1995.06.10

「風の谷のナウシカ」に関する主観的一考察――『エコノミスト』5月2・9日号

  『「超」整理法』の著者としても知られる、野口悠紀夫一橋大学教授が、『エコノミスト』誌上に「(晶展の引き倒し)的ナウシカ論」を展開している。「短期集中連載」と銘打ち、三週にわたって掲載されるようで、野口教授の「意外な一面」がかいま見れて興味深い。

 前々から、いわゆる知識人が『ナウシカ』をきちんと論じようとしないことに、ふがいなさを感じていただけに、野口先生の試みは、高く評価していいだろう。しかし、第一回目を読む限りでは、やや強引にまとめすぎているのではないか、という印象を受ける。

 というのも、作者である宮崎駿は、異常な話好きであり、膨大なインタビューをまとめる際に編集者の主観が入ってしまい、話す内容が媒体によって違っていることが多い。事実、ある雑誌では「僕自身は、ナウシカを巡って全く変わっていない」と述べており、どれが宮崎駿の本音なのか、十分検討したうえでないと論じにくい面がある。

 また、『ナウシカ』が当初の構想から変質したことを指摘しているが、そのこと自体はそれほど重要なことではない。

 論ずべきは、かつて共産党シンパだった宮崎駿が、なぜ主人公自らが「来るべき理想郷」を捨て去る結末を作ったか、という点に尽きるはずだ。

 物語の終わり近くになって、「虚無」というキーワードが盛んに登場する。現代思想を少しでもかじったことのある人なら、その意味するところを直感できるだろう。


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