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1996年5月

1996.05.22

▽北京市長・陳希同「収賄疑獄」の全貌!――『宝島30』1996年3月号

 ジャーナリストの富坂聡が、日本からはうかがい知れない、中国内部の権力闘争の一面をレポートしている。

 95年4月、北京市長の陳希同が逮捕された。江沢民・中国共産党総書記のライバルと見られていた陳希同の逮捕は、中国内部の権力闘争の一部でもあった。

 事件の発端は、無錫市のある企業の不正経理であった。匿名の内部告発をきっかけに開始された調査は、やがて中国始まって以来の大疑獄事件へと発展した。こうした事件の一連の流れが、克明につづられている。

 では、なぜとう小平に次ぐ実力者と目されていた陳希同は、逮捕されたのか。そもそも、なぜ陳希同は、共産党総書記になれず、無名の江沢民が突如、総書記になったのか。

 著者は、その原因を天安門事件にあった、とみる。陳希同は、天安門広場の状況について大げさな報告をとう小平にしたために、とう小平の判断を誤らせた。

 天安門事件によって、とう小平のこれまでの功績はすべて消し去られ、「ひょっとすると、自分の死後、この間題のためにとうの政策のすべてが再評価の対象となり、否定される可能性が生じてしまった。おそらく、そのことで陳はとうの不興を買ったのだろう」。そして、そのことが陳希同の人生を大きく狂わせることになった。

 すでに中国では、ポストとう小平を巡り、さまざまな動きがあるという。江沢民は、陳希同との権力闘争に勝ったものの、これですべてを掌握した、というわけではない。

▽富坂聡『北京「中南海」某重大事件』講談社)

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▽日本経済 失敗の本質――『エコノミスト』1996年3月12日号




 『エコノミスト』誌の特集記事のなかでも、叙述の正確さで印象に残った論文が、手塚宏之氏の「経営者も教育ママもひたすら『ローリスク』を求めた日本」である。

 空母を中心とした機動部隊で制空権を押さえる「制空主兵」という独創的な戦術を編み出した日本が、大艦巨砲、艦隊決戦を踏襲し続けたのはなぜか。それは「水兵を失業させるわけにいかなかった」からだという。組織の連続性と雇用が、戦争の勝敗に優先していたためだという。

 組織内で成功したものをリーダーとする年功序列型の組織では、パラダイムシフトが起きても、従来のルールで消耗戦を続けてしまう傾向にある。

 「日本型経営システムは弱者淘汰という経営リスクを企業が相互にヘッジし合い、主要産業を長期に熾烈な競争環境に置くシステムであったが故に、全体として競争力のある経済を醸成できたのである」

 このシステムにおいては、皆と同じ判断をしている限り、企業も成長できる。年功序列に我慢する若者や、子供をよい大学に入れたがる教育ママたちも、日本的なシステムが生み出したのだ。しかし、日本ももはや従来の手法は通用しなくなった。

 日本には、大きなパラダイムシフトを、明治維新と敗戦とすでに二回経験している。ここでは、人材の解放と再配置が極めて効率的に行われた。現在の日本は、外圧によらず自らの意思で、これを行わなければならない時期に釆ている。


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▽『大合併 大逆転!』――第一銀行を軸とした合併をめぐる舞台裏

高杉良『大合併 大逆転!』(角川書店)



 新刊といっても、高杉良の作家生活二〇周年を記念して出版 された「高杉良経済小説全集」全一五巻のうちの第七巻。

 さて、東京三菱銀行の発足直前というタイミングを狙ったのか、第一回配本分は、第一銀行と日本勧業銀行の合併を取り上げた「大合併」と、第一銀行と三菱銀行の合併がご破算となった過程を描いた「大逆転!」の二つの小説を合本している。

 「大合併」のほうは前に掲載してあるが、むしろ「大逆転!」のほうから読んだほうが、流れが分かっていいかもしれない。

 「大逆転!」のほうは、三菱銀行との合併に反対した島村道康・元第一銀行常務を中心に描かれている。島村氏の日記なども引用されており、日本企業の中で一人トップに反旗を翻す信念の人といった風に描かれている。島村氏が極めてさわやかな人物として描かれており、その点、評価の分かれるところだ。

 この点を反省してか、一方の「大合併」は、どちらかと言えば客観的なスタンスをとるようにしている。ノンフィクションの作品として発表してもよいのに、と思われるほどよく取材がされている。

 さて、「大逆転!」を読んで思うのは、第一と三菱のご破算劇は常に第一の側から語られることが多かった。東京三菱の発足を前に、「三菱にとっての合併」についても語られる必要があるだろう。

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▽『ぽくのドイツ文学講義』――ドイツ文学の軽やかな入門書

池内紀『ぽくのドイツ文学講義』(岩波新書)



 池内紀・東京大学文学部教授が、自らの「ドイツ文学講義」を一冊の本にまとめたもの。一〇の講義に分けられた各章は、取り上げる作品の解説から時代背景まで、丁寧に説明しており、ドイツ文学にあまりなじみのない人でも楽しめるようになっている。ドイツ文学講義というよりも、近代ドイツの世情を解説したようなものとなっている。

 第二講は、最近ちくま文庫から森鴎外訳が出版された、ゲーテの『ファウスト』を取り上げている。ファウストは、悪魔メフィストフェレスと、ある賭けをした。ファウストが、「時よ、とどまれ、おまえはかくもすばらしい」と叫んだら、つまり、ある瞬間に「至福」を感じたら、そのときは命をとられても構わない、という賭けだ。

 『ファウスト』 の第一部は、メフィストの力で若返ったファウストが、町娘に恋をする。しかし、「時よとまれ」とは叫ばない。では、第二部はどうか。

 多くの解説書が、第二部テーマを「魂の救済」としているが、著者はこの見方を退ける。著者の解釈はこうだ。第二部は、実は錬金術師ファウストを描いたものだ。そして、広大な沼地を前にファウストは、「時よとまれ」と叫んでしまう。

「愛の人が、広大な土地を前にして野心をたぎらせるエコノミストとして生涯を終えた。つまり、そのようにして、メフィストは賭けにかった」。

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