい感じです。文字の入力は、キーボードのほかに、ソフトキーボードを起動させて付属のスタイラスで行うこともできます。

その他の機能は、PDAとしても、携帯電話としても十分な機能が備わっていると思います。ただ、フリップを閉じた時と、開いた時の操作性の違いは、慣れるのに時間がかかるかもしれません。そのため、フリップを取り外すこともできるようになっています。また、テストレポート用の貸出機なので、はっきりしたことは言えませんが、起動にすごく時間がかかります。私の持っているNokia 6630は、電源を入れてから電話をかけられる状態になるまでに30-40秒かかりますが、『P990』では、一分以上かかってしまいます。まぁ、頻繁に電源を入れたり切ったりしなければよいのかもしれませんが・・・。

P990_007_1この『P990』は、本来は、2006年1-3月に発売される予定でしたが、イギリスでは9月発売と大きくずれ込みました。英ソニー・エリクソンのシニア・プロダクト・マネージャーのLars Lindstrom氏によると、「バグをなくすのに、それだけ時間がかかってしまった」そうです。「ソフトの点検などに時間がかかりましたが、その分安定しているので、P990を存分に楽しんでください」(同氏)とのことでした。私が、実際にいろいろと試してみた範囲では、フリーズすることは、ほとんどありませんでした。

P990_008_1また、Symbian OSを搭載した英ソニー・エリクソンの携帯電話は、『P990』のほかに、ウォークマン携帯『W950』とPDA型の『M600』の3つのラインナップがあります。同社のコンテント・プランニング&マネジメント責任者のUlf Wretling氏によると、「当社のSymbian端末は、2005年までは『P910』一機種だけでしたが、2006年には、『P990』、『W950』、『M600』と3つのラインナップが揃いました。2007年以降、さらにラインナップを増やす予定なので期待してください」とのことでした。

(Lars Lindstrom氏とUlf Wretling氏へのインタビューは10月17-18日、ロンドンで開催されたSmartphone Showの際に行ったものです)

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2006.09.21

英ソニーエリクソンが携帯音楽配信サービス"M-BUZZ"を開始

London_072 英ソニーエリクソンは、携帯電話に音楽をダウンロードするサービス"M-BUZZ"を10月2日から開始します。対応機種はウォークマン携帯電話の『W950』(写真左)と『W850』(右)です。写真は、昨日ロンドン某所にて開催された英ソニーエリクソン主催のプレス向けパーティーにて撮ったものです。

"M-BUZZ"を利用するには2つの方法があって、1つは、この両機種にすでに搭載されている"Play Now"という機能を使うというもので、メニューから4クリックで楽曲をダウンロードできるそうです。

もう一つは、専用のウェブサイト( http://www.m-buzz.com/ )にアクセスして、楽曲をダウンロードする方法です。ソニー・グループのSony/ATV Music Publishingと提携し、10月2日から、20カ国でサービスを開始するそうです。

ノキアも、独自ブランドで、音楽配信サービスに乗り出すようなので、また熱い戦いが、この分野で始まりますね。

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2006.05.19

『ダ・ヴィンチ・コード』の影の主役

London_042映画『ダ・ヴィンチ・コード』の公開に先だって、プレス向けの試写会が、ロンドンにあるソニー・ピクチャーズの試写室で行われました。

この試写会を主催したのは、英ソニー・エリクソンだったのですが、これは、『ダ・ヴィンチ・コード』に登場する携帯電話を提供したのが同社だったからです。また、同社は、イギリスの携帯電話キャリアO2と組んで、『ダ・ヴィンチ・コード』のオーディオ・ブックを無料バンドルするサービスも行っています。

London_043_1そして、映画の中で重要な(?)役割を果たすのが、18日に発表されたスライド式のウォークマン携帯電話『W850』です。仕様などは、下記の記事をご覧ください。

ソニエリ、ウォークマン携帯新モデルなど5機種発表http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0605/18/news082.html

さて、私は映画を見る前に、すでに『ダ・ヴィンチ・コード』の原作は読んでいたのですが、あのストーリーの中で、どうやってこの『W850』を登場させるのだろう、と興味深く見ていました。しかし、ストーリーの展開があまりにも早く、もしかしたら見落としてしてしまったかな、と不安に思い始めた頃、ストーリーの終盤に近いところで、ようやく出てきました。

ただ、原作のある部分を時間的に短縮するために登場させたような感じがして、残念ながら、ちょっと唐突な印象を受けたのは否めませんでした・・・。ただ、後で原作を確認したら、原作の短縮された部分も、唐突といえば唐突だったので、どっちもどっち、という感じでしたが(笑)。

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2006.03.19

ソニー・ヨーロッパのブラビア工場

London_022スペイン・バルセロナにあるソニーの液晶テレビ工場を見学してきました。ソニーの液晶テレビ『ブラビア』は、欧州でも販売が好調で、最近のシェアは15%近くにまで伸びているそうです。

『ブラビア』で使用される液晶パネルは、ソニーとサムスンの合弁によるS-LCD社で生産されているものです。しかし、ソニーの説明によると、同じ工場で生産されているものの、両社では、ラインが別で、品質基準も異なるのだそうです。また、画像処理技術も、ソニーの独自開発による"ブラビア・エンジン"が採用されているため、画質は、ソニーの液晶テレビの方が、サムスン製よりもずっと良くなっています。

ヨーロッパでは、40インチ以上の大画面テレビでは、いまのところ、まだプラズマ・ディスプレーの方がシェアが高いようです。ただ、欧州では、プラズマディスプレーの分野では、日本のメーカーは、あまり存在感は無く、LGフィリップスとサムスンが2強となっています。

これに対抗するべく、ソニーは、40-44インチは液晶テレビで、45インチ以上は、リアプロジェクションでシェアを拡大する方針のようです。イギリスでも、大量のスーパーボールがはね回るブラビアのTVCMが放映されて、話題を集めていますね。

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