2009.05.08

▽ホンダF1失敗の研究

川喜田研『さらば、ホンダF1 ~最強軍団はなぜ自壊したのか?~』(集英社)

《2008年12月5日、強い南風が吹き荒れる青山一丁目の交差点。「F1撤退」の記者会見を終え、ホンダ本社ビルを出た僕のアタマには、いくつかの異なる感情が複雑な形をしながら漂っていた。あまりにも呆気なく、そしてあまりにも情けない「第3期ホンダF1活動」の幕切れに、ドンヨリと曇った暗い空が、なんともお似合いな日だった。
 ホンダを出てから30分ほど地下街の喫茶店で集英社の東田君と簡単な打ち合わせを済ませ、再び地上に出てみると、外は土砂降りの雨。
 「ホラ、本田宗一郎が泣いてますよ……」》(p.3)
http://books.shueisha.co.jp/tameshiyomi/978-4-08-780521-5.html

ホンダがF1に三度目の挑戦を開始したのは2000年のこと。しかし、この第三期は、栄光の第二期と比べれば惨敗といっていい状態のまま、2008年末に撤退が宣言された。直接の引き金は、リーマン・ショックに端を発する世界的な金融危機と、自動車産業を直撃した不況であるのは言うまでもないことだが、たとえそれが無かったとしても、ホンダの第三期は、やはり駄目だったのだろうと本書を読んで思わされた。やや扇情的なタイトルのため、いわゆる「水に落ちた犬を叩け」的な、こきおろし本のような印象を受けるが、著者は、ホンダ第三期を取材するためにフリーランスになったジャーナリストで、表の報道ではわからなかったホンダ惨敗の裏事情を解き明かしていく。

2004年6月20日には、BARホンダのドライバー佐藤琢磨が、アメリカGPで3位となり、日本人ドライバーとしては鈴木亜久里以来の十四年ぶりの表彰台となった。

下記の記事は、その直後の26日にイギリスで開催されたグッドウッド・フェスティバルで記者会見をやったときのもの。いまから思えば、この時が、ホンダにとっても、佐藤琢磨にとっても、日本のF1ファンとっても、ごく短い絶頂の時だったのだろう。

[参考]僕がイギリスに行ったわけ――佐藤琢磨インタビュー
http://thelightoflondon.txt-nifty.com/news/2004/06/post-a63f.html

そして本書を読むと、本田宗一郎が体現していた日本人のチャレンジ・スピリッツは、いったいどこに行ってしまったのだろうかとも思う。

《ホンダが不幸だったのは、かつて自らが作り上げた「レースはホンダのDNA」というイメージによって、誰もが「ホンダらしく」振る舞わなければならないという、半ば強迫観念にも似た空気が社内に存在していたことだろう。そのため、多くの人が無意識に「レースの好きなホンダ」を演じていた。中には「自分はレース好き」と信じ切っているのだが、実体は全然そうではない人もいた。僕はそれを「バンカラもどき」と呼んでいたが、ホンダが築き上げた過去の栄光による過信を背に「威勢のいい言葉」を発し続けながら、現実には空回りしているように見えるその姿が、傍目には悲しげにすら見えた。》(pp.238-239)

[目次]
第1章 迷走の始まり
 ホンダと僕の最初の一歩
 ジョン・サーティースが語るホンダとの絆 ほか
第2章 分裂と挫折
 「ビコーズ・ウィー・ラブ・レーシング」
 ポラックとヴィルヌーヴの出会い ほか
第3章 天国から地獄へ
 琢磨、初表彰台!
 頂点まであと一歩 ほか
第4章 ホンダF1はなぜ自壊したのか?
 第3期ホンダF1はサラリーマン集団
 そもそもホンダの実力では勝てなかった ほか


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