CGM

2008.01.31

動画上コメント機能のジレンマ

すでに多くの方が指摘しているように「ニコニコ動画」の動画上を流れるコメント機能というのはとても秀逸だと思います。ユーザーから見ると、とても面白い機能だと思います。

また、CGM(Consumer Generated Media)を活性化させる上でも、とても有効に機能していると思います。「初音ミク」ムーブメントに見られるように、ある人が歌を作って発表すると、別の人が歌ったり、踊ったり、絵をつけたり、というように、CGMとは、視聴者参加型のライブのようなもの、ということができます。

しかし、動画コンテンツというのは、必ずしもライブのようなものだけでなく、たとえば映画のように、最後までじっと視聴することが求められるものも多いと思います。そして、こういったコンテンツを配信するには、ニコニコ動画は、やはりなじまないのではないかと思います。

映画の展開をコメントでばらしてしまうとか、出演者の悪口を書くというような「荒らし」行為を未然に防ぐようなシステムを構築するのは、おそらく不可能に近いと思います。ですから、SNSと似たような、視聴するメンバーを限定するシステムを導入する必要があるのかもしれませんね。

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2008.01.30

ボーカロイド利用規約について思うこと・・・・・・続き

前回のエントリーで、ボーカロイドの利用規約について考察しました。その利用規約から感じ取れる意図は、

・ボーカロイドの普及促進の妨げになるような使い方はして欲しくない
・歌手や声優など、既存の人間の仕事を奪うような使い方については、できるだけ、その影響を小さくしたい

という2点に要約できると思います。そして、この2つの意図を満たすために、おそらく、いろいろなケースを想定した上で、利用規約を設定したように察せられます。そういう意味では、よく練られた利用規約ということができると思います。

今後も、ロボットや人工知能に類する物、あるいは、人間の何かに置き換わるツールが登場してくると思います。そして、それらを、いかに既存の社会への影響を小さくしながら、普及・発展させるか、という点も課題となってくると思います。

そして、そのテスト・ケースとしてみても、このボーカロイドの利用規約は、とても興味深いものであると言うことができると思います。

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2008.01.25

ニコニコ動画の今後

ニコニコ動画のID登録者が500万を突破したそうです。順調に会員を伸ばしているのは、よいことだと思いますが、しかし、ニコニコ動画は今後どのように発展していくのでしょうか?

同じような動画投稿サイトにYoutubeがあります。こちらは、当初はCGM(Consumer Generated Media)をめざしていたようですが、いまはどちらかというと商用コンテンツの配信・プロモーションのメディアへと変貌しつつあります。簡単に言えば「TVを補完するメディア」になりつつあります。

一方、ニコニコ動画は、動画上にコメントを流すというユニークなインターフェースのおかげで、<1>動画をみんなで見ているような感じが得られる、<2>CGMにおいてクリエイターのモチベーションを引き出す、という2つの効果を生み出しました。特に「初音ミク」ムーブメントの盛り上がりは、この2つの効果が大きな役割を果たしていることは言うまでもありません。

ただ、Youtubeのような商用コンテンツを本格的に配信するには、このコメント機能に抵抗を感じているコンテンツ・プロバイダーも多いのではないかと推測します。CGM中心で、現在のような発展が続けられるかどうかが、今後のニコニコ動画の方向を決めることになると思います。

あるいは、商用コンテンツに関しては、すでに、いろいろな人が指摘しているように、地デジやDVDプレーヤーやHDレコーダーの再生画面と同期させられるコメント・サーバーを用意するような方向に行かざるをえなくなるのかもしれませんね。

[参考]
Web2.0再考・・・・・・「世界」と、それを取り囲む「世間」
http://blogs.itmedia.co.jp/london/2007/09/web20_c372.html

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2008.01.01

ニコニコ動画がユーザーに謝罪

2007年における日本最大のヒットとなった「ニコニコ動画」は、2007年12月31日午後11時55分から、2008年1月1日午前0時2分にかけて、2007年のニコニコ動画を振り返る「ニコニコ動画、激動の歴史」を、時報とともに放送した。

この動画では、2007年にニコニコ動画で起きた、さまざまな出来事を紹介。そして、「2007年9月1日 初音ミクブーム到来」と紹介した後、「2007年12月25日 DMP社とクリプトン社共同声明」とし、さらに続けて少し小さい書体で「もうしわけありませんでした」と、初音ミクオリジナル曲「みくみくにしてあげる♪【してやんよ】」のJASRAC登録に端を発した一連の騒動について、ユーザーに対して謝罪をした。

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2007.12.10

「初音ミク」ムーブメントを育てたニコニコ動画という場

「初音ミク」ムーブメントというCGM(Consumer Generated Media)を活性化させた要因の一つに、「ニコニコ動画」という場をあげることができると思いますので、それについて、まとめてみます。ニコニコ動画の特徴は3つあります。

(1)匿名性が確保されていること

(2)一時的な関係性

(3)非対称の効用が交換されている

まず、(1)匿名性が確保されていること、についてですが、ニコニコ動画はメール・アドレスによる登録制のため、完全な匿名性が確保されているわけではありません。しかし、ある程度の匿名性は確保されていると言えます。

そして、匿名性が確保されていることによって、ニコニコ動画では、現実の世界における束縛から解放されます。つまり、社会的な関係とは無関係な、(2)一時的な関係性、が発生します。たとえば、普段は会社勤めをしているサラリーマンであったとしても、ニコニコ動画においては、作曲家やイラストレイターになったり、あるいは、それらのコンテンツの視聴者になったりすることができます。

このクリエイターと視聴者の関係は、ニコニコ動画においてのみ発生する一時的なもの、ということができます。そして、これは、現実における社会的な関係を伴わないものなので、純粋な評価が得られることになります。わかりやすく言うと、会社の人とカラオケに言った場合には、会社の人間関係が優先されるために、正確な歌唱力の評価が下されにくいのに対して、ニコニコ動画では、多数の視聴者が、いろいろなかたちで評価を下してくれます。

そして、(3)非対称の効用が交換されている、とは、「かたちの違う満足が交換されている」ことを意味します。クリエイターと視聴者との間、あるいはクリエイター間で、かたちの違う満足が交換されています。この「満足の交換の体系」がCGMを支えていると考えています。これについては、下記のエントリーを参照してください。

「初音ミク」ムーブメントから考えるCGMの弱点
http://blogs.itmedia.co.jp/london/2007/11/cgm_d7f4.html

また、私は、CGMを活性化させるには、多数の視聴者の存在が必要だと考えています。実際に、コンテンツを作っているのはクリエイターたちですが、そのモチベーションを維持・発展させているのは、多数の視聴者の存在だと思います。ですから、会費無料でもかまわないから、できるだけ多くの会員を集めた方がよいことになります。

もう一つは、多様なジャンルのクリエイターが集まった方が、CGMは活性化すると言えます。これは、あるジャンルのクリエイターは、別のジャンルのクリエイターに対するリスペクトの気持ちを抱き安いということと、多様なコラボレーションが期待できるからです。

特定のジャンルのクリエイターに限ったコミュニティは、初めは盛り上がったとしても、次第にクリエイター間のライバル意識が強くなってしまうのと、それに応じて、視聴者が熱狂的なファンとアンチにわかれて争いが始まり廃れてしまう可能性が高いと思います。しかし、何でもありのニコニコ動画は、こうした点を回避できていると思います。

すでにニコニコ動画は、多数の会員と多様なクリエイターの集まる場として機能しています。ですから、『ピアプロ』のような、ニコニコ動画を補完するサイトをのぞけば、ニコニコ動画のようなCGMを支える場として機能するサイトを、後発で作り上げるのは、なかなか大変なことなのではないかと思います。

もちろんニコニコ動画が今後どのように発展していくかについては予測不能な部分もあります。しかし、すでに私たちは、ニコニコ動画と「初音ミク」ムーブメントを通じて、CGMの楽しみ方を覚えてしまったことは、特筆すべきであると言えます。

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2007.12.01

なぜ「ニコニコ技術部」は、楽しそうなのか?

先週のエントリーで紹介した「ニコニコ技術部」ですが、なぜ、あんなに楽しそうなのでしょうか? もちろん、みなさんが技術実験を心の底から楽しんでやっているからなのですが、実は、もう1つ理由があります。それは、「初音ミク」のオリジナル曲を自由にBGMとして使うことができるという点にあります。

企業の作ったPRビデオなどを見ていても、BGMが良くないと退屈してしまいます。技術紹介のビデオは、よほど、その技術に関心がない限りは退屈するのが普通です。

それは、「ニコニコ技術部」のコンテンツにおいても同様なのですが、「ニコニコ技術部」では、初音ミクのオリジナル曲をよりどりみどりで使うことができるので、絵的につまらない部分でも、音楽を楽しむことで、やり過ごすことができます。

映像表現において、音楽のはたす役割は、とても大きいと言うことができます。たとえば、『踊る大捜査線』シリーズをBGM無しで見たとしたら、その面白さは、半分以下になってしまうでしょう。

現在TVで放送されている番組の多くは、つまらない映像をBGMで誤魔化しているものが多いと感じています。そして、これまでは、TV局だけが、比較的自由にBGM用の音楽を利用できるという特権を持つことによって、一般の人が作る映像コンテンツよりも優位にたってきました。

しかし、その特権も、もはや崩れつつあります。つまり、「初音ミク」、「鏡音リン」というボーカロイドの登場は、単に一般の人が音楽を作ることができるようになった、ということ以上のインパクトを持っていると言うことができます。

というわけで、ブームに乗って、ついうっかり「初音ミク」を買ったものの、「使いこなせない」、「作詞作曲のセンスがない」などと弱音を吐いている方は、まずは、ニコニコ技術部用のBGM製作に挑戦してみるのもよいかもしれませんね(笑)。

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2007.11.26

「初音ミク」が着うたに

初音ミクの楽曲が着うたとして配信されることになりました。

http://pc.dwango.jp/link.php/d/special/f/miku/

でも、着うたって受動型消費の典型的な商品なので、能動型消費者が中心のニコニコ動画とは異なるユーザーを対象とすることになるわけで、そのあたりは、どうなんだろうと思ったりします。まぁ、とりあえずはファンの方が購入してくれるのでしょうが、その先の壁を越えて大衆化するかどうかは、楽曲の持つ力による、ということでしょうか。

むしろ私は、ランキング上位下位問わず、カラオケで歌いたくなるような曲を掘り起こして、カラオケ配信した方が曲自体は長持ちするような気がしています。

しかし、カラオケ、着うた、と、初音ミクの快進撃はとどまるところを知りませんねぇ。次は何があるんでしょうか?

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SF作家の野尻抱介先生が、こんなものを・・・・・・

欲しい物が売って無ければ自分で作る、というのが、プロシューマーの正しいあり方です。作る技術がないのなら、アイデアを出して、誰かに作ってもらえばいいのです。

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2007.11.24

「初音ミク」は、どこまで行くのか?

ニコニコ動画において、「初音ミク」のタグがついたコンテンツが1万を超えました。また、「ミクオリジナル曲」も1000を超えました。もちろん、このタグは、必ずしも正確なものではありませんので、あくまでも目安としてですが、それでも「初音ミク」は、着々と成長を続けている、と言うことができます。

「初音ミク」ムーブメントについては、いろいろと考察を続けていて、書きたいこともあるのですが、せっかくだから、新しい情報や事件があった時にエントリーを書こうと思っていたら、何事もなく一週間が過ぎてしまいました。なんかこう無いんですかね。「陰謀」とか、「弾圧」とか、みんなが熱くなれるような展開は(笑)。

そんな中、いま私が注目しているのは、「ニコニコ技術部」というタグのついたコンテンツです。

http://www.nicovideo.jp/tag/%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%8B%E3%82%B3%E6%8A%80%E8%A1%93%E9%83%A8

「初音ミク」ムーブメントは、音楽、イラスト、アニメ、3DCGにとどまらず、デスクトップ・アクセサリーや時計などのソフトウェア、ペーパー・クラフトやフィギュアなどのリアル・モデル、ホログラムなどの立体画像などなど、多方面へと技術的な拡大・発展を続けています。

まるで、30年くらい前にガレージでパソコンを作っていた人たちの様子を、リアル・タイムで見ているようなわくわくした気持ちになってしまいます。

もし、日本中の技術者が協力しあえば、初音ミク型携帯音楽プレイヤー『ミクPod』くらいは作れそうな気がします。筐体のデザイン、ハード、ソフトはすべてオリジナルで、製造は台湾かシンガポールに委託する。資金調達がネックになりますけど、限定生産にして、あらかじめコスト計算をした上で、購入者を募れば、なんとかなるような気もします。鏡音リン型PDA携帯電話『リンPhone』なんてのも、いけるかもしれません。ね、わくわくしてきたでしょう?

いったい「初音ミク」は、どこまで行ってしまうのでしょうか? ニコニコ・ロケットに乗った、初音ミク型アンドロイドが、宇宙からメッセージを送ってくるようになるまでに、あと何年ぐらいかかるのでしょうか? 

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2007.11.17

「初音ミク」がカラオケに

「初音ミク」ムーブメントの一翼を担っている「みくみくにしてあげる♪」が、カラオケで配信される可能性が出てきたようです。

カラオケでも「みっくみくにしてやんよ~♪」
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/game/071117/gam0711170926000-n1.htm

よく考えてみると、カラオケというのは、日本最大のプロシューマー市場と言うことができます。プロシューマーとは、生産者であり、かつ消費者である存在のことで、カラオケで言えば、楽曲の消費者であると同時に、歌を歌う生産者ということになります。

こうして考えてみると、「初音ミク」ムーブメントというCGM(Consumer Generated Media)との親和性は高く、「ニコニコ動画」の外から、「初音ミク」ムーブメントに接続しうるものであると言えます。

この場合は、歌を歌うこと、仲間に聞いてもらうことから得られる効用(満足)の対価として、カラオケ屋さんや楽曲の提供者に、金銭を払うことになります。

楽曲配信数の正確な記録と、それに応じた金銭の支払いなどの運用面がきちんと実行されれば、という条件はつきますが、楽曲のクリエイターにとってもメリットのある話だと思います。

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2007.11.12

「初音ミク」ムーブメントから考えるCGMの弱点

「初音ミク」ムーブメントにおけるCGM(Consumer Generated Media)について、「効用」という概念を使って考察してみたいと思います。「効用」とは、商品を消費したときに得られる「満足」のことを言います。

現在起きている「初音ミク」ムーブメントにおいて観察されることは、「物々交換」や「財・サービスと貨幣の交換」といった経済学の概念、あるいは「蕩尽」や「贈与」といった人類学の概念では捉えきれない性質のものです。

私は、「初音ミク」ムーブメント、つまりCGMは、「効用の交換」、つまり「満足の交換」によって支えられていると考えています。それも、かなり非対称かつ間接的な「満足」の交換の体系によってなりたっていると捉えています。

まず、どういった「効用」、つまり「満足」が交換されているのか、それぞれの局面について考えてみたいと思います。

(1)視聴者とクリエイターの場合

まず、視聴者とクリエイターの関係について考えてみます。もちろん、あるコンテンツについてクリエイターだった人が、別のコンテンツにおいては視聴者になったり、あるいは、その逆のケースも発生します。

・視聴者←クリエイター
コンテンツを鑑賞する、コメントをつけて楽しむ

・視聴者→クリエイター
コンテンツを鑑賞してもらえる、評価(コメント、再生数、マイリスト)やアドバイスなどが得られる

こうやって見ると、視聴者とクリエイター間では、双方向に非対称な効用(満足)が交換されていると言えます。

次に、クリエイター相互の満足の交換について考えてみたいのですが、ここではジャンル(音楽、イラスト、アニメ)が同じクリエイターの場合と、異なる場合、それぞれに分けて考えてみます(一人で作詞作曲し、イラストも描くというマルチ・クリエイターもいますが、それは除外して考えます)。

(2)同ジャンルのクリエイターの場合

まず

・クリエイターA→クリエイターB
AのコンテンツをBがアレンジ・改変して楽しむ

という効用(満足)のフローが考えられます。しかし、この逆方向(A←B)フローについては、どういう効用(満足)が考えられるのでしょうか? これについては、最後に改めて論じたいと思います。

(3)異なるジャンルのクリエイターの場合

・クリエイターA→クリエイターB
Aのコンテンツ(音楽、イラスト、アニメなど)に、Bが、別ジャンルのコンテンツを組み合わせて楽しむ

という効用(満足)のフローが考えられます。そして、この逆方向(A←B)のフローは

・クリエイターA←クリエイターB
Aのコンテンツ(音楽、イラスト、アニメ)が、Bのおかげで、より充実したものとなる(BのせいでAが不満足となることもありますが、それは除外して考えます)

こうしてみると、異なるジャンルのクリエイター間でも、双方向に非対称な効用(満足)が交換されうる、と言うことができます。そして、ある人が作った曲に、別の人がイラストをつけて、さらに別の人が、そのイラストをアニメ化したり、3Dモデル化したり、という流れの中では、非対称の効用(満足)のフローが多方向に発生することになります。

しかし、先に触れた、同ジャンルのクリエイター間の逆方向(A←B)フローはどうでしょうか? 最初にオリジナルの曲を作ったり、イラストを描いたりした人に、その作品を他の人がアレンジ・改変することによって、どういった効用(満足)が流れてくるかが、よくわかりません。

一般的な感覚で言えば、自分の作品を他人がアレンジや改変を行った場合に得られる効用(満足)というのは、良くてゼロで、場合によってはマイナス(不満足)になるのではないかと思います。これは、ソフトウェアの「オープンソース」とは異なる点です。そして実は、これが、CGMの最大の弱点と言うことができます。

したがって、CGMを持続的なものにするには、最初にオリジナルなコンテンツを提供したクリエイターに、不満足を与えない、または、効用(満足)以外の対価が与えられように配慮する必要があると言えます。

[参考]
「初音ミク」のイラストの凄い点
http://blogs.itmedia.co.jp/london/2007/11/post_e142.html

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2007.11.09

認知心理学の実験:鏡音リンを作ってみた

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2007.11.07

「鏡音リン」のイラストが凄い点

すでにネットに流れている「鏡音リン」のラフ画を元に、リンを描いてみると・・・・・・。髪は黄色のショートカットで頭には白いリボン、白いセーラー服に黄色のリボン、黄色のショートパンツ、袖と足は黒といった点が、リンを象徴する記号と言えるでしょう。

こういう風に記号化しやすいデザインというのは、アニメやおもちゃのキャラクター・デザインの世界では、一般的に採用されている手法です。もちろん、「初音ミク」にしろ、「鏡音リン」にしろ、イラストを担当されているKEIさんのデザインや色使いが優れていることは、言うまでもありませんが。

このことは、「プロになること」の一面を示していると思います。つまり、各方面の要求を満たしつつ、自分のオリジナリティをいかに出していくかが、プロとしてやっていく上での重要なポイントであると言えます。もちろん、各方面の言うことを聞きすぎて駄目になってしまうこともありますが・・・・・・。

そして、こういったしがらみに疲れたプロたちが、遊びとして、その才能を無駄に発揮しているケースが、最近の「ニコニコ動画」では見られるようで、そのクォリティの高さには驚かされます。こうしたプロとアマチュアの相互交流によって、クリエイターの技術やファンの鑑賞眼は、さらに向上していくと思います。

これから「ニコニコ動画」出身のクリエイターが出てくることは予想されます。しかし、私は、個人的には、ニコニコ動画はクリエイターの「遊びの場」、「修行の場」にとどめておいた方が健全な気がします。

「クリエイティビティを換金しよう」と煽って失敗したケースもあるようですし・・・・・・。

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2007.11.02

「初音ミク」のイラストの凄い点

「初音ミク」ブームが盛り上がった要因の一つに、パッケージに使用されているキャラクター・イメージがあげられます。イラストと簡単なキャラクター設定だけを提示して、その解釈は、ユーザーに委ねる、という手法です。

あれについて、「アニメ風の、いわゆる"萌え"絵が受けた」という指摘がなされています。しかし、それだけでは無いと思います。なによりも、あの「初音ミク」というキャラクターは、誰が書いても初音ミクになる、というわかりやすさがあります。

私は、絵心はまったくありませんが、初音ミクを描いてみろと言われれば、描くことができます。髪は緑で、いわゆるツイン・テールで、服はグレー、袖とスカートとストッキングは黒。幼稚園児に、あのパッケージを見せても、初音ミクと認識できるものを描いてくれるでしょう。絵がうまい人が描いても、下手な人が描いても、アニメにしても、3Dモデルにしても、二頭身にしても、「初音ミク」という同一性が保たれる、という強みがあります。

そして、CGM(Consumer Generated Media)においては、「多様な解釈を許容しながら、誰が見ても、それとわかるもの」が、評価されることになります。これは、音楽でも同様で、楽譜と歌詞に対する多様な解釈やアレンジを許容しつつも、なおかつ同一性を保てる、というオリジナリティの高い楽曲が人気を集めることになります。

「伊達杏子」が駄目な理由は、いろいろあるのでしょうが、私が思うに、「描いてみろ」と言われても、特徴がないので描けません、という点が最大の欠点ではないでしょうか。

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2007.10.28

いちばん楽しいのは「革命前夜」なのだ

「ブロードバンド革命」において、いちばん楽しかったのは、やはり「革命前夜」だったんだな、と改めて思います。

ブロードバンドが普及すれば、あーなる、こーなる、とわくわくしたもんですが、実際のところ「革命」が実現するということは、一般化=大衆化する、つまり「お茶の間化」するということだったわけです。結局、ネットの世界はテレビの写し絵になってしまいました。

「学園祭」と同じで、「革命」なんてものは、実現してしまえば、退屈な日常が待っているわけでして、いちばんわくわくするのは、やはり、その「前夜」といえます。そしていま、そういう「革命前夜」気分が味わえるものとしては、「初音ミク」ムーブメントをあげてもいいかと思います。

そして、この初音ミクに対して、「TV番組がまともに取り上げない」とか、「画像検索で初音ミクが表示されない」というような、おぼろげな"敵"のようなものが浮かび上がってきています。その結果、いままで初音ミクにゆるく関わってきた方々が一致団結して「一丁やってやろうじゃねぇか」という気になっているんじゃないかと想像しています。

この状況は、初音ミクという一つのムーブメントを、いっそう盛り上げる方向に働くのではないかとわくわくしつつ、その行く末を見守っているところです。

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2007.10.06

ニコニコブックマーク(β)のサービス終了

えー、前回のエントリーで触れた「ニコニコブックマーク」なのですが、「ニコニコ的に、まだ、その域に達していないと判断」したことにより、サービスの提供を終了してしまいました。

一方、竹熊健太郎氏のブログ「たけくまメモ」( http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/ )では、ブログのコメント欄を閉鎖して、コメント用の掲示板を開設しました。

まぁ、こんな感じで、いったりきたりしながら、用途にあった、最適なものが見つけられるのでしょう。

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2007.09.30

ニコニコブックマークは、すごいサービスかもしれない--Web1.0サイトを勝手にWeb2.0化するツール

ニコニコブックマークというサービスが開始されました。初め見たときは、よくわからなかったのですが、前々回のエントリーを書き終えた時に、ふと「これはもしかしたらすごいサービスなのかもしれない」と思うようになりました。

ニコニコブックマークについては下記の記事をご覧ください。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0709/19/news077.html

たとえば、ある世界観(歴史観といった方がよいかもしれませんが)に基づいて、記事を提供するニュース・サイトがあったとします。しかし、そのニュース・サイトは、「うちんとこはWeb1.0でいいですから」と言って、そのサイトにコメント欄を設けません。

一方、そのニュース・サイトの提示する世界観に対して、批判的な意見を持っている人たちが集まる掲示板があったとします。彼らは、日々、当該のニュース・サイトの記事をチェックしては、掲示板に書き込みというかたちで批判しています。

しかし、この状況では、ニュース・サイトはニュース・サイトとして、掲示板は掲示板として、別個に存在しています。ところが、ニコニコブックマークを使うとあら不思議、ニュース・サイトと掲示板とが、Web2.0的に接続されることになります。もちろん「視覚的に」接続されるているだけなのですが、これはすごいことのような気がします。

例えていうと、毎朝配達される新聞を開くと、すでに記事に関して、いろいろな意見がみっちり書き込まれている、というような感じでしょうか。

まだ使い勝手はよくないようですが、同様のサービスは、ほかにも提供されていますが、どうなることやら・・・・・・。

ニコニコブックマーク
http://www.nicob.jp/
Cha-Cha-le! BETA
http://chachale.jp/

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2007.09.29

セカンド・ライフに欠けているもの

セカンド・ライフ(Second Life)がいまいち盛り上がらない理由は、「世界観」が無い、ということにつきると思います。

前回のエントリーの"「世界」と、それを取り囲む「世間」"を踏まえて言えば、セカンド・ライフは、何を表現し何を表現しないか、という「世界観」が無く、ユーザーが勝手に何でも行える、単なる「世間」に過ぎないからです(もちろん、最低限のルールは定められていますが)。

セカンド・ライフは、「3D仮想世界」と紹介されますが、実態は「3D仮想"世間"」と言った方がふさわしいかと思います。だから、世間話ぐらいしかすることがないわけです。

それでは、その世間の中に、世界観を持つもの、つまりコンテンツを置けば、そのコンテンツを見るために、ユーザー数が増えるのではないか、と考えることはできます。

しかし、それらのコンテンツは、結局のところディスプレーを通して鑑賞するものなのですから、3Dの空間に置かれることにあまり意味はありません。たとえば、セカンド・ライフでしか見られないライブとか、映画が公開されたとします。しかし、3D空間の中を歩いて、それらが公開されるライブ会場や映画館にいっても、結局、2次元のコンテンツをみるわけですから、3Dの特殊性は無いわけです。

現在は、1つのSIMに50人という制約があるのですが、もしこの技術的制約がなくなったとしても、ディスプレーを通してみる2次元のコンテンツを、3次元の空間に置くことに意味は無いように思います。

将来、3Dゴーグルなどにより、本当に3次元空間にいるような体験ができるようになれば、また違った楽しみ方もあるのでしょうが、それはずっと先のことになると思います。

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2007.09.28

Web2.0再考・・・・・・「世界」と、それを取り囲む「世間」

Web2.0を巡る議論の中で、あまり指摘されていなかった点を考察してみたいと思います。

まず、このことを考えるようになったきっかけになったコラムを紹介します。ちょっと古いのですが、『週刊文春』2006年3月30日号に掲載された堀井憲一郎の「ホリイのずんずん調査」より。

「文章のスタイルは『使わない言葉』で決まる。いい文章は、いい言葉が詰まっているわけではなく、悪い言葉がきれいに排除されてるだけなんですね。これは読んでいるほうにはわかりにくい。それぞれの文章が『どういう言葉を避けて書いているか』というのは、とても注意深く見てないとわかんないですね」

まさにその通り。で、このコラムは、この後、堀井氏が出演していた日本テレビの自社宣伝番組『TVおじゃまんぼう』が、「ぜひ、ご覧ください」「おもしろいですよ」というセリフを使わないことになっていた、なぜなら、「そのほうが見ている人の視聴意欲をかき立てる」(同コラムより)から、といったことなどを紹介しています。

ところで、このコラムの引用部分の指摘というのは、創作全般に通ずるものであると言えます。つまり、創作者(クリエイター)というのは、何を書き(描き)何を書かない(描かない)かを決めることで、自分の「世界」を構築するわけです。

しかし、ブログなどで文章を発表すると、書き手が、意図的に(あるいは無意識に)排除している言葉を、コメント欄に書かれてしまって、その結果「世界」が壊れたりしてしまいます。たとえば私が「節約は賢いことだ」というコンセプト(世界観)で、ブログを開設しても、コメント欄に「貧乏くさい」とか、書かれてしまうと、その世界は一発で崩壊してしまいます。

インターネットの掲示板や、ブログのコメント欄にあふれるコメントというのは、言ってみれば「世間の声」であって、必ずしも「世界」を構築する要素にはなりえないし、時には「世界」を壊す方向に働いたりします。

あるいは、ニコニコ動画のコメントというのも、流れている動画の提示する「世界」に、そぐわないコメントがついていたりしますが、「世界」を提示する側は、動画そのものを削除しない限り、それらを排除することはできません。

Web2.0と呼ばれる状況の下では、クリエイターによって提示される「世界」と、それを取り囲む「世間」というものが、きわめて容易に見えるようになってきました。たぶん、これがWeb2.0のもたらした最大の変化ではないかと思います。

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2006.10.06

英LastFM訪問記・・・「WEB2.0? うーん、よくわかんない」

『日経トレンディ』11月号のWEB2.0特集の依頼で、イギリスのLastFMに取材に行ってきました。誌面では書ききれなかったこともありますので、ここで紹介します。

London_076_2LastFMは、"音楽SNS"とカテゴライズされるサービスで、ユーザーがパソコンで聞いた音楽のデータを収集して、同じような音楽の趣味(Music Taste)を持つ人たちを紹介しあう、というのが基本サービスです。これに、ブログとしての機能や、タグをつける機能、ネット・ラジオの機能などが盛り込まれていて、WEB2.0的な音楽サービスとして注目を集めています。

London_077_1いままでは英語圏だけのサービスでしたが、日本では、エキサイトと提携して、この7月から日本語版のサービスを開始しています。LastFMの本社は、ロンドンのイースト・エンド(東端)にあります。地下鉄のオールド・ストリート駅から少し歩くと、倉庫街があって、そのワン・フロアーをオフィスに使用しています。

London_078左の写真は、LastFMの創設メンバーの3人で、左から、リチャード、フェリックス、マーティン。フェリックスとマーティンが激論をしているように見えますが、これは、もちろんヤラセです(笑)。そもそもLastFMは、ドイツ人のフェリックスとオーストリア人のマーティンが、ロンドンのコンサート会場で出会ったことが設立のきっかけだったそうです。

2001年に彼らが出会った頃は、フェリックスはパンク・バンドで演奏していた経験があり、また、マーティンは、小さなレコード・レーベルの運営に携わっていたそうです。そして、音楽好きの二人は意気投合した後に、「無名のミュージシャンをプロモートするためのウェブサイトを作ろう」と考えて、LastFMを2002年に設立しました。LastFMは、「音楽好きにとっての最後のラジオ局」という意味で、このサイトにアクセスすれば、自分のテイストにあった音楽を見つけることができるラジオ・サイトをめざしているそうです。

そして、彼らの目標である「無名のミュージシャンをプロモートする」ためには、どんな音楽がよく聴かれているか、についてのデータを収集することが重要である、と考えました。そして、イギリス人のリチャードが2003年に開始した"Audioscrobbler"というサービスに注目し、リチャードもLastFMに参加することになりました。別々に発生した2つのプロジェクトが、ここで1つになったわけです。"Audioscrobbler"というのは、パソコンで再生された音楽のデータをインターネット経由で収集するシステムで、あるユーザーの音楽の趣味をパターン化し、それと同じような嗜好を持つユーザーを紹介しうというものです。

私は、この取材をする前の時点では、なぜ「よく聞かれる音楽のデータが重要である」のか、いま一つわかりませんでした。しかし、いろいろと話を聞いているうちに合点がいきました。たとえば、音楽の好きな人が初めて出会った時に、次のような会話をしますよね。

A「君は、どんな音楽良く聞くの?」
B「aaaa(アーティスト名など)とか、bbbbも好きかな」
A「ふーん。ccccなんかどう?」
B「うーん、ccccは、ちょっと・・・。でも、ddddは好きですよ」
A「あ、ddddも好きなんだ。それだったら、eeeeも気に入ると思うよ。今度コンサート行こうよ・・・」

というような。これって、読書とか、映画鑑賞とか、美術鑑賞とか、そういった趣味を持っている人同士が初めて出会った時に、かならず探り合うようにする会話ですよね。「コイツとは、友達になれそうかな?」と思いつつ。で、LastFMは、それを押しつけがましく無いようなやり方で、スマートに行える場として機能していると。

彼らが、LastFMを設立した2002年というと、iPodやiTunes Music Storeも無い頃で、もちろんWEB2.0などという概念もありませんでした。それでも現在のLastFMは、WEB2.0的な要素を、たくさん取り込んでいて、WEB2.0サービスの代表格と言えるかもしれません。それで、COOのマーティンに聞いてみました。「WEB2.0という概念について、どう思うか?」と。そしたら、マーティンの返事は、「うーん。よくわかんない」でした。

LastFMは、2002年の発足当初から、音楽好きのためのコミュニティ主導(Community Driven)のサイトの構築をめざしてきました。その過程で、いろいろな技術が持ち込まれ、結果としてWEB2.0的な要素をが、色濃くなったのだと思います。彼らは、決して、WEB2.0企業になることをめざしていたわけではないし、逆に言えば、めざすところがはっきりしていなければ、どんな技術を盛り込んでも、ユーザーに見放されてしまうのだろうと思います。

London_079(LastFMのオフィスでは、プログラマーを中心に22人のスタッフが働いていました)

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2006.04.19

ウィキトゥルース登場

ウィキペディアの編集方針に異議を唱える人たちが、新たなサイト「ウィキトゥルース」(Wikitruth)を立ち上げたそうです。

http://www.wikitruth.info/index.php?title=Main_Page

メイン・ページの下の方に"Getting Started"という項目があって、その中で、Wikipedianを過激な言葉で批判していて、かなり感情的な印象も受けます・・・。

「善意」に頼ったものというのは、必ず、こういった分裂や対立が起きてしまいますね。まぁ、それだけウィキペディアの存在が大きくなったと言えるのかもしれませんが。

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2006.02.03

『ASAhIパソコン』休刊に思ふ

朝日新聞社の『ASAhIパソコン』が、2月28日発売号(3月15日号)をもって、休刊するそうです。私も、海外ニュースを書かせていただいていたので、休刊は残念です。

担当の石川副編集長は、いつも丁寧に進行をしてくださって、とても仕事がしやすかったですね。

初校ゲラを点検する際には、いつも必ず校閲を通してから送ってくださるのですが、元雑誌編集者の端くれとしては、「いいなぁ、こんな丁寧に雑誌を作れて」と、うらやましく思ったものです。また、書き手としては、いつも、とても気持ちよく仕事をさせていただきました(ありがとうございました)。

ただ、ある原稿で「月極」と書いて送ったら、「弊社では『月極』は『月決め』と表記します」と言われた時は、ちょっとビックリしましたが・・・。

一般の人は、あまり意識していないと思うのですが、1つの雑誌においては、文字の表記は統一されるべきである、というのが出版界の常識でした。出版社で統一してしまう場合もあれば、雑誌ごとに統一する場合もあります。

何をどう表記するかということは、大げさに言えば、その出版社や雑誌の思想を体現することになります。また、表記を統一することで、記事を読みやすくするという機能的な意味もあります。

これに対し、インターネットの掲示板やホームページ、ブログなどに書かれた文章には、文字の表記に関して統一のとれていないものが多く、読みにくく感じることがあります。

しかし、この「表記の統一」が、どれだけ雑誌の売り上げに貢献してきたかは、実際のところ、よくわかりません。そして、出版界も不況が長引くにつれて、そういう部分にあまりコストをかけられなくなってきているようです。

これまでは、文字の表記に関するスタンダードを新聞社や出版社が作ってきたわけですが、インターネットの時代にも、その役割を、新聞社や出版社が担い続けるのでしょうか? それとも何か新しい仕組みが生まれてくるのでしょうか?

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2006.01.03

ウィキペディア考-5-

年末から、奥歯が少し痛かったのですが、年が明けてから、とうとう顔が腫れてきてしまいました。

「歯 痛み」というキーワードで、グーグルで検索して、いろいろなサイトを見てみると、どうやら「歯髄炎」らしい。そこで、今度は、「歯髄炎」で検索してみると、上から5つ目に、ウィキペディアの「歯髄炎」の項目がありました。

これを見ながら、次のようなことを考えました。

もし、ウィキペディアが、これからも発達したとします。そして、グーグルで検索する際に、どんなキーワードで検索しても、かならずウィキペディアの項目が上位にくるようになり、そして、それが役に立つ内容だったとしたら、利用者は、「まずグーグルで調べてみて・・・」ではなくて、「まずウィキペディアで調べてみて・・・」となるのではないか、と。

そして、そういう状況は、グーグルにとって、あまり好ましくないのではないかと。ウィキペディアとグーグルの関係は、やはり微妙なものがあるといえます。

ま、そんなことより早く歯医者にいかねば・・・。

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2005.12.29

ウィキペディア考-4-

ウィキペディアとグーグルの関係は、ちょっと微妙なものがありますよね。

グーグルは、あるキーワードにヒットしたサイトを表示してくれるものの、それらは専門家の作ったものから一般の人の作ったものまで、つまり情報の信頼性の高いものから低いものまで、一緒くたに示されます。だから、欲しい情報にたどり着くまでには、ある種の検索スキルが必要となります。

一方、ウィキペディアは、書き込みをする人たちによって、ある程度の合意が形成されたものを公開する(ことをめざしている)ために、それほどのスキルがなくても、知りたい情報がえられます。

ただし、現状のウィキペディアは、それぞれの記述が信頼性に欠けるために、編集者や専門家によるチェック・システムを導入しようとしています。

ところでグーグルは、昨年12月から、米英の5つの図書館の蔵書をスキャンして、その一部を閲覧できるようにするプロジェクトを進めています(ただし、アメリカの出版社や作家の団体は、「著作権侵害に当たる」と主張しているため、このプロジェクトは、現状ではストップしています)。

ウィキペディアは、記述の信頼性を高めるために専門家の参加を促し、一方グーグルは、専門家が書いたものをスキャンして読めるようにしようとしている・・・。この競争は、どちらが勝つのでしょうか?

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2005.12.27

ウィキペディア考-3-

日本の事情はわかりませんが、英語で書かれた学術論文の多くは、インターネットで公開されています。古いものも、PDFファイルで読むことができます。

ただし、これは大学などの研究機関に所属する研究者や学生にしかIDが発行されず、一般の人はアクセスすることができません。

大学教授や学生が、論文などを書く際には、これらのサイトから得られた知見を活用すれば良いので、あえて「オンライン百科事典」を利用したり、それに投稿したりする必要性は、あまりありません。

そもそもウィキペディアは、一般向けの百科事典という性質が強いので、そのことを理解した上で、それを、いかにうまく利用するかが重要だと思います。

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2005.12.21

ウィキペディア考-2-

iTmediaにウィキペディアに関して、新たな記事が掲載されました。

「Wikipedia、科学分野では正確」――Nature誌が調査
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0512/15/news070.html

科学専門誌ネイチャーが、各分野の専門家に、ウィキペディアとブリタニカ百科事典の評価を依頼し、回答を得られた42の項目について調べたところ、ウィキペディアは平均で4カ所の間違いがあり、一方、ブリタニカ百科事典では3カ所だったことがわかったそうです。つまり、ウィキペディアの信頼性は、ブリタニア百科事典と同レベルであることがわかりました。

この記事の元になったネイチャー誌の特集はウェブで公開されています。

Internet encyclopaedias go head to head
http://www.nature.com/nature/journal/v438/n7070/full/438900a.html

これによると、信頼性以外の点での意見として、特に「読みやすさ」という点について、ウィキペディアは「構成が貧弱で、混乱している」という指摘が多かったそうです。

また、下記のコラムの後半では、ある科学者が、"climate-change"に関連するトピックで、2人の懐疑派と2年間にわたり編集合戦をくりひろげたことが紹介されています。最後は、ウィキペディアの管理人の裁定により、懐疑派の2人が6カ月間編集禁止に。また、当の科学者も6月間1日に1項目しか編集できないという裁定がくだったそうです。

Challenges of being a Wikipedian
http://www.nature.com/nature/journal/v438/n7070/box/438900a_BX1.html

あと、学術的なレベルでは、出典や文責の曖昧な文章は引用できない、要するに「使えない」ので、そういう意味での限界はウィキペディアには、あると言えます。入門レベルで、何かを知りたい時には、とても便利なんですけどね・・・。

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2005.12.07

ウィキペディア考

iTmediaにウィキペディアに関して次のような記事が掲載されました。

Wikipediaが登録制に――虚偽投稿対策で
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0512/06/news027.html

アメリカのジャーナリストがウィキペディアに、「『ケネディ暗殺に関与した』と虚偽の経歴を書かれた」と苦情を訴えたことから、新たな項目を登録する際には、ユーザー登録を義務づけるようにするそうです。

ウィキペディアは、ユーザーの善意が前提となっているシステムですが、こうした特定の意図のある書き込みを、すべてチェックするには、規模が大きくなりすぎているのかも知れません。

今回のケースは、やや政治的な側面を帯びていますが、それではウィキペディアを純粋に学術的な視点から見た場合には、どういう評価がくだされるのでしょうか?

少し前ですが、10月24日付のイギリスの高級紙ガーディアンに、"Can you trust Wikipedia? "(ウィキペディアを信用できますか?)という記事が掲載されました。「創設者でさえビックリしたことがあると認めた」ウィキペディアのいくつかのエントリーを専門家の目でチェックするという企画です。

たとえば、"Haute couture"というファッション用語については、「間違いが多い」と指摘されています。また、"Steve Reich"というアメリカ人作曲家については、特定の作品にだけ詳しくバランスを欠いていると指摘されています。

このほか、"Basque people"、"T. S. Eliot"、"Samuel Pepys"、"Bob Dylan"、"Encyclopedia"などのエントリーについても、専門家による点検がなされています。全体としては、事実関係には誤りは少ないものの、分析的な視点に欠けるという指摘が多いようです。

まぁ、そういうもんだと思って使っていくしかないのでしょうね。

[参考]Can you trust Wikipedia?
http://www.guardian.co.uk/g2/story/0,,1599116,00.html

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2005.11.07

ロンドンより、こんにちわ

こんにちわ、初めまして。 英国ロンドンで、フリーランスのジャーナリストをしています安藤怜(あんどう さとし)と申します。このたび、オルタナティブ・ブログに参加させていただくことになりました。

私は、この「オルタナティブ・ブログ」が始まった時には、一読者として、かなり注目をしていました。 というのも、10くらいのジャンルにわけた各分野を、編集者的センスのあるジャーナリストに担当させることで、それぞれ専門性のある独自ニュースや、ニュースの解説などが、編集者を介さずに次々とアップされ、一つのニュース・メディアとして立ち上がるのではないかと思ったからです。

しかし、こちらのブログも始まった当初は、ジャーナリストの方のエントリーもあったのですが、次第に、企業協賛の方やITメディアの編集部の方のエントリーが中心となってきているようです。これは、なぜなのでしょうか? ジャーナリストやライターというのは、やはり編集者がいないと仕事ができないものなのでしょうか?

インターネットの掲示板やブログが普及して以降、ビジネスやスポーツなど他の分野で活躍されている方の意見が、そのまま読めるものに人気が集まっているようで、文筆を業とするものは、なんだか肩身が狭くなっているように感じられます。

しかし、そうは言っても、まだまだ生き残る方法はあるのではないか? なんてことを思いまして、そして、その方法を模索するために、こちらのブログに参加させていただくことにしました。

そんなわけで、ゆるゆるとおつきあいの程、よろしくお願いします。

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