1994.07.10

▽『政治ジャーナリズムの罪と罰』――現役政治記者によるジャーナリズム批判




田勢康弘『政治ジャーナリズムの罪と罰』(新潮社)



 「惜敗率(せきはいりつ)」という言葉をご存じか。現在、区割り案を作成中の新しい選挙制度(小選挙区比例代表並立制)に導入される仕組み。

 新しい選挙制度では、小選挙区と全国一一のブロックに分けた比例区のどちらにも立候補(重複立候補)できる。そして、比例区(拘束名簿式)では、名簿搭載順位を同じにできるため、同順位の候補者のどちらを優先させるかを惜敗率できめることになる。

 惜敗率は、落選した候補者の得票が、当選者の得票数の何%を占めたかをはかるもので、負け方の度合いを測定するものである。たとえば、A、B、二人の候補者が各々小選挙区と比例区で立候補、比例区の名簿順位が二人とも一位とする。そして、小選挙区では二人とも落選、比例区では一人だけ当選という結果になった場合、惜敗率の高い候補者が比例区で当選、ということになる。

 これは、なにをもたらすか。

 小選挙区制の特徴として、しばしば指摘されることは、「候補者の勢力が、僅差の場合は激戦区となり、差が大きければ無風区となる」というもの。しかし一一ブロックに細分化された比例区に、惜敗率という制度が加わると、負け方(惜敗率)を問われる候補者が多数あらわれるのは言うまでもない。惜敗率を高めるには、自分の得票数を上げるか、当選者の得票数を下げるしかない。そこで、なにが行なわれるのか……。

 並立制から始まり、併用制、連用制と政治制度改革案は二転三転してきた。そして、社会党による参議院での否決、連立与党と自民党による妥協と目まぐるしく変わってきた。
 『政治ジャーナリズムの罪と罰』は、日本経済新聞の論説委員でもある現役の政治記者が、92年10月から94年1月まで月刊誌に連載したものをまとめたもの。新聞記者による、新聞における政治ジャーナリズム批判である。

 94年1月までの連載分であるために、1月末に起きた、選挙制度改革案の社会党による参議院での否決、そして連立与党と自民党による妥結など、は触れられていない。当然、この時点では、「惜敗率」の問題も生じていないが、その後の新聞、テレビなどで、この問題が語られたのを聞いたことがない。

 かつて湾岸戦争の時、「テレビは映像というイメージしか伝えられないが、新聞なら背景や分析を伝えられる」という議論がさかんになされたが、現在の新聞ジャーナリズムが、冷静な報道を行なってきているのか疑わしい。早朝のテレビ番組が、各紙を並べて映しだし、「この問題ついては各紙とも見方が分かれています」とやるのは、もはや当たり前。テレビの方が、冷めているとも言えるだろう。

 田勢氏の批判は、新聞を愛するがゆえ、ともいえる。しかし、現在の記者クラブや番記者といったものへの批判は、すでに何度も繰り返されてきたものだ。田勢氏は、「まともなジャーナリトを一人でも多く、育成すること」を主張するが、それが、できなかったために、現在の状況が生じてるのではなかったか。

「五五年体制の崩壊」が叫ばれる今、第四権力として五五年体制の一翼を担ってきた大新聞自らが変革をせまられていることへの視点が欠けているような気がしてならない。



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