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1995年3月

1995.03.10

「イジメ」――イジメ、集団リンチ 事態はさらに悪化する?

 

 愛知県では、1994年11月に、イジメによる自殺事件が発生し、大きく報道されている。

 1994年末、愛知県で緊急出版された『清輝君がのこしてくれたもの』(中日新聞本社・社会部編、海越出版社)は、遺書の全文や中日新聞に掲載された記事・投書をまとめたものだが、関心の高さも手伝って、すでに数万部が売れたという。

 思春期の自殺というのは原因が分かりにくいケースが多いとはいうものの、たとえイジメが原因であっても、詳しい遺書がなければ、ウヤムヤにされてしまうのは、やりきれない話である。ベストセラーになった『いじめ撃退マニュアル』(小寺やす子他、情報センター出版局)では、「死にたくなったら遺書を書け」といったように、深刻なイジメに対処する方法を、あえて明るいタッチで紹介している。

 『「葬式ごっこ」―八年後の証言』(豊田充著、風雅書房)は、朝日新聞の記者である著者が、86年におきた中野富士見中学での事件について、当時の同級生たちにインタビューしたものである。80年代半ばにはイジメが多発したものの、この事件以降はイジメの件数が減少したと言われている。しかし、それは数字上の事であり、中学生を取り巻く環境は、当時と今とでも、さほど変わっていない。その意味では、本書から読みとれることも多い。

 昨年11月には、岐阜県で集団リンチ事件があった。少年による凶悪事件が、しばらく起きていなかっただけに、イジメ同様、忘れていたことをふたたび思い出させる結果となった。

 『ガキのきもちはわかるまい』(風雅書房)では、ルポライターの藤井誠二が、「女子高生監禁殺人事件」などの少年による凶悪事件には、いずれも「シンナー」が介在していることを指摘している。岐阜県で起きた集団リンチ事件でも、加害者グループの少年達は、シンナーを常習していた。

 94年は、一般市民にとって銃による犯罪が身近になった年でもあった。「中学生の銃犯罪」などという、笑えない現実は、もう目の前に迫ってきているのかも知れない。

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▽『ドイツ銀行』――ユニバーサルバンクの雄ドイツ銀行を徹底解剖



相沢幸悦『欧州最強の金融帝国 ドイツ銀行』(日本経済新聞社)


 
 大和銀行のコスモ証券救済、三菱銀行の日本信託救済。「特例」も二度も続けば、もはや「特例」とはいえない。日本の都銀も、やがてはドイツ型のユニバーサルバンクに近づいていくことになるのだろう。

 「欧州最強の金融帝国」という副題のつけられた本書では、典型的なユニバーサルバンクであるドイツ銀行を、成立過程、機構、業務、産業政策、国際戦略と多角的に分析している。本書によれば、ドイツ銀行は単なる商業銀行ではなく、「国家の行く末を考える銀行」だという。

 1974年、中東産油国が、ダイムラーベンツの株式の過半を取得しようとした時、ドイツ第二位のドレスナー銀行は、純粋な証券業務として、それを行おうとした。しかし、ドイツ銀行は、この買収を阻止するために市場価格から一〇%も高い価格でその株式を引き受け、「国益を考えた行動」として賞賛された。

 ドイツでは、日本と違い、銀行による株式所有に制限がないために、銀行の企業支配力はきわめて強くなっている。産業界からは、折に触れ反発の声があがるものの、銀行の支配力は揺るぎないものとなっている。

 しかし、ドイツ銀行の信用力が揺るがないのは、ユニバーサルバンクという制度のためではなく、堅実な経営姿勢の結果である、と著者は指摘する。日本の金融機関関係者には、耳の痛い指摘だろう。


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▽『検屍官』――女性検屍官ケイが活躍するミステリーのヒット作



パトリシアコーンウェル『検屍官』(講談社文庫)



 年末年始に、シリーズ五作を続けて読んでしまったために、『検屍官』シリーズの主人公ケイは、公私にわたって私がもっともよく知っているアメリカ人になってしまった。

 92年に第一作『検屍官』がベストセラーになって以来、『証拠死体』『遺留品』『真犯人』といずれもヒットを続けている。昨年末、最新作の『死体農場』が出たこともあって、書店によっては『検屍官』のコーナーを作っているところさえある。

 このシリーズが好評を博している要因を、あえて分析すると、まず、毎回、猟奇的な連続殺人犯が登場することがあげられる。これは、『羊たちの沈黙』などの、いわゆるサイコスリラーがヒットしたように、最近のミステリーの一つの流れに沿ったものである。

 また、検屍官が死体を検分する描写が詳しく描かれており、最先端の科学捜査の情報を得ることができる。コンピュータシステムがストーリーに絡んでくる部分もあり、現代的なリアリズムをもたらしている。

 そして、働く女性を取り巻く環境が、やや大げさだがそれなりのリアリティをもって描かれていることも上げられる。とくに、この部分に共感する読者も多く読者カードの三分の二が、有職女性からのものだという。

 これらの要素が、なぜ一つの作品に現れるかといえば、著者のパトリシアコーンウェル(女性)の経歴が関係している。コーンウェルはもともと、新聞の警察担当記者として犯罪に関する記事を書いていた。新聞社を辞めた後は、バージニア州の検屍局でコンピュータプログラマーとして働いた。まさに『検屍官』を書くためのキャリアだったともいえるだろう。コーンウェルは、第一作でアメリカやイギリスの主要なミステリー賞の新人賞を四つも獲得するなど、アメリカでもっとも有名なミステリー作家になってしまった。

 では、日本のミステリーファンの受けとめ方はどうか、といえば、あまり芳しくない。『このミステリーがすごい』(宝島社)や『週刊文春』の人気投票でも、『検屍官』シリーズは上位に入ったことがない。

 『このミステリーがすごい』において『新宿鮫』の作者である大沢在昌が、「あいかわらず腰砕けだが、いつもこの人の導入はみごとだよね」と述べているが、的を得た指摘だろう。事件の解決に関し、「偶然」が作用するケースがどの作品にも共通してみられ、その部分がやや「腰砕け」のように感じられる。しかし、導入から、事件が展開していく過程は、大沢在昌が認めているように、やはりうまいといえるだろう。

 一冊約五〇〇ページあるが、四五〇ページ当たりまでは目が離せない。ただ、欲を言えば結末をもう少し、という感じである。逆に言えば、少し物足りなさを残すのがシリーズとして成功する秘訣なのかもしれない。
 
 年一冊のペースだが、五作目ですでに一〇年が経過しており、相棒のマリーノ刑事や姪のルーシーとの関係もどんどん変化している。こうした脇役もよく書けており、小説としての広がりを見せている。

 一冊六八〇円が、損か得かといえば、損はしないと思う。個人的には、第二作の『証拠死体』がお薦め。暇な方は、どうぞお試しあれ。


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▽テレビ戦線異常あり――『創』1995年3月号



 1994年の「視聴率三冠王」は、日本テレビが獲得した。視聴率三冠王とは、ゴールデン(午後七~一〇時)、プライム(午後七~一一時)、全日(午前六~深夜〇時)の各時間帯での、平均視聴率がすべてトップになることをいう。これは、フジテレビが言い出したものだが、93年までは一二年間連続してフジテレビが三冠王だった。94年のフジテレビは、ゴールデンとプライムで日本テレビと同率首位となり「二冠」は獲得したものの、三冠王の座を奪われてしまった。

 『創』2月号の「日テレ・フジの3冠王めぐる激闘」というレポートは、このあたりの経緯を詳しく述べている。94年11月の段階で、すでにフジテレビは三冠王をあきらめていたという。全日での視聴率が、日本テレビに大きく水をあけられていたからだ。しかし、ゴールデンとプライムは、僅差の二位。そこで、フジテレビは「日本テレビの三冠王阻止」を至上命題に掲げ、年末の特番攻勢を仕掛けたという。フジテレビは、88年にもTBSを相手に特番攻勢をかけたことがあり、その再現となった。

 最近のテレビ番組には、54分から始まるものがある。もともと一時間の枠が、五四分と六分に分けられているのは、六〇分の場合よりもCMを多く入れられるためで、これは業界の自主規制を逆手にとったものである。今度は、その54分を視聴率のために狙い撃ちしていることになる。「視聴率三冠王」もそうだが、自ら言い出したことにからめ取られてしまうとは、テレビ局もご苦労なことで……。


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▽『続「超」整理法・時間編』――今度は、時間を「超整理」する



野口悠紀雄『続「超」整理法・時間編』(中公新書)



 「整理は分類である」という既成概念を打破し、時間軸による検索を紹介した『「超」整理法』の続編。前著同様に「ノウハウは、人間の怠慢さに寛容なものでなければならない」という基本方針で基づいて著者自らが生み出したノウハウが紹介される。

 前著では、何でもかんでも二号サイズの封筒に入れて並べるだけで、机の上がキレイになるという「押し出しファイリング」などが紹介されたが、今回紹介されるのは、時間の管理法。仕事に追われるサラリーマンには、また新しい福音の書が現れた、と言えば言い過ぎか。

 詳しいノウハウについては、本書をご覧いただくとして、第四章「組織内コミュニケーション革命」では、日本の会社における仕事の進め方の問題点を指摘している。

 「文書ー建て前、口頭ー本音」という不透明な日本型組織運営は、もはや時代の要請にあわなくなりつつあるようだ。革新性や創造力を要求される時代には、異質なメンバーの交流によって新しいアイデアを生み出すことが重要であり、そのためにはコミュニケーションを文書で行うことが必要である、と著者はいう。日常的連絡事務も文書で行うことを提案しているが、この方式の便利さに気がつかない上司は、「もともとホープレスなのである」と手厳しい。

 このほかにも、「会議を見直す」など示唆に富んでいる。 


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▽『昭和恐慌と経済政策』




中村隆英『昭和恐慌と経済政策』(講談社学芸文庫)



 バブル崩壊、不良債権の増加、そして大震災。

 「歴史は繰り返す」というがなんだか、昭和恐慌前夜の状況に似てきたとはいえまいか。

 1923年の関東大震災のおり、政府は震災地振り出しの手形の支払いを一時延期した。その後、この手形を日銀が再割引をすることで経済界を救済した。再割引をした四億四〇〇〇万円の手形の半分は決済されたが、なお二億円強の手形が残った。このうち九二〇〇万円が、経営の悪化していた鈴木商店関係の手形であった。また、鈴木商店と関係の深い台湾銀行は一億円の震災手形を保有していた。

 金解禁を目指し、震災手形の整理をしようとした政府は、公債を発行して穴埋めすることを考えた。しかし、この「震災手形法案」は、野党の攻撃の対象となり「震災手形発行者とその所有者を公表しろ」という声が上がった。そうこうするうち「渡辺銀行が破綻した」という片岡蔵相の失言が引き金となり銀行への取り付けが頻発した。

 結局、震災手形法案は通過したものの、鈴木商店倒産への懸念から、台湾銀行へコール資金の回収が殺到した。政府は、日銀に台湾銀行への新たな貸し付けを行わせようとしたが、不調に終わり、当時の若槻内閣は総辞職。台湾銀行は営業停止、多くの銀行は取り付けに会い、金融恐慌はピークに達した。

 次の内閣の高橋蔵相は、三週間の支払い猶予を実施、日銀と台湾銀行には合計七億円の損失保障を行った――。


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