1994.12.10

▽『官僚』――エピソードで綴る日本の官僚の実態



『官僚―軋む巨大権力』(日本経済新聞社)



 本書は、1993年11月から1994年7月にかけて、日本経済新聞紙上に連載されたシリーズ企画「官僚」を一冊にまとめたものである。この企画は、今年度の新聞協会賞を受賞している。

 新聞に掲載された記事をまとめたため、全体としてまとまりにかけるきらいがあるが、総論よりもエピソード重視に徹しており、日本の官僚の実態がよく分かる。

 最近話題のJT株の公開に関する部分を引用すると、「日本証券業協会会長の新谷勝は記者会見で、日本たばこ産業(JT)株上場の時期について『東証の一日の売買高が、三億五千万株以上にならなければ……』と慎重論を展開した。この弱気発言に大蔵省の担当官は微妙に反応、『手足を縛る発言はいかがなものですかね』と証券関係者につぶやいた」

 官僚は、自分たちのシナリオを一旦作ってしまうと、それに固執し簡単には変えようとしない。そのシナリオが間違っていたとしても非を認める訳でもなく、まことしやかに次のシナリオを用意する。

 昨年の連立政権の成立により、永らく続いた自民党の一党支配は、一応の区切りをつけた。また、バブル経済の崩壊とともに吹き出した様々なスキャンダルによって、経済界もこれまでのやり方に対する反省を迫られている。「鉄の三角形」と言われてきた「政・官・財」の癒着構造のうち、政と財が変わりつつあるとすれば、残る官も変わらざるをえない、というのが大方の見方だろう。

 これまでの日本は、「政治家は駄目だが、官僚は優秀」とさかんに喧伝されてきた。しかし、いつのまにか、官僚の融通のなさ、省益の維持に汲々とする姿が、クローズアップされるようになってしまった。あまつさえ、「政治家のリーダーシップ」とやらが、求められるようにさえなってしまった。

 しかし、政治改革が選挙制度改革にすり変わるなど、依然として自浄能力を発揮できない政治家に、本当に期待する人がどれだけいるのだろうか。

 政治改革、行政改革といった、理性に訴えるようなやり方は、もはや通用しないのだろうか。本当にヤバイ状況になった時に、何らかの危機バネがうまく働いてくれることを期待するしかないのだろうか。

 日本経済の地盤沈下に対し、新聞はじめ多くのマスコミは、新規産業の育成や、そのための規制緩和を唱えている。そして、あまりにも規制の多いことの原因が、日本の官僚システムにあると非難している。

 それはそれで間違いのないことだろうが、批判するマスコミの側も自分たちの足下を見直す時期に来ているはずだ。新規参入や新規事業を阻むシステムは、マスコミにおいても温存されている。

 たとえば新聞で言えば、「記者クラブ」の問題。出版界では「再販価格維持制度」。あるいは、先行者の既得権益保護を優先する「取次システム」の問題。放送界でいえば「免許の自由化」が上げられるだろう。これらの問題について、マスコミの側が積極的に取り上げたことがあっただろうか。

 既得権益の保持に汲々としているのは、官僚だけではなくマスコミも同様である。総懺悔の時代は、いつになったらくるのだろうか。



|

書評1990s」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ▽『官僚』――エピソードで綴る日本の官僚の実態:

« ▽『大恐慌の謎の経済学』 | トップページ | ▽週刊図書館『全共闘白書』――『週刊朝日』10月28日号 »