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2014年8月

2014.08.12

▽結局わかりませんでした――『日立製作所 川村改革の2000日』

小板橋太郎『異端児たちの決断 日立製作所 川村改革の2000日』(日経BP社)

2008年9月のリーマン・ショック後の2008年度決算では、7000億円もの連結最終赤字を計上する事態に陥った日立グループ。

これを機に経営体制は一新され、当時69歳の川村隆が社長兼会長に就任した。川村を中心とする「六人組」による構造改革が功を奏し、2013年度決算では、二十三年ぶりの営業利益の最高益を更新することができた。

この間に、日立グループが行った対策について記述しているのが本書である。

経営再建のロードマップは以下の四本柱によって立てられた(p.92より)。

(1)出血している事業のリストラ。近づける事業と遠ざける事業の峻別
(2)上場子会社を取り込み、社外に流出している利益を取り込む
(3)社会イノベーション事業で世界に出る成長戦略
(4)社内カンパニー制で事業部門を自立させる

こうした方針に沿って行われた日立再建の軌跡を、本書は追っているが、一つの大きな課題は未だ達成されていないことがわかる。それは、「御三家」と呼ばれる独立色の強い子会社三社(日立金属、日立電子、日立化成)の扱いである。

日立電線は日立金属と合併し、その布石として日立本体との経営陣の交流も行われてきた。しかし、ソニーやパナソニックが構造改革の際に断行した子会社の吸収合併は、日立においては未だ実行に移されていない。

《日立製作所が、日立電線と合併した日立金属と「御三家」のもう一角、日立化成をどうしようとしているのかはまだみえない。》(pp.152-153)

改革の途中でアベノミクスにより利益が急回復してしまっただけのようにも見えてしまいます。この改革は本物だったのか、結局よくわかりませんでした。

[目次]
【第一章】六十九歳の再登板
【第二章】「不沈艦」の黄昏
【第三章】裸になった経営陣
【第四章】「御三家」の換骨奪胎
【第五章】豪腕、中西宏明の凱旋
【第六章】インフラ輸出の牽引車
【第七章】グローバル化は隗より始めよ
【第八章】日立の次代を担う者

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2014.08.04

▽楽観主義の記録――『会社が消えた日』

大西康之『会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから』(日経BP社)

2011年パナソニックに買収され、事実上消滅した三洋電機。約十万人いた社員のうち、パナソニックに残れたのは、一割にも満たない九千人余という。

本書は、三洋電機の再建努力とその失敗を軸に、元三洋電機の社員のその後を追ったものである。

一つの会社に長く勤めたことのあるサラリーマンならば、同情できる部分も少なくはないだろうが、しかし、端から見ていると、あまりにも楽観的過ぎたのではないか? と思わざるを得ない。

まず、2005年にTVキャスターの野中ともよを社長に据えた時代。経営の手腕や理念についてはさておいても、すでに三洋電機は創業一族である井植家の「公私混同」により蝕まれていた。

《無理な利益計上や不良在庫の山も大問題だったが、野中が愕然としたのは三洋電機と井植家の講師混同ぶりだった。どこまでが会社のカネで、どこからが井植家のカネなのか。よくわからないほど渾然一体となっていた。》(p.100)

パナソニックに買収された後のエピソードにも、失笑してしまうものがある。"Let' get together at Panasonic"という歌詞を含むパナソニックの社歌を歌えなかった元三洋の社員がいたという。

しかし、三洋電機のバッテリー部門を首尾良く手に入れたはずのパナソニックも、いまだに経営面で苦戦しているのも皮肉な話である。

[目次]
第一章 再会 井植敏は『ゼロ』を読んでいた
第二章 決断 中村邦夫はなぜ動いたのか
第三章 抵抗 野中ともよは「地球を守る」と言い放った
第四章 一歩 「ニーハオ」から始めよう――ハイアールに買われた人々
第五章 覚醒 こうやって黒字にするのか――京セラに買われた人々
第六章 意地 最後の1個まで売り切ってやる!――校長に転身したマーケター
第七章 謀略 私はこれで会社を辞めました――セクハラ疑惑をかけられた営業幹部
第八章 贖罪 「首切り」が私の仕事だった…――高額ヘッドハントを断った人事部長
第九章 自由 淡路島からもう一度――テスラを駆る電池技術者
第十章 転生 「離職者再生工場」の可能性――ベビーバギーを作る生産技術者
エピローグ ダウンサイジング・オブ・ジャパン

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