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1995年5月

1995.05.10

▽財産を守る個人の危機管理――『日経マネー』1995年5月号



 阪神大震災は、日本全体に危機管理の重要性を再認識させた。行政や企業のレベルだけでなく、個人レベルの危機管理について、雑誌などでさまざまな企画がたてられている。家庭用金庫の選び方、銀行の貸金庫の利用の仕方、火災保険・地震保険・生命保険の仕組み、住宅ローンの問題、マンション建て替えの問題……。

 「備えあれば憂いなし」と言うものの、実際こうしたアドバイスを実行できるのかといえば難しい面もあるだろう。

 『日経マネー』の特集でも、「危機管理を意識した鉄壁のポートフォリォ」を紹介している。たとえば、一〇〇〇万円の個人資産「定期預金三〇〇万円、ビッグ三〇〇万円、MMF二〇〇万円、株式二〇〇万円、普通預金少々」は、「定期預金・定額預金四五〇万円、貯蓄預金七〇万円、株式二〇〇万円(銘柄を乗換える)、建物更正共済一五〇万円、金地金五〇万円、外貨預金五〇万円(独マルク)、現金三〇万円、普通預金少々」と分散する案を紹介している。運用の中心は、定期預金と郵便局の定額貯金であり、とくに「定額貯金は国家信用を背景にしているため国債に次いで安全性が高い」と紹介している。

 話はそれるが、二信組の問題以降、庶民レベルでは郵貯が見直されている。郵貯は財投で運用されているが、財投の赤字はいずれ税金で補填されるだろう。税金で平等に負担をおうのであれば、今のうちに郵貯に預けておくのがベストの選択なのだろう……。


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▽「宗教を学ぼう!」――「終末思想」を唱える仏教って、いったい?



 なんだか、宗教が騒がしい。

 かねてより、第三次宗教ブームと言われてきたが、現在の最大の関心事は、やはりオウム真理教。一新興宗教が、秘密の化学工場をもち、毒ガスを製造する・・。恐しい時代になったものである。

 ところで、マスコミの報道によると、オウム真理教の教義では、世界は97年にハルマゲドン(最終戦争)へと突入するという。しかし、そもそもオウム真理教は、自ら仏教徒を名乗っている。仏教には、世界はだんだん悪くなるという「法末思想」はあっても、「終末思想」は無いはずだ。ハルマゲドンといえば、キリスト教における概念。いったいどうなっているのだろう?

 ここは、一つ宗教をきちんと学んでみるのもいいかもしれない。一般に、宗教に関する書物は、宗教家が自分の信ずる宗教の教義や宗教体験を語ったものが多く、部外者には分かりにくい。宗教学者や歴史学者の書いた難しい本を、読むのも骨が折れる。簡単に宗教を解説したものを探してみると、阿刀田高著『旧約聖書を知っていますか』『新約聖書を知っていますか』(新潮社)が、キリスト教を知るにはいちばん手っ取りばやい。旧約、新訳の各聖書をかなり、というか目茶苦茶大胆にダイジェストにしたものだが、ユダヤ民族の歴史書としての旧約、イエス=キリストの行動録としての新訳としてのエッセンスは読み取れる。

 この二冊で得た知識をもとに、続けて読みたいのが、ひろさちや著『仏教とキリスト教』(新潮選書)。仏教徒のひろさちやが、五〇の質問に答える形で、キリスト教と仏教の比較をしている。日本人にとっては、輪廻を抜け出た世界といえば極楽浄土しか思い浮かばないが、極楽以外にも浄土世界はたくさんある、という。同じ著者の『仏教と神道』も続けて読むと、日本に伝わった仏教が、いかに本来の仏教と異なってきているかが分かり興味深い。

 シリーズ三部作の『キリスト教とイスラム教』もよめば、取りあえず三大宗教+神道を制覇したことになる。あとは、青土社の「シリーズ世界の宗教」などでブラッシュアップしてはいかがだろうか。

 最近の新興宗教の動向に関しては、やや古いが、別冊宝島『いまどきの神サマ』が詳しい。このなかでは、オウム真理教の入信体験記が綴られており、中々興味深い。これを読むかぎりでは、それほど狂信的な宗教ではないという印象を受ける。しかし、本書が出版されて五年もたっており、その間にオウム真理教が、大きく変質したとみるのは間違いではないだろう。

 キリスト教の歴史も、当初は迫害の歴史であった。一連の事件を、迫害と受け取ったオウム真理教が、より狂信的な宗教組織へと変貌する可能性が全く無いとも言い切れない。日本は、まさに世紀末を迎えようとしている。


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▽『ヘーゲル・大人のなりかた』――いまこそヘーゲル? みんな悩んで大きくなった



西研『ヘーゲル・大人のなりかた』(日本放送出版協会)



 日本人のように忘れっぽい国民性の中にあっては、少し前のことを振り返るということは、きわめて意義のある?精神的態度″といえる。80年代にブームとなった「現代思想」などは、絶好の振り返りネタだろう。

 80年代に流行った「ポスト・モダニズム」は、70年代までの哲学の中心思想であったヘーゲルに対する批判から始まった。それは、「社会変革を目指す思想(広い意味でのマルクス主義)にはもうウンザリした」という時代背景があったためだ。

 ポスト・モダニズムで代表的な思想家は、ジャック=デリダ、ミシェル=フーコー、ジル=ドゥールズなどのフランスの哲学者たちであった。彼らが、依拠したのは、ヘーゲルとは異なる思想的展開をしたニーチェであった。

 しかし、「ヘーゲル批判」を最重要課題としたポスト・モダニズムも、かつての勢いは失っている。ポスト・モダン思想は、著者が言うように「過渡期の思想だった」のだろうか。少なくとも、80年代の思想的欄熟を、もう一度検証する時期にきているのは、間違いない。

 ヘーゲルだけではなく、ニーチェやウィトゲンシュタインなどの入門書や伝記なども、最近相次いで刊行されている。思想的な空白は、しばらく続くものと思われるが、今のうちに知的ゲームとして、自分にピッタリくる思想を探してみるのも意義のあることだろう。


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▽『日本の地価の決まり方』――「土地神話」の実態を暴く地価論議の決定版



西村清彦『日本の地価の決まり方』(ちくま新書)



 いまもっとも元気のいい新書をあげるとするならば、昨年秋に創刊された「ちくま新書」をおいてほかにはないだろう。かたいテーマとやわらかいテーマとで、書体を変えるなど、他の新書にはない凝った作りをしている。

 また、読者の関心の高いテーマを積極的に取り上げている。本書『日本の地価の決まり方』も、タイムリーな一冊と言えるだろう。

 さて、80年代のバブルから、90年代のバブル崩壊にかけて、「地価」の問題は、さまざまな形で議論がなされてきた。

 地価論議の集大成ともいえる本書によれば、日本の地価の変動は、85年まではいわゆる「ファンダメンタルズモデル」で説明できるが、86年のバブル以降は説明不能になる、という。

 ただし、85年以前であっても、日本の地価の水準は、「ファンダメンタルズモデル」による想定よりもきわめて高くなっている、という。

 現在の最大の関心事は、地価がどこまで下落するかであるが、この点については土地バブルを説明する四つの 「非ファンダメンタルズモデル」を検討したうえで著者の見方を示している。

 著者は、地価水準に大きく影響を与えている税制の歪みも、都市計画の悪意性も政治家とさまざまな圧力団体の合理的な活動の結果である、と指摘する。

 本書を読めば、「土地神話」の向こうに横たわる「現実」をみてとることができるはずだ。


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