1994.09.10

▽『風の谷のナウシカ』――一三年に渡る連載を終え、現代の吟遊詩人はどこへいく



宮崎駿『風の谷のナウシカ』(徳間書店)



 「宮崎アニメ」といえば、もはや一つのブランドだろう。公開中の映画「平成狸合戦」(企画・宮崎駿、監督・高畑勲)を見に行くような子供たちでさえ、宮崎駿の名前を知っている。夏休みに、子供をつれて見に行かれるお父さんも多いだろう。

 その宮崎駿の出世作ともいえるのが84年に公開された「風の谷のナウシカ」だ。その年の「キネマ旬報」読者選出ベストワンに選出されるなど高い評価を受けている。

 物語の舞台は、人類が「火の七日間」という最終戦争を起こしてから一〇〇〇年たった後の地球。有毒ガスを発生する「腐海」と呼ばれる菌類の森を避けながら、後退した文明水準の中で人類は生きながらえている。そんな中、世界を二分する二つの大勢力の間で戦争が勃発。ナウシカを始め風の谷の住人も戦争へと駆り出されていく。

 もともと、「風の谷のナウシカ」は、アニメ専門誌に連載されていた漫画であり、映画は、漫画の設定をベースに再構成されたものである。80年代に入り急速にエコロジーブームが盛り上がったこともあり、宮崎とナウシカは、エコロジーの旗手として持ち上げられることになった。しかし、漫画の方の「ナウシカ」は、映画公開後も連載が継続されていた。宮崎が途中、映画の製作を開始したこともあり、四度も中断されたが、この春ついに一三年間に渡る連載を終了した。

 映画におけるイメージのまま、“環境問題の戦士“としてナウシカを捉えた読者も多く、その後の漫画におけるストーリー展開や、ナウシカの持つ暴力性への批判も多かったという。しかし、「〆切に追いつめられて、書いてしまった事柄の意味が、ずっと後になって判った、なんていう経験を何度かしました」(よむ94年6月号)という漫画の方が、宮崎の作家としての本質に、より近いものとなっているのではないだろうか。

 四回目の連載中断に入ったのは映画「紅の豚」の製作を開始した91年だが、この頃には、すでに終わり方を模索していたという。「紅の豚」公開直前のインタビュー(アニメージュ92年8月号)で、宮崎は興味深い発言をしている。

 「80年代の未来観として、ある種の終末観があったと思うんです。日本がこのままどんどん大きくなって、ある日ドカーンとなにかがはじけて、文明が一挙に滅びたり、東京に再び関東大震災がきて、一面焼け野原になったりとか。それが現実にきたら、阿鼻叫喚、ひどい事になると思うけれども、どこかでみんなそうなったらせいせいするだろうなという、願望があったと思う。一種、終末観すら甘美だったんですよ。それが、90年代に入って(略)ソ連は崩壊し、民族紛争が激化して、またばかなことを一斉に始めたのを目撃し、日本経済のバブルが弾けたのを目の当たりに見てきた。そう潔い終末はこないなと感じるようになったんです。(略)台風がきて大水が出て、水が引いた後は見事に空は真っ青になって、台風一過、ピカピカという感じで台風もいいもんだなという風にはならない。台風が過ぎてもピカピカにならない。なにかそういうことが、多分これから起こると思います」

 「グチャグチャになりながら、それでも生きて行くしかない」という覚悟を、すでに宮崎はしているのだ、という。



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