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1994年9月

1994.09.10

▽『官公庁のカタカナ語辞典』――使いやすく使いがいのある辞書



下河辺淳監修『官公庁のカタカナ語辞典』(三省堂)



「早速調べて善処する」――これは?やりません″を意味するときのお役所用語である。最近では、耳になじみのないカタカナ語が官庁文書にも頻出するようになっている。その中には本来の外国語だけでなく、日本特有の合成外国語、和製英語も多く、外国語通でも何のことかわからない場合もしばしばである。

 本書には、各種の白書などで使われているカタカナ語やアルファベット略語一万三〇〇〇項目が収録されており、カタカナ語の意味・使い方、元の外国語、合成語の組成が非常にわかりやすく説明されている。さらに、通商自書、経済白書等々、どの文書に出てくるのか、その使用例も示されている。

 また、漢字カタカナまじり、数字カタカナまじり等、他の辞書類では引けない見出しも多数入っている。

 和製英語のアイ・メイト(盲導犬、eye mate)は、アメリカではguide dogだが、何となく和製英語のほうがピッタリくるかもしれない。ただ、エコ・マーク(エコロジー・マークを略した和製英語)、エコシティー、エコスクール、エコポリス計画、エコ・アジア21プラン、シルバー・コロンビア計画、シルバー・マーク制度等々となると少々やりすぎの感を受ける。

 それだけに本書が生まれる必然性があったとも言える。あると便利だが、早くなくなったほうがいいものの一つに数えられるだろう。


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▽『PANJA』



 JAPANをひっくり返してPANJA。『週刊SPA』が好調の扶桑社が、6月に新創刊した月刊誌。編集長は、『週刊SPA』を、カルチャー誌として定着させた渡辺直樹氏。

 一方、文芸春秋の『マルコポーロ』は、『PANJA』の一週刊前に、リニューアル第一号が発売された。こちらは『週間文春』を躍進させた、花田紀凱編集長。刷り部数に違いが有るため簡単には比較できないが、書店にうず高く積まれた『マルコポーロ』と、残りがわずかの『PANJA』とを比べれば、勝負あったという印象を受ける。

 どちらも、週刊誌のスタッフを、かなり引っ張ってきたために、週刊誌との間で冷戦状態になっているという。週刊誌の手法を、そのまま月刊誌に持ち込んだ感じだが、それが月刊誌の性質にあっていたかどうかで明暗を分けたようだ。テーマ主義のPANJAに対して、ジャーナリスティックなマルコポーロはちと分が悪い。

宝島社の『宝島30』も、6月号からリニューアルしている。天皇家批判で右翼から銃弾を打ち込まれるなど、言論誌としての一面を持ち合わせていたが、リニューアル後は、『別冊宝島』的なテーマ主義に切り替えてしまった。売れ行きは好調だというが、『別冊宝島』と同じようなネタが多くなってしまった。

 出版社が利益を追求するのはかまわないが、週刊誌そのままの月刊誌を作ったり、同じネタの使い回しをしたり、読者を馬鹿にしていると、いつか痛い目にあうのではないか。


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▽『寄生獣』――90年代を代表する傑作エンターテイメント



岩明均『寄生獣』(講談社)



 「寄生獣」は、かなり早い段階からマニアの間で高い評価を受けていた漫画である。マイナー月刊誌に連載されているため話題になりにくかったが、それでも単行本は増刷を重ねている。

 ある日、寄生生物の胞子が、空から大量に降ってくる。それらは、人間の脳に寄生し、その体を乗っ取ってしまう。主人公の高校生だけは、寄生生物が入り込む際に失敗し、右腕が寄生生物、それ以外は人間という共生体になってしまう。人間を乗っ取った寄生生物は、人間を主食としながら、地球の支配を進めていく。例外的に共生体となった主人公は、寄生生物の異端として追われるようになる。

 種の闘争といったSF的テーマが、日常の描写の中に巧みに織り込まれている。生きるために本能だけで行動する寄生生物と、感情に左右される人間との、心理描写の対比も秀逸である。

 エンターテイメント性を保ちながら、思想性すら感じさせる漫画としては、80年代には宮崎駿、大友克洋、諸星大二郎らの作品があった。連載中のため今後の展開如何だが、「寄生獣」は90年代を代表する作品足り得るのではないだろうか。

 岩明均、小林よしのりに加えてもう一人90年代の漫画家をあげるとすれば、山本直樹かもしれない。「夏の思い出」(太田出版、九五〇円)の表題作では、理性の欲望に対する勝利を予定調和として描くことで、エロスの本質を暴いてみせている。

▽山本直樹『夏の思い出』(太田出版)


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▽『風の谷のナウシカ』――一三年に渡る連載を終え、現代の吟遊詩人はどこへいく



宮崎駿『風の谷のナウシカ』(徳間書店)



 「宮崎アニメ」といえば、もはや一つのブランドだろう。公開中の映画「平成狸合戦」(企画・宮崎駿、監督・高畑勲)を見に行くような子供たちでさえ、宮崎駿の名前を知っている。夏休みに、子供をつれて見に行かれるお父さんも多いだろう。

 その宮崎駿の出世作ともいえるのが84年に公開された「風の谷のナウシカ」だ。その年の「キネマ旬報」読者選出ベストワンに選出されるなど高い評価を受けている。

 物語の舞台は、人類が「火の七日間」という最終戦争を起こしてから一〇〇〇年たった後の地球。有毒ガスを発生する「腐海」と呼ばれる菌類の森を避けながら、後退した文明水準の中で人類は生きながらえている。そんな中、世界を二分する二つの大勢力の間で戦争が勃発。ナウシカを始め風の谷の住人も戦争へと駆り出されていく。

 もともと、「風の谷のナウシカ」は、アニメ専門誌に連載されていた漫画であり、映画は、漫画の設定をベースに再構成されたものである。80年代に入り急速にエコロジーブームが盛り上がったこともあり、宮崎とナウシカは、エコロジーの旗手として持ち上げられることになった。しかし、漫画の方の「ナウシカ」は、映画公開後も連載が継続されていた。宮崎が途中、映画の製作を開始したこともあり、四度も中断されたが、この春ついに一三年間に渡る連載を終了した。

 映画におけるイメージのまま、“環境問題の戦士“としてナウシカを捉えた読者も多く、その後の漫画におけるストーリー展開や、ナウシカの持つ暴力性への批判も多かったという。しかし、「〆切に追いつめられて、書いてしまった事柄の意味が、ずっと後になって判った、なんていう経験を何度かしました」(よむ94年6月号)という漫画の方が、宮崎の作家としての本質に、より近いものとなっているのではないだろうか。

 四回目の連載中断に入ったのは映画「紅の豚」の製作を開始した91年だが、この頃には、すでに終わり方を模索していたという。「紅の豚」公開直前のインタビュー(アニメージュ92年8月号)で、宮崎は興味深い発言をしている。

 「80年代の未来観として、ある種の終末観があったと思うんです。日本がこのままどんどん大きくなって、ある日ドカーンとなにかがはじけて、文明が一挙に滅びたり、東京に再び関東大震災がきて、一面焼け野原になったりとか。それが現実にきたら、阿鼻叫喚、ひどい事になると思うけれども、どこかでみんなそうなったらせいせいするだろうなという、願望があったと思う。一種、終末観すら甘美だったんですよ。それが、90年代に入って(略)ソ連は崩壊し、民族紛争が激化して、またばかなことを一斉に始めたのを目撃し、日本経済のバブルが弾けたのを目の当たりに見てきた。そう潔い終末はこないなと感じるようになったんです。(略)台風がきて大水が出て、水が引いた後は見事に空は真っ青になって、台風一過、ピカピカという感じで台風もいいもんだなという風にはならない。台風が過ぎてもピカピカにならない。なにかそういうことが、多分これから起こると思います」

 「グチャグチャになりながら、それでも生きて行くしかない」という覚悟を、すでに宮崎はしているのだ、という。


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