2012.05.15

▽『報道の脳死』

烏賀陽弘道『報道の脳死』(新潮新書)

元朝日新聞記者で、現在はフリージャーナリストの著者が、日本のジャーナリズムの行く末を考察する。

1990年代から続いている大手メディアの「脳死状態」は、インターネットの普及と、3.11後の硬直した報道によって、一般の読者にも明らかになりつつあるようだ。

特に、「コンテンツ」(中身)、「コンテナ」(入れ物)、「コンベア」(流通)の三つのCを独占していた既存メディアは、インターネットによって、「コンテナ」と「コンベア」を独占できなくなった。その結果、コンテンツのすばらしさで見られていたわけではないことがバレてしまった。

今後は既存メディアとインターネット・メディアの共存時代が続くと思われるが、だからといってインターネット・メディアの未来が明るいものとは限らない。

インターネット・メディアには、既存メディアが担ってきた新人記者の育成機能もないし、安定した経営を維持するために有効なマネタイズの手法もみつかっていない、という。

[目次]
はじめに

第1章 新聞の記事はなぜ陳腐なのか
 パクリ記事の連発
 粗悪記事のタイプ別分類
 悪気がないゆえの罪
 セレモニー記事とは何か
 悲劇よりも「イベント」を報道
 不自然さが漂う放射線量測定の様子
 事態の深刻さが伝わらない
 松本龍暴言事件
 パチカメ取材とは何か
 カレンダー記事の安易さ
 「えくぼ記事」の罠
 記者は賤業である
 観光客記事の空虚
 多様性の欠如
 平時の発想から変われない
 記者の配置問題
 膨大な記者による通り一遍の報道

第2章 「断片化」が脳死状態を生んだ
 疑問を持つ能力
 「ニュースピーク」を広めるばかり
 「計画停電」というごまかし
 計画的避難区域のごまかし
 死の灰が消えた?
 分析の欠如
 組織の断片化=記事の断片化
 専門記者はどこに消えた
 封じられた専門性
 断片化は防止できるか
 セクショナリズムの構造
 夕刊は廃止せよ

第3章 記者会見は誰のためのものか
 記者クラブは問題の根源ではない
 記者会見開放の意味
 開放は当たり前
 議論のすれ違い
 希少性の利得
 三つのCという特権
 記者クラブの本当の問題
 世間とのずれ
 記者の定義が変わった

第4章 これからの報道の話をしよう
 アメリカのメディアはどうなっているか
 「ポスト記者クラブ」の報道を考える
 メディアはどこに立っているか

第5章 蘇生の可能性とは
 ベテラン記者は疑う
 新聞の黄金時代とは
 ポスト3.11の報道を考える
 ジャーナリズムは常に必要である
 初等ジョブスキルの必要性
 社員教育の限界
 マネタイズ機能の問題
 理想は外部教育
 「投げ銭」の可能性

あとがき


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