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2012年4月

2012.04.24

▽『前へ!』――東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録

麻生幾『『前へ!――東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録』(新潮社)

本書は、東日本大震災や福島原発事故に立ち向かった自衛隊員、機動隊隊員、消防隊隊員、そして、寸断された道路の復旧や人名救助に携わった公務員たちにフォーカスを当てたものである。

著者は、スパイもの小説の第一人者である麻生幾で綿密な取材に基づいたものであろう。描かれた方々の無私の努力には頭が下がる思いである。

ただ、本書を読み進めても、専門用語が多くて、登場人物の活躍ぶりが今ひとつイメージしにくい部分も多いので、いずれ映像化されるだろうことを期待したい。

[目次]
第一章 福島第一原発、戦士たちの知られざる戦争
 放射能という、目に見えない敵が最大の脅威だった――。
 空前の原子力災害に立ち向かった陸上自衛隊中央即応集団(CRF)、中央特殊武器防護隊(中特防)、第1ヘリコプター団はじめ、航空基地消防隊――原発に突っ込んだ戦士たちの壮絶なドラマ。

第二章 道路を啓け! 未曾有の津波被害と戦った猛者たち
 人命救助部隊を被災地に送り込むためには、迅速に道路を“啓く”ことが命綱となる。被災地を管轄する国土交通省東北地方整備局と、管内にある国道事務所や維持出張所では、大津波災害の惨状を目の当たりにしながらも、現場への前進を続けた「啓開チーム」の存在があった。知られざるプロフェッショナルたちの全貌。

第三章 省庁の壁を越え、命を救った勇者たち
 国家の中枢――内閣危機管理センターは矢継ぎ早に入る情報を吟味し、ダイナミックに動き出した。
 史上最大のオペレーションを決断した自衛隊。
 原発への決死の“一番槍”を果たした警視庁機動隊。
 阪神淡路大震災の教訓から生まれた、災害派遣医療チーム「DMAT」も始動する。一人でも多くの命を助けるために彼らは被災地に向かった!

哀悼と謝辞

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2012.04.22

▽A3

森達也『A3』(集英社インターナショナル)

ドキュメンタリー映画の監督である森達也は、オウム真理教の信者を中心に撮った『A』、『A2』という二つの映画を公開している。

本書は、その二作品を踏まえつつ、オウムの教祖である麻原彰晃被告の裁判などを交えながら、信者の動向や日本社会のオウムへの反応を描いたものである。

『月刊PLAYBOY』に2005年から2007年まで連載されたものをベースに、2010年の記述もあったりして、やや混沌とした印象は拭えないが、それでも一連の事件には、残された謎も多く、まだ完全に終わったものではないことはわかる。

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2012.04.21

▽『サイエンス・インポッシブル』――SF世界は実現可能か

ミチオ・カク『サイエンス・インポッシブル―SF世界は実現可能か』(斉藤隆央訳、日本放送出版協会)

物理学における「超ひも理論」の権威であるミチオ・カク教授が、サイエンス・フィクションに出てくる事物が実現可能かどうかを、いたってまじめに検証したのが本書である。

すべて実現不可能という結論が下されるのかと思ったら、意外にも、将来の技術革新も考慮すれば実現可能なものが多いという。

たとえば、タイムマシン。アインシュタインの方程式では、時間と空間が絡み合っているので、ブラックホールを通り抜けて過去へと旅することも理論的には可能という。ただし、ブラックホールを通り抜けて、生きて戻ってくることは不可能なようだが……。

SF好きな人も、そうでない人も楽しめるまじめな科学の本である。

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2012.04.20

▽復讐するは我にあり

今村昌平 (監督)『復讐するは我にあり』

前回のエントリーでは、自主制作映画としてつくられた『竜二』と、その主演・脚本の金子正次の生き様を描いたノンフィクション『竜二』を紹介しましたが、

▽竜二
http://thelightoflondon.txt-nifty.com/book/2012/04/post-8a8f.html

その中で、昔の映画制作にかかわるエピソードがあったので紹介します。

佐木隆三が実在の連続殺人犯をモデルとして描いた実録犯罪小説『復讐するは我にあり』は、1975年下期の直木賞をとりました。

話題性も高かったために、四人の映画監督から映画化の依頼があり、佐木隆三は、そのいずれにも承諾をにおわせる返事をしたとのこと。これがスキャンダルとして芸能誌に取り上げられたそうです。

四人の監督のうち一人は深作欣二で、その友人の劇作家、内田栄一が金子の知人であったことから、金子は劇団の仲間とともに、佐木隆三を捕まえて殴ってやろうと捜し回ったそうで、石垣島まで追いかけていったそうです。

『竜二』における内田栄一の証言によると、佐木が四人の監督に承諾を与えた理由として、「原作の版元である講談社が調整してくれるであろうという考えが佐木本人にあったのではないか」(p.85)とのこと。

二次利用、三次利用の権利も出版社が押さえる現代の感覚からすると、いかにも牧歌的な時代だったなと思いますね。

佐木隆三『復讐するは我にあり』(講談社)

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2012.04.19

▽竜二

生江有二『竜二』(幻冬舎アウトロー文庫)

前回のエントリーで、斜陽産業としての東宝と東映の苦闘を描いたノンフィクション『仁義なき日本沈没』を紹介しましたが、

▽『仁義なき日本沈没』――東宝VS.東映の戦後サバイバル
http://thelightoflondon.txt-nifty.com/book/2012/04/post-1c5f.html

さらに、その苦境の下で自主制作映画として1983年に作られたヤクザ映画『竜二』と、それを作った人々に焦点を当てたものが本書『竜二』です。

『竜二』は、完成後に東映系列の東映セントラル(86年7月活動停止)で配給され、暴力のないひと味違うヤクザ映画としてヒットしました。しかし、主演であり脚本を書いた金子正次は、映画公開中にガンが原因で死亡し、まさに伝説の映画となってしまいました。

この映画によって川島透という映画監督も誕生しました。元の本は1987年刊行と少し古いのですが、竜二の制作を取り巻く状況や金子正次の生き様はビビッドに伝わってきます。

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2012.04.18

▽『仁義なき日本沈没』――東宝VS.東映の戦後サバイバル

春日太一『仁義なき日本沈没: 東宝VS.東映の戦後サバイバル』(新潮新書)

1973年1月に公開された映画『仁義なき戦い』。そして、同じ年の12月に公開された『日本沈没』。

この二本のヒット作は、それぞれ東映と東宝という二つの映画会社に大きな転機をもたらした。

『仁義なき戦い』以降の東映は、撮影所を維持するためにテレビの時代劇制作を請け負うようになる。一方の東宝は、それまでの二本立て興行に、自社制作の映画を上映するブロック・ブッキングから、外部プロダクションを起用した大作一本立てのフリー・ブッキングへとシフトした。

本書は、終戦直後の東宝争議と、東映の前身である東横映画の苦闘から始まり、1973年を画期としつつ、日本の映画産業が斜陽の時期をいかに対応していったかを綴った記録である。

[目次]
はじめに

第一章 二つの戦後 東宝争議と東横映画
I 東宝争議
終戦/自由主義の牙城/東宝争議のはじまり/理想郷の建設/クーデター/労使対立/第三次東宝争議/兵糧攻め/米軍vs.撮影所

II 東映の誕生
東横映画/大日本映画党/独立への道/撮影所から夜逃げ/東映の誕生/大川の「改革」/東映はらわんと/東映と東宝の提携、そして決裂

第二章 時代劇戦争
日本映画の活況/二本立て興行の確立/『笛吹童子』の大ヒット/徹底した娯楽主義/美しきスターたち/東宝の製作再開/『七人の侍』/黒澤プロの誕生/東映時代劇の否定/リアルな殺陣/驕る東映/『椿三十郎』の一騎打ち/黒澤ショック

第三章 岡田茂と藤本真澄の斜陽期サバイバル
鬼の岡田/岡田茂の改革/任侠映画のスタート/藤本真澄の善良性/エロと暴力/岡田の若手抜擢/若手を拒む藤本/時代を見失う藤本/組合の復活/大作の復活/三船プロ陥落/止まらない不振/孤塁を守る「八・一五」シリーズ『軍閥』/頭は空っぽだ!/藤本奪権運動/力尽きる八・一五『沖縄決戦』/東映のお家騒動/岡田茂、社長になる/砧の問題/藤本真澄、社長になる/行きづまる任侠映画/藤純子の引退/お蔵と不入り/勝プロの快進撃/八・一五の終焉/黄昏のゴジラ

第四章 戦後日本の総決算 『仁義なき戦い』から『日本沈没』へ
『仁義なき戦い』のスタート/脚本のバイタリティ/深作欣二、京都へ/衝撃の深作演出/『日本沈没』のスタート/最高のチーム/リアルを作る/木村大作の台頭/戦後社会の生きにくさ/現代日本への警鐘/虚しい死

最終章 幸福な関係の終焉
二本立て興行の終わり/フリーブッキングの時代へ/東宝映画の合理化/プロダクションの苦悩/東映の手詰まり/映画村のスタート/テレビへの進出/藤本真澄の最期/「昔はよかった」

おわりに

主な参考文献

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2012.04.17

▽釜ケ崎有情

神田誠司『釜ケ崎有情』(講談社)

大阪市西成区には、新聞やテレビなどで「あいりん」と呼ばれている地域がある。「あいりん」は「愛隣」からきているが、これは行政が定めた官製地名という。

もともとの「釜ケ崎」という地名は、大正時代に消滅したというが、いまでも「釜ケ崎」の方が「あいりん」よりも通りがいいようだ。

本書は、朝日新聞編集委員である著者が、「釜ケ崎」のドヤ街で暮らす人々の暮らしと人生をつづったルポルタージュである。

いま大阪市政の焦点の一つである「釜ケ崎」の実態がよくわかる。

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2012.04.16

▽階級都市

橋本健二『階級都市』(ちくま新書)

「階級」というと、一時期は。古めかしい言葉になってしまったが、「格差社会」という言葉の普及とともに、また注目を集める言葉になってしまった。

一億層中流の幻想が崩れた後に浮かんできた格差社会の行き着く先は階級社会ではないか? そして、それは、東京という街のあり方をかえるのではないか? というのが本書の考察の中心に据えられている。

《グローバル・シティが形成される過程で、これらの地域は変容を迫られる。製造業の衰退により、都心近くの工場は廃業したり、移転したりする。失業や家賃の高騰により、住民は転居を余儀なくされる。そうでなくても、再開発を目的としたさまざまな圧力によって追い出しをかけられる。跡地には高所得者を対象とした住宅や商業施設が建てられ、ここにグローバル・シティのエリート層が移り住む。》(p.38)

これらの地域とは、大都市の中心から離れた自営業者や低所得者がすむ「下町」と呼ばれる地域のことであり、ここにグローバル化した経済のエリートが再開発の名の下に移り住んでくることである。こうした下町内部に格差が生じることを「ジェントリフィケーション」と呼ぶ。

著者はジェントリフィケーション自体が「悪いこと」であるという前提で論を進めているようだが、はたしてそうだろうか。ジェントリフィケーションが、上り坂の経済で起きているならば、それは再開発であり土地の有効活用と言えるのではないか。

本質的な問題は、日本経済が坂を下っていることではないだろうか。

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2012.04.15

▽『できることをしよう。』――ほぼ日刊イトイ新聞が震災後に考えたこと

糸井重里&ほぼ日刊イトイ新聞『できることをしよう。―ぼくらが震災後に考えたこと』(新潮社)

糸井重里とほぼ日刊イトイ新聞が、東日本大震災後に行った活動の記録である。

ほぼ日刊イトイ新聞の独特な切り口や、糸井重里のコピーライターとしての視点が、従来の「報道」とは異なる震災のとらえ方を示してくれていて、とても深いものがある。

特に、twitterの使い方については、「そこまで計算していたのか!」と驚かされます。

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2012.04.14

▽3・11 複合被災

外岡秀俊『3・11 複合被災』(岩波新書)

本書の著者、外岡秀俊は、朝日新聞社のAERAの記者として阪神大震災の長期取材を行った。

▽『地震と社会』
http://thelightoflondon.txt-nifty.com/book/2011/04/post-3c76.html

外岡は、2011年3月末に朝日新聞社を退職し、故郷の札幌で暮らすことにしていたが、リタイア目前に東日本大震災が発生した。

震災の一週間後に小型ジェット機で被災地を上空から見て、さらに、車と自転車で被災地を回った外岡は、フリーのジャーナリストとして被災地と被災者に向き合うことにした。

本書は、期せずして大震災がライフワークとなったプロのジャーナリストの手による東日本大震災と福島原発事故による「複合被災」の記録である。

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2012.04.13

▽サイバー戦争の真実

西本逸郎x三好尊信『国・企業・メディアが決して語らないサイバー戦争の真実』(中経出版)

ちょっとおどろおどろしいタイトルで、内容もおどろおどろしいんですが(笑)、日本の企業や政府、世界各国で実際に発生したサイバー戦争に関する部分はコンパクトにまとめられていて、興味深い内容です。

まあ、サイバー戦争といっても、機密情報の入手から、原発制御システムへの進入まで、幅広いうえに、その実態は、まだまだわからないことが多いんですけどね。

[目次]
Chapter 1 現状を知るためのサイバー事件簿
Chapter 2 地球を呑み込むサイバー空間
Chapter 3 サイバー空間に潜む脅威
Chapter 4 サイバー戦争
Chapter 5 奪われる日本の未来
Chapter 6 私たちは何をするべきか?

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2012.04.12

▽ウエストミンスター・モデルとは何か?――『イギリス矛盾の力』

岐部秀光『イギリス 矛盾の力―進化し続ける政治経済システム』(日本経済新聞出版社)

日本の民主党政権が、発足直後に、イギリスの統治システムを参考にしようとしていたことはよく知られている。

日本の民主党政権は、もはや末期症状を呈しつつあるが、その失敗を無駄にしないためにも、イギリスの「ウエストミンスター・モデル」を改めて紹介しよう、というのが本書の試みである。

記述が散漫で、やや雑ぱくな印象を受ける本書だが、読まれるべきは、「政治主導を支える官僚」という項目だろう。

ウエストミンスターとは、イギリス議会のある場所の地名で、「ウエストミンスター・モデル」では、政治家と官僚の関係が明確に規定されている。

・官僚は担当大臣以外の政治家との接触が禁じられている。これは政治的な中立性を保つため。

・ただし、任期満了が近づくと野党議員はマニフェストをもとに官僚と議論することが認められる。

・官僚が選挙前に各政党のマニフェストを仔細に研究し、政権交代に伴う混乱を最小限に抑えようとする工夫がある。

・官僚には、採用や昇進における実力主義、政治的中立性、終身雇用が守られている。

・また、官僚の中立性を維持するために、競争原理が導入されている。競争と能力にもとづく昇進、転勤。地方自治体から中央省庁への抜擢、地域間の移動も多い。特定の政治家とべったりでは、政権交代でキャリアを失いかねない。

以上は、49-52ページから抜粋、引用である。また、官僚機構とは別に、民間のシンクタンクが野党のマニフェスト策定に大きく関わってきたという。

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2012.04.11

▽木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか?

増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(新潮社)

本書は、日本のプロレス界に君臨した力道山と、柔道出身のレスラー木村政彦のリアル・ファイトの真相を探るノンフィクション。今年の大宅壮一ノンフィクション賞受賞作でもある。

二段組み700ページにものぼる大著だが、そもそも、主題となった試合について知らない人も多いだろうから、プロローグ、第一章、そして、第二十七章以降を読んでしまった方が話は早い。

そして、この試合はYoutubeでも見ることができるので、本書を読みながら、試合内容を確認できる。

試合の途中から、力道山はリアル・ファイトに転じたことが明らかにわかるが、なぜ、そんな事態に至ったのか? という疑問を軸に、柔道家として木村の人生、日本柔道界の草創期の歴史、そして、力道山時代のプロレスが描かれている。

タイトルの「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」は、試合後しばらくの間、力道山を殺そうと刃物を持って、力道山の跡をつけ回そうとしていた木村が、なぜ思いとどまったか、という問いで本書のもう一つの主題である。

木村の死後に日本でも一世を風靡したグレイシー柔術に、木村は大きな遺産を残していたことも記されている。木村の得意技だった「腕緘み」は、グレイシー柔術では、キムラロック、あるいは、単にキムラと呼ばれている。

《私はあえて断言する。
 あのとき、もし木村政彦がはじめから真剣勝負のつもりでリングに上がっていれば、間違いなく力道山に勝っていたと。決め技は、もちろん得意のキムラロックである。》(p.29)

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2012.04.10

▽E=mc2――世界一有名な方程式の「伝記」

ディヴィッド・ボダニス『E=mc2 世界一有名な方程式の「伝記」』(伊藤文英、高橋知子、吉田三知世訳、早川書房)

《マンハッタン計画に関与したわけではないが、E=mc2によって広島と長崎が広大な死の荒野に変わったのは事実だ。「ドイツには原爆がつくれないとわかっていたら……」と、アインシュタインは長年の秘書に語ったことがある。「けっしてあんなことには手を貸さなかった。指一本さえも貸さなかったのに」》(p.240)

本書は、「世界一有名な方程式」であるE=mc2の誕生から、それがもたらしたものまでを追った、方程式の「伝記」である。

E(エネルギー)は、m(質量)とc(速度)の二乗をかけた値に等しいことを示すこの方程式は、アインシュタインによって1905年に発表された。

そして、この方程式の意味するところは、核分裂を利用して膨大なエネルギーを取り出すことができること、であった――。

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2012.04.09

▽コンビニだけが、なぜ強い?

吉岡秀子『コンビニだけが、なぜ強い?』(朝日新書)

コンビニというと、かつては大店法(2000年に廃止)による大規模小売店の出店規制のゆがみによって繁栄している存在と言われたものでした。しかし、大店法の廃止以降もコンビニの拡大は続いています。

東日本大震災の際には、重要なライフラインとしての機能を果たし、高齢者からの支持も高まっているそうです。

本書は、大手コンビニ・チェーンであるセブン-イレブン、ファミリー・マート、ローソンの経営戦略にフォーカスをあてたものです。

コンビニにまつわるネガティブな話題は避けられていますが、最近のコンビニ事情についてはコンパクトにまとめられています。

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2012.04.08

▽アイデンティティ経済学とは?

ジョージ・A・アカロフxレイチェル・E・クラントン『アイデンティティ経済学』(山形浩生x守岡桜訳、東洋経済新報社)

アイデンティティ経済学を簡単に言うと、標準的な経済学が想定するモデルに、「社会的カテゴリー」、「規範と理想」、「アイデンティティ効用の損益」の三つの社会学的な要素を加味した上で考察するもの。

まず、「社会的カテゴリー」とは、男/女、白人/黒人、ある組織のインサイダー/アウトサイダーなどの、個人の属性(アイデンティティ)を意味する。

そして、「規範と理想」は、この属性(アイデンティティ)と仕事にまつわる、社会的な規範や理想のことである。ある仕事について存在する、「これは男のやる仕事である」、「女のやる仕事ではない」といった社会的な規範や理想のことである。

そして、「アイデンティティ効用の損益」とは、この「規範や理想」を守った場合と、逸脱した場合のメリット/デメリットを考慮することである。

本書は、まず、標準的な経済学のモデルを「プロセス1」として提示した上で、「プロセス2」として、三つのアイデンティティに関する要素を加味しながら順をおって説明していくというスタイルをとっており、「アイデンティ経済学」の入門書としてはわかりやすい。

ただし、「プロセス2」で加味されるアイデンティティや社会的規範などはアメリカのそれでしかないので、日本や他の社会に当てはめる際には、注意が必要。

[目次]
【第Ⅰ部 経済学とアイデンティティ】
【第1章 はじめに】
1・1アイデンティティ経済学の起源
1・2アイデアは波及効果を持つ

【第2章 アイデンティティ経済学】
2・1アイデンティティ、規範、効用関数
2・2社会的カテゴリー、理想、洞察
2・3すべてまとめると
2・4アイデンティティ経済学と需要/供給
2・5本書の構成

【第3章 効用におけるアイデンティティと規範】
3・1基本的な手法
3・2短期と長期の選択
3・3喫煙

【第3章 追記 ロゼッタストーン】
個人の選択と、効用関数の最大化
社会化の役割
厚生と効用の関係
構造と「アイデンティティの選択」
モデルとアイデンティティの定義
「べき」を定義する
個人主義的なアイデンティティと相互作用主義的なアイデンティティ

【第4章 今日の経済学での位置づけ】
4・1実験とアイデンティティ経済学
4・2アイデンティティ経済学、ゲーリー、ベッカー、嗜好
4・3経済学における規範
4・4規範はどこからくるのか
4・5まとめ

【第Ⅱ部 仕事と学校】
【第5章 アイデンティティと組織の経済学】
5・1労働インセンティブのアイデンティティモデル
5・2軍隊と一般市民のちがい
5・3モデルにおける動機
5・4軍隊
5・5民間の職場
5・6企業の下層部
5・7アイデンティティ経済と作業集団
5・8緩やかな監督:シカゴの機械工場
5・9厳しい監督:バンク配線作業観察室
5・10統計的証拠:アメリカ中西部の製造工場
5・11リンカーン・エレクトリック社:例証か反例か?
5・12軍隊の作業集団
5・13経済学と集団規範
5・14目的の共有と方針をめぐる結論
5・15まとめ:アイデンティティ経済学の応用と、導き出された新しい結論

【第6章 アイデンティティと教育経済学】
6・1生徒と学校のアイデンティティモデル
6・2モデルと証拠:ハミルトン高校からショッピングモール高校まで
6・3奇跡の学校と学校改革
6・4私立校 対 公立校
6・5人種と学校教育
6・6アイデンティティ経済学と教育の需給
6・7アイデンティティ、学校の目標、学校選び

【第Ⅲ部 性別と人種】
【第7章 性別と仕事】
7・1労働市場のアイデンティティモデル
7・2理論と証拠
7・3アイデンティティ経済学と新しい結論
7・4性差別禁止法
7・5性別と労働供給と家庭
7・6結論

【第8章 人種とマイノリティの貧困】
8・1従来の差別の経済学
8・2アイデンティティ理論の基盤
8・3貧困と社会的排除のアイデンティティモデル
8・4理論と証拠
8・5救済策の可能性
8・6政策:アファーマティブ・アクションと職業プログラム
8・7結論

【第Ⅳ部 今後の展望】
【第9章 アイデンティティ経済学と経済学の方法論】
9・1理論と証拠
9・2細かなことの観察
9・3因果関係
9・4実験
9・5「紳士的」な距離という問題

【第10章 結論、そしてアイデンティティが経済学を変える五つのやり方】
10・1個人の行動
10・2外部性
10・3カテゴリーと規範をつくる
10・4アイデンティティと後悔
10・5アイデンティティの選択
10・6結論

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2012.04.07

▽もし、仮設住宅で暮らすことになったら――『仮設のトリセツ』

岩佐明彦『仮設のトリセツ―もし、仮設住宅で暮らすことになったら』(主婦の友社)

もし、仮設住宅で暮らすことになったら?

東日本震災以降、地震や津波に関する予測がさまざまなかたちで発表されています。もし被災したら、仮設住宅で暮らすことになるだろう。その時、どうしたらよいのだろうか?

そんなニーズ応えるべく作られたのが本書です。本書は、新潟大学工学部の岩佐明彦研究室が開設した同名のブログ()( http://kasetsukaizou.jimdo.com/ )の内容がベースになっています。

さまざまな仮設住宅の紹介や、実際に仮設住宅で暮らしている方々の生活を快適にするための工夫なども盛り込まれていて、なかなか興味深い「仮設のトリセツ」になっています。

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2012.04.06

▽なぜメルケルは「転向」したのか

熊谷徹『なぜメルケルは「転向」したのか――ドイツ原子力四〇年戦争の真実』(日経BP社)

《メルケルが政府として原発全廃の方針を確定し、法制化するうえで技術者だけではなく、原子力技術についてのずぶの素人たちからも意見を聴いたことである。それどころか、メルケルは原子力の専門家ではない人々の意見のほうを重視した。》(p.147)

ドイツの女性首相メルケルは、原子力擁護派であり、2010年秋に打ち出した長期エネルギー戦略において、再生可能エネルギーに移行するまでの過渡期のエネルギーとして、原子力発電を容認し、原発の稼働年数の延長を認めた。

しかし、福島原発事故を踏まえて、この方針を覆し、2022年末までの原発廃止を打ち出した。

本書は、ドイツの政党政治と反原発運動の歴史を踏まえつつ、メルケルが脱原発へと「転向」した経緯を解説する。

メルケルの決断は、いまだに大飯原発の再稼働問題の対応が揺れ動いている日本の政治家と対照的だ。

[目次]
まえがき
第1章 甦るチェルノブイリの記憶
第2章 ドイツ原子力四〇年戦争
第3章 フクシマ後のリスク分析
第4章 はじめにリスクありきーー日独のリスク意識と人生観あとがき

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2012.04.05

▽サムライと愚か者――『暗闘オリンパス事件』

山口義正『サムライと愚か者 暗闘オリンパス事件』(講談社)

2011年秋、国際的なスキャンダルとして、世界中のメディアから注目を集めたのが、オリンパスをめぐる巨額不正取引事件。

その導火線となったのが、月刊誌FACTAに掲載された著者によるスクープ記事だった。しかし、海外のメディアが、解任されたウッドフォード前社長のインタビューを掲載するまでは、日本のメディアは、この事件を黙殺していた。

ウッドフォード前社長は著者に次のような言葉を投げかけている。

《「日本人はなぜサムライとイディオット(愚か者)がこうも極端にわかれてしまうのか」》(p.203)

本書では、オリンパス事件の構図や背景、そしてスクープ記事の舞台裏を描くと同時に、日本社会に走る大きな裂け目も浮かび上がらせている。

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2012.04.04

▽リトル・ピープルの時代

宇野常寛『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)

平成仮面ライダーの分析のところは面白かった、ですね。村上春樹、仮面ライダー、ウルトラマンと分析の対象を広げ過ぎたような気もします。

せめて、春樹、ライダー、ウルトラマンで、それぞれ新書一冊ずつくらいでもよかったのかもしれません。昨今の出版事情が許さないのかもしれませんが。

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2012.04.03

▽「本屋」は死なない

石橋毅史『「本屋」は死なない』(新潮社)

本屋の店員にスポットを当てた連作ルポルタージュのようなもの。

第一章に登場する原田真弓は、リブロ渋谷店で、「仕掛ける」棚作りに腕をふるっていた。しかし、ある時期から、本の売れ行きを示すPOSデータが、取次から、他の書店や出版社にまで提供されるようになり、さまざまなブームがじっくり育つこともなく消費されるようになってという。

《原田の記憶では、いわゆる“カフェ本”ブームは三年をかけてゆっくりと育てられた。だがマガジンハウスの雑誌『ku:nel』などの“暮らし系”が三カ月ほどで浸透したときは早すぎると感じた。“森ガール”にいたっては育つこともなく終わった。》(p.36)

このほかにも本書には、元さわや書店の伊藤清彦など、仕掛けて売るタイプのカリスマ書店員が登場する。「本屋」の現実を通じて、斜陽の出版界の苦悩が浮かび上がってくる。

[目次]
序章 彼女を駆り立てたものは何か?
第1章 抗う女―原田真弓がはじめた「ひぐらし文庫」
第2章 論じる男―ジュンク堂書店・福嶋聡と「電子書籍元年」
第3章 読む女―イハラ・ハートショップ、井原万見子を支えるもの
第4章 外れた男―元さわや書店・伊藤清彦の隠遁
第5章 星となる男―元書店員・伊藤清彦の「これから」
第6章 与える男―定有堂書店・奈良敏行と『贈与論』
第7章 さまよう男―“顔の見えない書店”をめぐる
第8章 問題の男―ちくさ正文館・古田一晴の高み
終章 彼女が手渡そうとしているものは何か?

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2012.04.02

▽ワンマン経営者の孤独――『ジブリの哲学』より

鈴木敏夫『ジブリの哲学――変わるものと変わらないもの』(岩波書店)

本書は、スタジオ・ジブリのプロデューサーである鈴木敏夫が、さまざまな媒体に書いたコラムをまとめたもの。正直なところ、一冊の本として読むには、ややまとまりにかける。

ただ、ジブリ作品のパートナーとして、製作にかかわった日本テレビの氏家斉一郞社長(2011年死去)に関する部分は、ワンマン経営者の孤独を感じさせられた。

民俗学者の網野善彦は、氏家と中学時代の同級生だったという。「もののけ姫」の制作を通じて網野と鈴木は知己を得たが、氏家はそのつてを頼って、網野を食事に誘おうとした。しかし、癌を患っていた網野に、「時間が無い」と断られたという。日本を代表するテレビ局の社長にまでのぼりつめながらも、著名な学者にあうことすら叶わなかった――。

徳間書店の徳間康快社長は、ジブリ作品の出資者として、後世に残る映画を生み出してきた。しかし、氏家は、「おれの人生、振り返ると何もやってない」(p.166)と言う。

「読売グループのあらゆるものはすべて正力(松太郎)さんがはじめたもので、それを後輩たちが守ってきた。おれだって、そのひとつをまかされているに過ぎないんだ」(p.166)

高畑勲監督の次回作『かぐや姫』の製作を赤字覚悟で引き受けるが、氏家は、その夢も果たせずに他界してしまった――。

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2012.04.01

▽ブレア時代のイギリスとは?

山口二郎『ブレア時代のイギリス』(岩波新書)

前回のエントリーでは、『政権交代とは何だったのか』を紹介しましたが、

▽政権交代とは何だったのか?
http://thelightoflondon.txt-nifty.com/book/2012/03/post-6030.html

同じ著者が2005年に小泉自民党が勝利した郵政選挙の後に上梓したのが、本書『ブレア時代のイギリス』である。

サッチャーの推進した新自由主義の時代に万年与党だったイギリスの労働党は、トニー・ブレアが党首になった際に、党綱領から「生産手段の国有化」を削除し、「第三の道」を掲げ、「ニュー・レイバー」として生まれ変わった。

著者は、ブレア時代のイギリスの光と影を検討しつつ、「あとがきにかえて」で次のように述べていた。

《近い将来、新自由主義の矛盾が深まったときに、必ず本来の社会民主主義的政策を求める国民の声は高まるはずである。……自民党の伝統的な利益配分政治が「第一の道」、小泉流の小さな政府が「第二の道」であるとするならば、今こそ「第三の道」が日本でも必要とされているはずである。》(p.197)

日本においては、小泉流の小さな政府に対して、民主党が「第三の道」を実現してくれるだろう、という期待を込めていたのですが、結果として、この期待は大きく裏切られてしまったことになります。

これは、どうしてだろうかと考えると、日本の民主党には、社会主義を信奉しているようなグループがかなり含まれていたのではないかと思います。

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