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1994年6月

1994.06.10

▽日本会社原論?『危機の中の日本企業』――日本型経営に変貌を迫る新しい経済状況を検証する



 内橋克人、奥村宏、佐高信の激辛三人組の編集による「日本会社原論」六冊シリーズの第一弾。企業を批判することさえタブー視される企業社会においては、内橋、奥村、佐高らの歯に衣着せぬ発言は、ある意味で貴重である。しかし、徹底的な批判であるがゆえに、企業人としての無意識が働き、つい反発してしまう読者も多いだろう。

 しかし、本書においては、批判のための批判といった面は少なく、日本企業と、そのおかれている状況を多角的に検証しようとする意欲が伺える。激辛三氏による七〇ページ渡る徹底討論「九〇年代不況は日本経済を変える」は、三氏の、従来の主張の集大成という感がある。その後には、深田祐介はじめ九人の論客による論文が続く。

 影山喜一による「日本型経営礼賛論の明暗」は、日本経済の危機・アメリカ経済の復活という現在の状況を考えるうえで興味深い。工場の実証研究から、企業組織のメカニズム、産業構造、はては日本人の心理特性まで広範に渡る日本的経営論の数々を、とりあえず二つの軸で切ってみせる。

 一つ目の軸は、社会発展によるもので、日本の後進性・先進性のいずれかに注目する。もうひとつの軸は、諸外国との比較によるもので、特殊要因・普遍要因のどちらかに注目する。後進性・特殊要因に注目する立場は、日本の遅れを取り戻すのがいかに困難かを嘆き、後進性・普遍性の立場は、歴史的必然に基づく日本の将来を強調する。七〇年代末までは、いずれにせよ日本企業の後進性が強調されてきたが、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の出版以降、こうした状況は一変する。

 「ジャパン・アズ・ナンバーワン」は、日本の先進性を特殊要因と結びつけているため、礼賛論ではあるものの、日本異質論の先駆けとなった。つまり、日本を先進グループの一員と認め日本の経験を学ぼうとしても、習得不能な特殊要因があることを主張する。とすれば、諸外国は、日本にルールの変更を求めるか、仲間外れにするかのいずれかを選ばざるをえない。ジャパンバッシングの根拠は、この点にあり、逆に日本企業自身による礼賛論も日本の特殊要因を強調することから生じてくる。

 重要なのは、日本の先進性と普遍要因に注目した日本礼賛論である。影山氏が「アメリカ製のトロイの木馬」と指摘するように、礼賛論は「素晴らしい業績に恵まれた日本企業を賞める根拠の探求ではなく、日本企業の成功の秘訣を外国企業に分かるよう説明することであった」。アメリカ企業が復活した今、日本礼賛論が存在する意味はなくなってしまったとさえいえる。

 「イミテーション技術立国の光と影」(下田博次)、「情報テクノロジーと日本企業の行方」(須藤修)の二編は、一般的な経済論が見落としがちな技術発展のインパクトを示唆しており、興味深い。また、永野健二は「日本的コーポレートガバナンスの道」において「社会主義は『資本の軽視』ゆえに敗退し、資本主義は『労働の軽視』の上に危機を加速している」と指摘し、「資本と労働」の新しいシステムの構築を求めている。シリーズの今後が期待できる。


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▽『日本の潜在成長力』――持続的な繁栄か、それとも長期停滞か。

日本開発銀行調査部編『日本の潜在成長力―労働力減少を乗り越える成長策』(日本経済新聞社)



 本書は、不良債権問題、企業の売上高の減少、円高による国際競争力の低下など、日本の抱える短期的な問題も視野に入れながら、持続的な繁栄への条件を、需要と供給の両側面から検討する。

 今後の労働生産性の伸び率を80年代の平均値と同じ三・一%と仮定しても、労働力人口の減少や労働時間短縮により、2000年までの潜在成長力は二%にとどまることを実証的に明らかにする。そして、製造業に比べ労働生産性の低い非製造業の生産性向上のためには規制緩和が重要であることを主張する。

 マクロとミクロの両視点の混在、各章の整合性にかけるなど、議論にやや粗い点があることが惜しまれるが労作であることは間違いない。

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▽『出社拒否』――迷う三〇歳、悩む四〇歳 職場は今楽しいですか?

石郷岡泰『出社拒否』(講談社ブルーバックス)



 企業社会で忙しい日々を送るサラリーマンが、突然出社できなくなる例が増えている。彼、彼女が会社にこなくなった理由はなにか、豊富な事例をもとに説き明かしていく。

 産業カウンセラー(会社員の悩みに応えるカウンセラー)でもある筆者は、出社拒否になる人が抱く不安は、中学生・高校生の心の内に潜む不安と変わりがない、と指摘する。健康な人には理解しにくい、こうした心理に陥ってしまうのは、地位や立場と、はたすべき役割の兼ね合いを見誤ってしまうことに原因がある、という。

 筆者は、周囲に対する態度や考え方の対応の変更を迫られる、三〇歳前後、そして四〇代前半を、危機の年代と指摘する。

 三〇歳前後というのは、家庭や職場、あるいは仕事に対する自分の対応を見なおす時期にあたり、現実を吟味しながら、一方で自分の「夢」や「野心」を再形成することを迫られる。

 これに対し、四〇歳前半ともなると、職場では中堅となり待ったなしの能力が要求される。家庭では子供が思春期に入るといったこともあり、今まで以上に位置や役割が固定化され、夢や野心を抱くよりも現実での成果の積み重ねが求められる。

 いずれも、立場の移行期にあたり、仕事で成果をあげること以外の役割が期待される。まずは、職場を楽しくする努力と、仕事を忘れリラックスする努力の両立を。

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