2011.06.27

▽『わが闘争』がたどった数奇な運命

アントワーヌ・ヴィトキーヌ『ヒトラー『わが闘争』がたどった数奇な運命』(永田千奈訳、 河出書房新社)

前回のエントリーで、日本の「あの戦争」が明確な目標をもたない戦争だったと書きましたが、

▽『あの戦争と日本人』
http://thelightoflondon.txt-nifty.com/book/2011/06/post-6b6d.html

では、明確な意志と目標を持って「あの戦争」を始めたドイツは、どうだったのでしょうか?

本書は、タイトル通り、ヒトラーの『わが闘争』がどのような運命をたどったのかについて調査したものです。

『わが闘争』は、1923年のミュンヘン一揆によって服役中のヒトラーが、自らの思想について書き綴ったものである。仲間によって推敲され、タイトルも仲間の進めた『わが闘争』にかえられて、1925年に出版された。1926年に第二巻を出版し、さらに1930年に第一巻と第二巻をあわせた改訂版を出すと、これが「ナチスのバイブル」と呼ばれるようになった。

『わが闘争』は、反ユダヤ主義、反マルクス主義、民族主義、武力主義、領土拡張主義などの思想で貫かれていた。著者によると、「こうした傾向は時代の空気としてドイツのみならず、当時にあっては程度の差こそあれ欧州のどの国でも、存在していたのである」(p.43)。

1929年の大恐慌以来、ナチスの党勢は拡大し、それにつれて『わが闘争』の部数は急伸していった。ヒトラーは、法に従って、着実に権力をものにしていった。1933年には、ドイツ共和国の首相に任命される。後にヒトラーは、「一九二四年の時点で、将来首相になれることがわかっていたら、私は『わが闘争』を書かなかっただろう」(p.56)と漏らしたという。

しかし当時のドイツ国内では、『わが闘争』の内容は実行に移されることはないだろう、と受け止められていた。また翻訳版も次々と出版されたが、ヒトラーは、欧州における領土拡大政策が妨害されることをおそれたために、翻訳版からは外交政策に関する章がまるごと削除されたという。しかし、チャーチル、ルーズベルト、ド・ゴール、スターリンは、独自に完全版の翻訳を読んでおり、ヒトラーを警戒していたという。特にチャーチルは、1930年代の早い段階から、ヒトラーを危険視していたという。

本書の第2部は、第二次大戦後もなお日本を含めた世界中で出版され続けている『わが闘争』がどのように受容されているかについて調査している。

本書は、世界で初めて『わが闘争』の軌跡を追った研究書とのことで、ドイツの「あの戦争」に新しい光を当てた傑作と言えそうです。

[目次]
第1部 戦前篇―ナチスのバイブル『わが闘争』
刊行のいきさつ
アドルフ・ヒトラーの思惑
『わが闘争』が総統をつくった
第三帝国の頂点へ
翻訳版の登場
隣国フランスの不安
ドイツの偽装工作、フランスの混乱
第二次世界大戦

第2部 戦後篇―終わりなき『わが闘争』
戦争責任の所在―ドイツ人と『わが闘争』
発禁措置の限界
ドイツの亡霊
アジアからイスラムへ
トルコのベストセラー

おわりに――『わが闘争』が残した七つの教訓


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