2011.04.27

▽「洗脳社会」から「評価経済社会」へと移行できるのか?

岡田斗司夫『評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている』 (ダイヤモンド社)

本書『評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている』は、岡田斗司夫が1995年に上梓した『ぼくたちの洗脳社会』(朝日新聞社)のアップデート版である。

『ぼくたちの洗脳社会』は、ちょうどWindows95ブームのさなかに出版されたこともあって、きたるべきインターネットの時代の心構えの書として、かなり大きなインパクトを日本社会に与えた……と記憶しています。違っていたかもしれませんが(笑)。

『ぼくたちの洗脳社会』157ページの「洗脳社会の勝者」の項では、次のように宣言されています。

《近代を「だれもが豊かになるために競争する社会」と表現するなら、これからは「だれもが他人に影響を与えることに競争する社会」といえるでしょう。近代の自由経済社会が弱肉強食であり、新陳代謝することによってバランスが保たれるのと同様、来るべき自由洗脳社会も弱肉強肉であり、新陳代謝することは避けられない必然です。》

この「洗脳社会」というタームは、『評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている』では、「評価経済社会」に置き換えられています。

それは、なぜか? なぜ「洗脳」を「評価経済」として、「経済」をつけたのか?

ここから先は私の推測ですが、著者は、自由洗脳社会の勝者であったことは疑いのない事実だろうと思いますが、その割には、あまり儲からなかったのではないのでしょうか(あくまでも推測です。念のため)。

どうして、そう思うかというと、自由洗脳社会のリーダーたる著者自身は、儲ける手段を持っておらず、逆に、儲ける手段を持っている既存のメディアが、著者の行動や言動をコピーするだけだったのではないか、と推測するからです。

もちろん企画料や原稿料などの収入はあったとは思いますが、それは全体の利益の中ではわずかなものだったと思いますし、アイデア料などは払わずにパクってくるところはパクってくるからです。

そういう状況に対応するために、つまり、著者自身が儲けるための回路として生み出されたのが、本書でも紹介されている、「オタキングex」ではないかと思うのですが、この見立ては、いかがでしょうか?


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