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1994年10月

1994.10.10

▽「ワープロと日本語」――日本語と漢字をめぐる悪戦苦闘



 前略
 この度、わたしも時代に遅れ茶如何と思ってワープロヲ キノキキ 失敗。

 パスティーシュ(模倣小説)の鬼才・清水義範による『ワープロ爺さん』(講談社刊『永遠のジャック&ベティ』所収)の冒頭である。このまま延々と変換ミスが続くのだが、なんとなく読めてしまうのが面白い。

 『私のワープロ考』(安原顕編、メタローグ)は、ワープロを使っている文筆家のワープロ考を集めている。圧倒的に多いのが「モノ書き専用のワープロを作ってほしい」という要望だ。無駄な機能を省き、文書の容量を大きくする、そしてワープロの辞書を修正して欲しい、というものだ。

 『電脳辞書の国語学』(箭内敏夫、おうふう)では、パソコン用ワープロソフトの辞書を徹底検証している。業界内には少なからずインパクトを与えたようで、「一太郎」で有名なジャストシステムは辞書を監修する委員会を設立している。

 そもそも、これぞというワープロの辞書が作れないのは、日本語特有の表記に問題がある。「悪魔の文字と戦った人々」という副題の付けられた『日本語大辞典』(紀田順一郎、ジャストシステム)は、この日本語を克服しようとした人たちの苦闘が綴られている。漢字をやめて仮名にだけにすべしという「仮名文字論」、いやすべてローマ字にすべきだという「ローマ字論」、新しい文字を作ってしまおうという「新国字」運動、志賀直哉にいたっては「フランス語を国語にせよ」という主張さえしている。

 ワープロという便利なモノができたおかげで、日本語データベースは、はるかに進歩した。同時にワープロを日本語だけでなく外国語にまで使いたいと考えるようになるのも当然だろう。『電脳外国語大学』(三上吉彦他編著、技術評論社)は、外国語のワープロソフトを使用するうえでの悪戦苦闘ぶりを紹介している。こうした電脳界の他言語化を促進するために、Unicodeなるものが考案されている。これを使えば多国語対応ソフトが簡単に作成できるため、米国マイクロソフト社などが熱心に進めている。

 しかし、このUnicodeにも何かと問題があると、『電脳激動』(坂村健著、日刊工業新聞社)は指摘する。中国、台湾、日本の漢字は同じ字でも微妙に形が異なるため、別々のコードをふらざるをえない。また、これまで使用してきた日本独自の漢字コードが使えなくなり、過去の文書データを使用するのに莫大なコストがかかってしまう。いずれ日本もUnicode使用を迫られるだろうが、この問題に関して日本はもっと提案や発言をすべきである。

 「漢字という絵文字を使うのは文化程度が低いからだ」「日本の人は漢字を使っているから中国人である」。こうした誤解を解くためにも、日本はもっと国際貢献が必要だろう。


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▽『良い円高 悪い円高』――現在進行中の円高を分析するポレミカルな日本経済論考



リチャード・クー『良い円高 悪い円高』(東洋経済新報社)



 売れている経済書、ということで、リチャード・クー氏の『良い円高 悪い円高』。

 クー氏によると、円高には「巨額の経常収支の黒字があるなかで輸入を増やし、既に巨額になっている輸出に輸入が追いつく形で不均衡が是正される」良い円高と、「輸入障壁や商慣習の違いから、なかなか増えない輸入に対して、輸出が減る形で不均衡が是正される」悪い円高の、二つの種類があるという。 現在進行中の円高は「悪い円高」であり、その結果、将来性のある輸出産業を縮小か撤退に追い込む一方で、国内には輸入障壁に守られた将来性のない企業・産業ばかりが残される、と指摘する。

 クー氏は日本の市場開放、規制緩和を主張している。これは現在なされている議論と結論は同じである。本書がポレミカルである点は、今回の円高の性質と原因の分析に求められる。

 ある国の輸出産業が、輸出競争力をもち外貨を稼ぐようになると、国内での支払いのために外貨を自国通貨に代える必要に迫られる。その際、為替市場にはそれに見合うだけの外貨の買い手(輸入産業)が存在しなければならない。もしそうでなければ、外貨は自国通貨に対し安くしなければ買い手がつかなくなってしまう(自国通貨は外貨に対して高くなる)。その結果、その輸出産業は、自国通貨の高騰により壊滅的な打撃を受けることになる。日本では、貿易黒字が騒がれるようになって以来、この状態が続いてきた。

 しかし、80年の外為法改正による対外投資の自由化によって、日本の機関投資家は外債投資に殺到した。この結果生じた、外貨需要の急増によって、80年代は、膨大な経常黒字にもかかわらず比較的円安となり、日本の輸出産業は、息をつくことができた。

 ところで、日本の対外投資が円建てで利益を出すには、その国の通貨が円に対し中長期的に上昇する必要があり、そのためには、その国が対日輸出を増やし、対日貿易を改善させる必要がある。しかし日本の市場開放は一向にすすまないため、貿易不均衡も解消せずこうした国の通貨は対円で下落してきた。

 日本の機関投資家が外国通貨を買っているうちは、輸出産業の外貨売りを吸収することができたが、90年代の株価暴落によって、外債どころではなくなってしまった。機関投資家という外貨の買い手がいなくなったた結果が、今回の円高である。これが第一章の主張である。

 第二章は円高を放置する官僚批判、第三章は金融と土地の政策批判、第四章は日本株式会社批判と続く。難しい内容を噛み砕いて分かりやすく伝えようとする姿勢に好感がもてる。ぜひご一読を。 


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▽『たけし!』



 『たけし!』(講談社)は、「俺の毒ガス半生記」と銘打ったビートたけしの自伝的半生記。本書が発行された1981年11月と言えば、ちょうど前年に始まった漫才ブームが一息ついた頃。人気先行型の漫才コンビが落ち目になっていく中で、ビートたけしのセンスが注目され始めた時期でもある。

 とはいえ、まだまだ、ビートたけしは単なるコメディアンにすぎず、エッセイスト、小説家、映画監督といった多彩な才能を開花させるのは、このずっと後のことである。

 しかし、8月に起こしたバイク事故をめぐる報道を見ると、いつからこの人はこれほどまでに愛される人物になったのだろうか、と思ってしまう。本書での悪役ぶりが、懐かしくさえ感じてしまう。

 ところで「男の顔は履歴書」という言葉があるが、この人ほど顔つきが変わった人もいないだろう。そのきっかけは、やはりあの「フライデー襲撃事件」。タレント生命を失う覚悟もあったと後に語っている。

 「写真誌による報道→襲撃事件」という図式から、「アイドルタレントとのスキャンダル→無謀なバイク事故」と、最近起きた出来事をつなげて見てしまうのは私だけだろうか。しかも、今回は別の意味で顔つきが変わってしまうかもしれないのだ。

 「いつでも三畳間の生活に戻れるね。これだけは自信ある。いつだって自分の人生をやり直せるよ」

 それを許さないのが、テレビ局の都合ということだろうか。


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▽電脳浄土放浪記――『現代』1994年9月号



 水俣病を題材にした『下々戦記』で大宅壮一賞を受賞したノンフィクション作家、吉田司による電脳世界のルポルタージュ。シリーズ第一回目は、ようやく電脳世界の入り口にたったところ、というべきか。

 言うまでもないことだろうが「浄土」とは仏教用語。人間が永遠に苦しみ続ける「輪廻」の世界を抜け出たところに存在するとされている。

 幕張新都心にあるビルを訪れた吉田は「電脳浄土」という言葉を想起する。ハイテクビルの中に入れば「世界の先端人」だが、一度ビルの外にでれば、単なる「通勤地獄人」へと転落する。それは、あたかも「電子が人間の身分差や生活の汚れを浄化し始めている、と言っても良かった」光景だ。

 第一回目のサブタイトル「万国の機械よ、団結せよ!」は、もちろん、あの有名なスローガンをもじったものだが、一世紀前には、それは「機械に自分の体臭をなすりつけ、機械を人間が呪縛する」運動だった。

 しかし、機械のスピードにうまく乗ったものが勝利を収め、機械の言葉を知らないものは脱落するスピード・ゲームの時代を迎えると、今度は、「人間の方が“機械の体臭”を自分になすりつけ」るようになる。

 吉田の言うように「電脳主義の勝利」や「電子大国による世界の再分割」が不可避なものとするならば、その流れをより良い方向へと修正しうるものとは、一体何なのだろうか。今回の放浪記で、そこまでたどり着いてくれることを期待する。


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