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1994年12月

1994.12.10

▽週刊図書館『全共闘白書』――『週刊朝日』10月28日号



 書評で書評を紹介するというのも、おかしな話だが、ご許し願いたい。

 週刊朝日の書評欄「週刊図書館」において、書家の石川九楊氏が、『全共闘白書』(新潮社刊)の書評を行っている。同書は、全共闘運動体験者へのアンケートの回答集である。

 体験者の半数以上が、「また参加したい」と思う全共闘運動は、暗く、重く、にがいものであるはずの反体制運動のなかではきわめて異質な運動である、といえるだろう。

 石川氏は「学生運動は敗北したが、全共闘運動は勝利した」という。

 全共闘運動は、「超高度資本主義に追いつき、違和感なく生きるための自己変革運動であり、勝利は約束されていた。超高度資本主義を猜疑し、突入を躊躇していた人間と文化をせん滅し、来るべき時代への地ならしをし、風通しのよい広々とした空間をつくり上げた」にすぎないという。そして、「その上に、七〇年代~九〇年代の不毛な文化は花開いた」

 すでに社会の中枢を占め、加害者の立場に押し出されながらも、その自覚が全くなく、「仕事に満足せず」「年収が少ない」と考える全共闘世代。

 「国家にはどこまでも寄生して、不満を言い、政治青年顔をして、超高度資本主義、高福祉社会での消費戦士として一生を終えるつもりらしい」

 石川氏は、「『穀潰し』になってまで生きることはない、程度の覚悟をもって」と締めくくっている。


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▽『官僚』――エピソードで綴る日本の官僚の実態



『官僚―軋む巨大権力』(日本経済新聞社)



 本書は、1993年11月から1994年7月にかけて、日本経済新聞紙上に連載されたシリーズ企画「官僚」を一冊にまとめたものである。この企画は、今年度の新聞協会賞を受賞している。

 新聞に掲載された記事をまとめたため、全体としてまとまりにかけるきらいがあるが、総論よりもエピソード重視に徹しており、日本の官僚の実態がよく分かる。

 最近話題のJT株の公開に関する部分を引用すると、「日本証券業協会会長の新谷勝は記者会見で、日本たばこ産業(JT)株上場の時期について『東証の一日の売買高が、三億五千万株以上にならなければ……』と慎重論を展開した。この弱気発言に大蔵省の担当官は微妙に反応、『手足を縛る発言はいかがなものですかね』と証券関係者につぶやいた」

 官僚は、自分たちのシナリオを一旦作ってしまうと、それに固執し簡単には変えようとしない。そのシナリオが間違っていたとしても非を認める訳でもなく、まことしやかに次のシナリオを用意する。

 昨年の連立政権の成立により、永らく続いた自民党の一党支配は、一応の区切りをつけた。また、バブル経済の崩壊とともに吹き出した様々なスキャンダルによって、経済界もこれまでのやり方に対する反省を迫られている。「鉄の三角形」と言われてきた「政・官・財」の癒着構造のうち、政と財が変わりつつあるとすれば、残る官も変わらざるをえない、というのが大方の見方だろう。

 これまでの日本は、「政治家は駄目だが、官僚は優秀」とさかんに喧伝されてきた。しかし、いつのまにか、官僚の融通のなさ、省益の維持に汲々とする姿が、クローズアップされるようになってしまった。あまつさえ、「政治家のリーダーシップ」とやらが、求められるようにさえなってしまった。

 しかし、政治改革が選挙制度改革にすり変わるなど、依然として自浄能力を発揮できない政治家に、本当に期待する人がどれだけいるのだろうか。

 政治改革、行政改革といった、理性に訴えるようなやり方は、もはや通用しないのだろうか。本当にヤバイ状況になった時に、何らかの危機バネがうまく働いてくれることを期待するしかないのだろうか。

 日本経済の地盤沈下に対し、新聞はじめ多くのマスコミは、新規産業の育成や、そのための規制緩和を唱えている。そして、あまりにも規制の多いことの原因が、日本の官僚システムにあると非難している。

 それはそれで間違いのないことだろうが、批判するマスコミの側も自分たちの足下を見直す時期に来ているはずだ。新規参入や新規事業を阻むシステムは、マスコミにおいても温存されている。

 たとえば新聞で言えば、「記者クラブ」の問題。出版界では「再販価格維持制度」。あるいは、先行者の既得権益保護を優先する「取次システム」の問題。放送界でいえば「免許の自由化」が上げられるだろう。これらの問題について、マスコミの側が積極的に取り上げたことがあっただろうか。

 既得権益の保持に汲々としているのは、官僚だけではなくマスコミも同様である。総懺悔の時代は、いつになったらくるのだろうか。


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▽『大恐慌の謎の経済学』



関岡正弘『大恐慌の謎の経済学』(ダイヤモンド社)



 瀬木太郎のペンネームで『石油を支配する者』(岩波新書)などを執筆してきた著者が、関岡正弘の本名で上梓した、大恐慌の研究書。

 1987年10月19日に起きた株式大暴落(ブラックマンデー)が、大恐慌の前兆ではないか、という議論が当時あった。

 本書では、1929年大恐慌についての様々な学説が検討されている。そして29年10月25日の株式大暴落(ブラックチューズデー)が、その発端であったという結論にいたる。

 「1929年の十月以降十二月までに自動車の工場出荷指数が四五%も減ったこと、そして29年第四・四半期には、第三・四半期に比較して消費支出が九億?以上減った」「巨大なキャピタル・ロスの発生(キャピタル・ゲインの消滅を含め)により、人々は耐久消費財の支出を切り詰めたのだ」

 消費の減少はただちに投資の減少へ跳ね返り、それが大恐慌の原因だった、と指摘する。80年代の日本の場合は、個人投資家ではなく、機関投資家が投機の主役だったために、ブラックマンデーを乗り越えて投機を拡大させる結果となった。

 本書が出版された89年は、まだバブル経済の余韻が残っている頃であり、本書への評価も「キャピタル・ロスの消費への悪影響を過大視している」(松本和男)など厳しいものが多かった。しかし、バブル崩壊後に突入した大不況をみれば、本書はもっと評価されても良かったといえるだろう。


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