1995.01.10

▽「四十にして惑わず」――不惑を迎える「五五年体制」を考える




 子曰く、
 吾十有五にして学に志す。
 三十にして立つ。
 四十にして惑わず。

 1995年に「不惑」を迎えるものに、いわゆる「五五年体制」がある。

 新しい選挙制度の区割り法案も可決され、またぞろ選挙風が吹き始めている。それも猛烈な勢いで。新々党の旗揚げに続いて、社会党の分裂も予想され、「五五年体制」は、すでに過去のものとなったのだろうか。

 『日本の論点 ’95』(文芸春秋社刊)において、立花隆氏は、五五年体制を「政財官の癒着構造」とみなし、「政治の上部構造がいかに変わろうとも、官僚制という下部構造が変らなければ、本質的な変化は何も起こらない」と指摘する。

 文芸春秋社が『日本の論点』の第一弾を刊行したのが92年末のこと。そして、『朝日ジャーナル』が休刊したのも、同じ年の5月である。言論界における問題提起の主役が、左から右へ移ったことを象徴しているともいえる。朝日ジャーナルの主な記事を集めた『朝日ジャーナルの時代』(朝日新聞社刊)は、言論界における「五五年体制」の記録でもある。「右手に朝ジャ」を持ったことのない人も、「あの時代」を振り返ってみるのもいいかもしれない。

 日本人ほど日本人論が好きな国民はいない、とはしばしば言われることである。『日本人論』(南博著、岩波書店)は、明治期以降の主要な日本人論が網羅的に紹介されており、「日本人の自意識」の移り変わりがよく分かる。日本社会論の系譜としても読むことができる。

 また「戦後強くなったのは、女性と靴下」とも、よく言われる。しかし、国際的にみれば日本で一番強くなったのは、やはり「円」。『円の総決算』(三國陽夫著、講談社)は、日本経済の抱える歴史的な問題点を指摘する。先行き不透明な日本経済を考える上での示唆も多い。

 ご存じの方も多いだろうが、冒頭の「四十にして惑わず」の続きは次のようになる。

 五十にして天命を知る。
 六十にして耳順う。
 七十にして心の欲する所に従へども矩をこえず。

日本型資本主義は、しばしば「儒教的」と言われるが、はたして本当にそうだろうか。青土社が刊行した「シリーズ世界の宗教」は、宗教の入門書として世界的評価の高いファクツ・オン・ファイル社版を翻訳したもの。この中の一冊『儒教』を読んで、自らの内なる儒教的精神を確認してみるのもいいだろう。

 四〇歳を過ぎても「不惑」といかず、まだまだ迷い多き中年の方々には、目黒考二著『中年授業』(角川書店)がお薦め。『本の雑誌』編集長を務める著者が、テーマ別に本を紹介しながら「奥ゆかしき中年」について語っていく。思わずニヤリとさせられる。



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